第6章 ③
鴉樽は静かだった。
誰も騒がない。
酒を飲む者。
飯を食べる者。
笑う者。
いつも通りだった。
白衣は店を見回す。
「動かないんですか。」
ログが主を見る。
主は煙草を吸う。
「動いてる。」
白衣は首を傾げた。
「……え?」
レオも辺りを見る。
誰も席を立っていない。
誰も武器を持っていない。
主は煙を吐いた。
「見ろ。」
白衣は静かに口を開く。
「諜報部隊は。」
「軍直属ではありません。」
「軍の命令を受ける部隊です。」
「潜入。」
「監視。」
「情報収集。」
「必要なら暗殺。」
ログが聞く。
「強いのか。」
白衣は首を横へ振る。
「強いというより。」
「迷いがありません。」
「繋がれた人間です。」
レオが眉をひそめる。
「繋がれた……?」
白衣は自分の腕を見る。
薄くなった赤い線。
「機構へ接続された人間は。」
「命令を疑いません。」
「命令が絶対です。」
「だから。」
「潜入にも暗殺にも向いています。」
少しだけ黙る。
「私も。」
「あちら側でした。」
店が静まり返る。
白衣は静かに続けた。
「ですが。」
「私の赤線は薄くなっています。」
「理由は分かりません。」
「ただ。」
「黒帳が壊滅した時期と一致しています。」
レオが聞く。
「つまり?」
「仮説です。」
白衣はゆっくり答える。
「機構との繋がりが弱まれば。」
「他の人間も。」
「元へ戻る可能性があります。」
ログが白衣を見る。
「助けられるのか。」
白衣は少しだけ目を伏せた。
「……分かりません。」
「ですが。」
「初めて希望が見えました。」
再び腕を見る。
「赤線を隠すために。」
「手首や腕を隠している可能性があります。」
その時だった。
常連が一人笑った。
「何だ。」
「そんな事か。」
レオが見る。
「何だよ。」
別の常連が肩を竦める。
「見りゃ分かる。」
「この時期に。」
「肘まで隠してる奴。」
「目立つ。」
店の空気が少しだけ緩む。
「市場は俺。」
「東区は任せろ。」
「西区は俺だ。」
「酒場なら毎日いる。」
「賭場も見てくる。」
「今日は酒代勝負だ。」
「あんまり飲み過ぎんなよ。」
笑い声が響く。
一人。
また一人。
常連達は普段と変わらない顔で店を出て行く。
白衣は目を見開いた。
「命令を……。」
主は首を横へ振る。
「してない。」
「え……?」
ログは苦笑する。
「いつもの事だ。」
レオも肩を竦めた。
「面白そうだと思ったら。」
「勝手に動く。」
「しかも。」
「勝手に戻ってくる。」
主は煙草を一口吸う。
「地下街だ。」
翌日の夕方。
鴉樽には。
いつものように常連が集まっていた。
酒を飲みながら。
何気ない顔で口を開く。
「三人。」
「西区。」
「腕を隠してた。」
別の男が言う。
「市場に二人。」
「歩き方が違う。」
さらに一人。
「南通路。」
「酒を飲まずに人だけ見てた。」
レオは思わず息を呑む。
「何でそんなに分かるんだ……。」
常連が酒を飲む。
「地下街だから。」
別の男が笑う。
「鼻が利かねぇと。」
「生き残れねぇ。」
誰も笑わない。
それは冗談ではなかった。
裏切り。
盗み。
縄張り争い。
昨日まで隣にいた奴が。
今日はいなくなる。
そんな場所で。
長く生きるには。
違和感を見逃さないこと。
それだけだった。
白衣は静かに息を吐く。
「……情報網。」
主は煙草を一口吸う。
「ああ。」
「地下街だ。」




