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由紀子と隆也の出会い

 由紀子は取調室の白い壁をぼんやりと見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「美桜が生まれるずっと前のことです。あたしが27歳のときでした」

石原刑事はメモを取り、辻川はキーボードをたたき始める。

「あたしは当時、高校で英語を教えていました。生徒たちは素直で、授業も楽しくて…。あの頃のあたしは毎日が穏やかでした」

由紀子の声は少しだけ柔らかくなった。取調室の空気もわずかに緩む。

「放課後、職員室でテストの採点をしていると、よく姉が迎えに来てくれたんです。あたしたち、双子みたいに仲がよくて、姉はあたしの半身みたいな存在でした。そんな姉がいい人がいるのよって、紹介してくれたのが、後に結婚した夫なんです」

その頃の楽しかった日々を思い出すように、目を閉じたり、少し微笑んだりしながら続けた。

「夫は姉の大学時代の友人で、公認会計士をしていた人です」

由紀子はわずかに目を細めた。

「真面目で、静かで、でも、話すときは必ず相手の目を見る人でした。あたしの話を最後まで遮らず聞いてくれる…、そんな人でした」

「交際は順調だったんですね?」

石原が頷きながら訊ねると、由紀子もそれに合わせて小さく頷いた。

「はい、穏やかで、争いごとが嫌いで…。あたしたちは必然のように、静かに寄り添うように結婚しました」

由紀子は上目づかいになり、何かを思い出すような仕草で微笑んだ。

「結婚して数年は幸せでした。でも子どもには恵まれませんでした」

由紀子は掌を広げてじっと見つめたまま続けた。

「病院にも通いました。治療もしました。でも、結果は出ませんでした」

その声にはまだかすかに口惜しさが滲んでいた。

「夫は「二人で十分だよ」と慰めてくれました。でも原因は自分にあることが分かっていましたので、あたしはどこかで自分を責めていました」

石原は由紀子の表情をじっと見つめた。そこに見える痛みは、嘘をつく者のものではなかった。

「そんなときでした。姉が倒れたのは…」

由紀子の声がわずかに震えた。

「病名を聞いたあたしは、世の中が音を立てて崩れるのを感じました。余命は三ヶ月。あまりにも突然でした」

辻川が入力するキーボードの音がやけに大きく響く。

「姉には娘がいました。美桜です。まだ3歳にもなっていませんでしたが、会えば、あたしに抱きついてきて…」

由紀子は一度言葉を飲み込んでから続けた。

「あんなに素敵な姉なのに、どういうわけか、男運が悪いというか、ついてないというか、とにかく選んだ男性は最悪でした。美桜の父親も勝手な男で、姉の妊娠が分かると、あたしたちの前から姿を消し、音信不通になるという具合です。結局、姉はシングルマザーを選んで出産したのですが、またしても自分自身が病に倒れるという最悪の結果になってしまいました。そんなある日、ベッドの上で身動きできないほど衰弱してしまった姉は、を振り絞ってあたしの目を見ました。

「ユッコ、この子を育ててほしい。あなたなら大丈夫だから」

石原は静かに息を吸ってから、ここまで一気に話し続けた由紀子に一度頷いてから訊ねた。

「あなたはその願いを受け入れた?」

「はい、何の迷いもなく。大好きな姉の最後の願いでしたから」

「姉が亡くなったあと、あたしたち夫婦は美桜を養子に迎えました。美桜はすぐにあたしたちに懐いて、家の中は笑い声で満ちていました」

由紀子の表情は、ほんの一瞬だけ柔らかくなった。

「その頃のあたしは本当に幸せでした。美桜がいて、夫隆也がいて…。家族というものが、こんなにも温かいものだと初めて知りました」

石原は次の質問を飲み込んだ。この幸福が後に壊れることを知っているからだ。由紀子は、ふっと微笑んだが、その笑みはどこか寂しげだった。

「でも、幸せは長く続きませんでした。夫が突然、離婚を切り出したんです」

辻川のタイピングする手が止まった。

「理由は教えてくれませんでした。ただ、(すまない)とだけ」

由紀子は静かに目を伏せた。

「あたしは何もわかりませんでした。何がいけなかったのか。どうして家族を壊すのか。 夫は何も話してくれませんでした」

取調室の空気が再び重く沈む。

「でも、今ならわかります。あの人は、あの人なりに家族を守ろうとしていたんです」

石原は眉根を寄せて訊ねた。

「守る?離婚して、守るんですか?」

「はい、あの人はあたしたちには言えない影を抱えていました。その影があたしたちの家族を呑み込もうとしていたんです」

由紀子はゆっくり顔を上げて石原を見た。

「だから、あの人は離れたんです。あたしと美桜を守るために」

その瞳には確信が宿っていた。

「ここまではまだ序章です」

由紀子は一度テーブルに視線を落としてから、石原に向き直った。

「本当に恐ろしいのはこのあとです。美桜が…、美桜が追われるようになった理由も、あたしがここに来た理由も、全部これからお話しします」

取調室の時計の長針が動いて、カチンと音を立てた。


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