第5章 ⑨
待ち人
地下道は静まり返っていた。
頭領は動かない。
主も動かない。
煙草の煙だけが、ゆっくりと揺れている。
短い沈黙。
やがて頭領が口を開いた。
「……鴉樽」
主は答えない。
煙草を一口吸う。
頭領は苦く笑った。
「やはりお前がいたか」
主は静かに灰を落とす。
「逃げ道だからな」
頭領は周囲を見る。
狭い地下道。
後ろにはログ。
前には主。
逃げ場はない。
「最初から読まれていたか」
「ああ」
短い返事だった。
頭領は肩を竦める。
「聞いてもいいか」
「何だ」
「お前は何者だ」
主は少しだけ笑った。
「酒飲みだ」
頭領も笑う。
「そんな酒飲みがいてたまるか」
主は何も言わない。
再び煙草を吸う。
頭領は目を細めた。
「黒帳は、お前に手を出すなと言われていた」
「理由は知らされなかったが、今日ようやく分かった」
主は静かに答える。
「そうか」
頭領は続ける。
「上はお前を知っている」
「ああ知ってる」
主の表情は変わらない。
頭領は息を吐いた。
「黒帳はただの道具だ。俺も道具に過ぎん」
主は小さく頷く。
「そうだろうな」
「鉄杭、黒帳、名前は変わる。だがやる事は変わらん。」
頭領は目を伏せた。
「ずっとそうして続いてきた」
主の目が細くなる。
「飽きんな」
その一言だけだった。
頭領は苦笑する。
「止められん。俺一人では」
「知ってる」
主は短く答えた。
「だから、今日はお前で終わりだ」
頭領は首を横へ振る。
「いや、俺は終われんよ」
懐へ手を入れる。
小さな筒を取り出した。
主は動かない。
頭領は静かに笑う。
「勝てない相手とは戦わない」
筒を地面へ叩きつけた。
乾いた音。
白い煙が一気に広がる。
ログが叫ぶ。
「主!」
煙が地下道を包む。
やがて白い煙がゆっくりと晴れていく。
頭領の姿はもうどこにもなかった。
足元には。
黒い帳面が一冊。
主はしゃがみ込み、それを拾い上げる。
表紙についた埃を親指で払う。
黒い革。
中央には、小さく文字が刻まれていた。
『黒帳』
主はしばらく見つめる。
「……黒帳か」
静かに帳面を閉じた。
ログが駆け寄る。
「逃げられた」
悔しそうに拳を握る。
主は帳面を懐へしまう。
「……やはりな」
煙草を灰皿代わりの石へ押し付ける。
「十分だ、黒帳は終わる」
レオが辺りを見回した。
「……上は」
主は新しい煙草へ火をつける。
小さく煙を吐いた。
「まだだ」
その二文字だけが。
静かな地下道へ、長く残った。




