第1章 ⑤
第1章 地下街育児戦争、開幕⑤
入口に立っていたのは。
恰幅のいい女だった。
胸に赤ん坊を抱いている。
自分の赤ん坊のようだった。
住人が息を切らしながら言う。
「西区の乳母さんだ!」
「頼めば乳をくれるって!」
部屋中がどよめいた。
「おお……!」
「助かった……!」
乳母は部屋を見回す。
主を見る。
ログを見る。
ミナを見る。
そして。
眉を寄せた。
「何よこの空気」
「みんな顔面蒼白じゃないの」
主が咳払いする。
「別に」
「おしめで消耗しただけだ」
乳母は片眉を上げた。
「男が三人がかりで一枚のおしめに苦戦したの?」
「ああ」
「知恵を絞った」
「誇るとこじゃないでしょ」
ミナが赤ん坊を差し出す。
「お願いします!」
「お腹すかせてて……!」
乳母は赤ん坊を覗き込む。
顔つきが変わった。
優しい顔になる。
「あらあら」
「ちっちゃいこと」
赤ん坊を受け取る。
慣れた手つきだった。
すぐに乳を与え始める。
部屋が静まる。
赤ん坊が吸い付く音だけが響いた。
「……」
全員がその光景を見つめる。
ログがぽつりと言う。
「静かだな」
「初めてまともに静かだ」
主も頷く。
「らしいな」
乳母がふと顔を上げた。
「それで」
「この子の母親は?」
部屋の空気が変わった。
一瞬で。
誰も答えなかった。
医者が口を開く。
「死んだ」
短く。
事実だけを告げた。
乳母の手が止まる。
赤ん坊を見る。
「……そう」
それ以上は聞かなかった。
長年この街にいる者の顔だった。
主が腕を組む。
「父親は分からん」
「母親は名も名乗らず逃げてきた」
「傷だらけだった」
医者が付け加える。
「相当な距離を逃げてきている」
「追われていた可能性が高い」
ログが低く言う。
「誰かから」
「何かから」
部屋がまた静かになった。
乳母は赤ん坊を見下ろす。
小さな寝顔だった。
「……この子、名前は?」
誰も答えられなかった。
ミナが俯く。
「聞けなかった」
「最後まで」
主が天井を見上げる。
「……そうか」
しばらく。
誰も口を開かなかった。
乳母がぽつりと言う。
「じゃあ」
「これからどうするの、この子」
全員の視線が。
再び。
自然と主へ向いた。
主は舌打ちした。
「何で俺を見る」
「「「大人だから」」」
声が揃った。




