閑話 おふろ
夕方だった。
鴉樽は今日も賑やかだった。
ミナが奥を覗く。
「ヴィク。」
「お風呂だよ。」
返事はない。
「ヴィク?」
静かだった。
ミナは首を傾げる。
「……。」
その時。
店の奥から。
小さな足音。
たったったったっ。
ヴィクだった。
ミナと目が合う。
止まる。
数秒。
見つめ合う。
ヴィクはにこっと笑った。
「ばいばい!」
次の瞬間。
脱兎の如く走り出した。
「こらー!」
ミナも追い掛ける。
店中が笑いに包まれた。
「始まったな。」
常連は酒を飲みながら笑う。
「今日はどこまで逃げる。」
ヴィクは机の下へ潜る。
「あっち!」
反対へ飛び出す。
椅子の陰。
樽の裏。
犬の後ろ。
「ままぁ!」
犬は尻尾を振る。
「わふ!」
だが。
助けてはくれない。
ヴィクはさらに走る。
主の後ろへ隠れた。
煙草の煙が揺れる。
主は動かない。
ヴィクは服を掴む。
「しー。」
主は煙草を一口吸った。
「見えてる。」
「……。」
ヴィクはそっと顔を出す。
ちょうど。
ミナと目が合った。
「あ。」
「見つけた。」
「やー!」
また逃げる。
店中が大笑いだった。
レオが肩を震わせる。
「何で風呂だけなんだ。」
ログが帰ってくる。
「何だ。」
常連が親指でヴィクを指した。
「風呂。」
ログは一つ頷く。
「そうか。」
ヴィクはログを見る。
少し考える。
それから。
一番奥へ走った。
「やー!」
ログは歩く。
急がない。
逃げ道だけを塞ぐ。
ヴィクは右へ。
左へ。
戻る。
気付けば。
目の前にはログ。
後ろにはミナ。
ヴィクは立ち止まる。
左右を見る。
逃げ道はない。
しばらく考えた。
それから。
両手を上げる。
「まけた。」
店中が吹き出した。
ログはヴィクを抱き上げる。
「最初から入れ。」
「や。」
「入る。」
「や。」
そのまま。
奥へ連れて行かれる。
しばらくして。
湯気が立ち始めた。
「いやー!」
という声が聞こえた。
その五分後。
「あったかーい。」
今度は上機嫌な声が響く。
ミナが苦笑する。
「だから言ったでしょ。」
主は煙草を灰皿へ押し付けた。
「毎日やるのか。」
常連が笑う。
「明日もだろ。」
「酒一杯賭けるか。」
「乗った。」
その日も。
鴉樽は。
いつも通りだった。




