第十四章 ②
《鴉樽》の奥の卓では、夕食の忙しさがひと段落すると、決まって札遊びが始まる。
ヴィクがまだ小さかった頃から続いている、常連たちの楽しみの一つだった。
数字を揃える遊びも、同じ絵柄を集める遊びも、ヴィクはとっくに覚えている。札を配る役を任されたこともあれば、手の空いた常連に相手をしてもらったこともあった。
ただし、今夜の卓に並んでいるのは、いつもの遊びとは少し違う札だった。
「よし、二枚替える」
「俺は一枚だ」
「おいおい、そんなに悩むなよ」
男たちは手札を覗き込みながら、互いの顔色をうかがっている。
ヴィクは空いた皿を運ぶ途中で足を止めた。
「なあ、それ、俺もやっていいか?」
常連の一人が顔を上げる。
「ポーカーか?」
「うん」
「ルールは分かるのか?」
「知ってるよ。揃った札が強いんだろ?」
「それだけじゃ勝てねえぞ」
「やってみなきゃ分かんねえだろ!」
男たちは顔を見合わせ、面白そうに笑った。
「いいぞ。そこ座れ」
「本当に?」
「ただし、金は賭けねえ。負けても文句なしだ」
「分かってる!」
ヴィクは皿を厨房へ届けると、急いで戻ってきた。
椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばす。
その様子を見ていた常連が、口元を緩めた。
「何だよ、急に行儀よくなって」
「勝負だからな」
「ほう。立派なもんだ」
札が配られた。
ヴィクは五枚の手札を扇のように広げ、慎重に確認する。
同じ数字が二枚。
悪くない。
「どうだ、ヴィク。いい札か?」
「……普通」
「そうかそうか」
男は笑いながら、自分の札へ目を落とした。
ヴィクは一枚ずつ札を見直した。もう一組揃えば、もっと強くなる。だが、どれを残すか迷っているうちに、隣の男が先に交換を終えてしまった。
「ヴィク、何枚替える?」
「……三枚」
「はいよ」
新しい札が渡される。
ヴィクはそっと覗いた。
同じ数字が、もう二枚。
思わず口元が上がった。
「おっ」
向かいの常連が声を漏らす。
「何だよ!」
「いや、別に?」
「何でもねえなら黙ってろよ!」
「はいはい」
勝負が始まった。
ヴィクは勢いよく札を卓へ並べた。
「ツーペア!」
「おお、やるじゃねえか!」
隣の男が感心したように言う。
だが、向かいの常連は笑いながら札を開いた。
「悪いな。こっちはスリーカードだ」
「えっ!」
「俺の勝ちだ」
ヴィクは並んだ札を見比べた。
「……何でだよ!」
「何でって、三枚揃ってる方が強えんだよ」
「それは知ってる!」
「じゃあ何で驚くんだ」
「俺の方が勝ってると思ったんだよ!」
常連たちがどっと笑った。
「お前、札を引いたときに笑っただろ」
「笑ってねえ!」
「笑ってたって。いい札が来たって顔に書いてあったぞ」
「そんなことねえよ!」
「じゃあ、もう一回やるか?」
「やる!」
ヴィクはすぐに札を集めた。
次こそは顔に出さない。
そう決めて、今度は口を真一文字に結んだ。
配られた札を確認しても、表情を変えない。
「……」
「……」
「おい、ヴィク」
「何だよ」
「そんな怖い顔してどうした」
「何でもねえ!」
男たちはまた笑った。
ヴィクには、何がおかしいのか分からなかった。
◇
「おう、何やってんだ?」
しばらくして、ログが酒の杯を片手にやって来た。
「見りゃ分かるだろ。勝負してんだよ!」
「へえ。勝ってるのか?」
「……これから勝つ」
「なるほどな」
ログは空いている椅子を引き、ヴィクの隣に腰を下ろした。
「お前ら、子供相手に本気か?」
「本気でやらなきゃ怒るんだよ、こいつ」
「当たり前だろ!」
ヴィクが言い返すと、ログは笑った。
「じゃあ、俺も一回混ぜろよ」
「いいぞ。ただし、ヴィクに助言するのはなしだ」
「分かってるって」
札が配られる。
ログは手札を一度見ただけで、卓へ伏せた。
ヴィクは横目で様子をうかがったが、何を考えているのかさっぱり分からない。
「ログ、いい札なのか?」
「さあな」
「教えろよ」
「勝負中だぞ?」
「ちぇっ」
札の交換が終わり、男たちが順番に手を開いた。
ヴィクはワンペア。
常連の一人がツーペア。
もう一人は役なしだった。
「で、ログは?」
「俺か?」
ログはゆっくり札を並べた。
「おっ、スリーカード!」
ヴィクが声を上げる。
「やるじゃねえか、ログ!」
「おう」
「でも、俺も次は勝つからな!」
「楽しみにしてるよ」
ヴィクは腕を組んだ。
ログの顔を見ていても、いい札か悪い札か分からなかった。
何か秘密があるのだろうか。
「なあ、ログ」
「何だ?」
「どうやったら顔に出さずに済むんだ?」
「顔に出さなきゃいいんだよ」
「それができねえから聞いてんだろ!」
「ははは!」
ログは笑いながら杯を持ち上げた。
「だったら、相手の顔を見る方から覚えろよ」
「相手の?」
「そうだ。自分の札ばっかり見てたら、向こうが何考えてるか分かんねえだろ」
ヴィクは常連たちを見回した。
一人は笑っている。
もう一人は酒を飲んでいる。
向かいの男は、いつもと変わらない顔で札を切っていた。
「……分かんねえ」
「そりゃ、すぐには分かんねえよ」
ログは笑った。
「何回もやってりゃ、そのうち分かるさ」
「じゃあ、もう一回!」
「お前、明日の朝起きられんのか?」
「起きられる!」
「本当かあ?」
「起きられるって!」
そのとき、厨房からミナの声が飛んできた。
「ヴィク! 明日の仕込みを手伝うって言ってたでしょう!」
「あっ!」
「札遊びはそこまで!」
「あと一回!」
「駄目!」
ヴィクは未練がましく手札を見つめた。
常連の一人が肩を叩く。
「続きはまた明日だな」
「……明日は絶対勝つからな!」
「おう、待ってるぞ!」
ヴィクが立ち上がると、ログも椅子から腰を上げた。
「頑張れよ、大人」
「ログも手伝えよ!」
「俺は今、忙しい」
「酒飲んでるだけじゃねえか!」
常連たちの笑い声が重なった。
ログは杯を持ったまま、ヴィクの頭を軽く小突いた。
「ほら、行ってこい」
「ちぇっ!」
ヴィクは厨房へ向かいながら、明日の勝負のことを考えていた。
札の揃え方は分かる。
強い役も覚えている。
それでも勝てないのは、どうやら札以外にも覚えることがあるかららしい。
厨房へ入る直前、ヴィクは振り返った。
卓ではログが再び札を配られ、常連たちと笑っていた。
その顔からは、やっぱり何も読み取れなかった。
「……絶対、勝ってやる」
ヴィクは小さく呟き、ミナの待つ厨房へ入っていった。




