第十三章 ④
王太子の執務室に、関所の徴収記録が運び込まれたのは、《鴉樽》で荷運びの男の話を聞いてから三日後のことだった。
「西街道、川向こうの関所でございます」
役人が机の上に書類を並べた。
通行料の規定、過去一年の徴収額、領主から提出された収支報告。いずれも形式は整っており、記載された数字にも目立った不自然さはなかった。
「車輪の幅に関する規定は?」
「ございます。ただし、追加徴収が認められるのは、通常より幅の広い荷車に限られます」
「どれほど広ければ該当する」
「こちらに記載が」
役人が該当箇所を示した。
王太子は目を通し、次の書類を手に取った。
「去年と比べて、規定に変更はあるか」
「ございません」
「では、追加徴収の件数は?」
「……少々お待ちください」
役人は記録を繰った。
「こちらには、該当する徴収が記載されておりません」
「一件もか?」
「はい」
王太子は椅子の背にもたれた。
《鴉樽》で聞いた話では、荷運びの男は確かに金を払っていた。ほかにも同じように止められた荷車があったという。
ところが、役所の記録には一件もない。
「領主からの報告は、誰が確認している」
「街道管理局を経由し、財務局へ送られております」
「現地で徴収した金額と、提出された記録を照合する仕組みは?」
「定期監査がございます」
「最後の監査はいつだ」
「半年前でございます」
「その監査で、問題は見つかったか」
「いえ。異常なしと報告されております」
王太子は机を指で軽く叩いた。
「では、現地を調べさせろ」
「殿下。すでに監査を通過しておりますが」
「だから調べるのだ」
役人は口を閉じた。
「今回は、帳簿だけを見て帰るな。実際に通行した荷車の持ち主にも話を聞け。徴収札が残っていれば、それも確認するように」
「承知いたしました」
「それから、監査を担当した者も調べておけ」
「……監査官も、でございますか」
「異常なしと報告したのだからな。何を確認したのか、聞いておく必要がある」
役人は一礼し、書類をまとめて退室した。
王太子は机の上に残った街道図を眺めた。
一本の道。
その途中にある、小さな関所。
王宮へ届く報告書では、何の問題もない場所だった。
だが、そこを通る者たちは違う話をしていた。
「……報告書だけでは分からんな」
王太子は小さく呟いた。
◇
午後、王太子は父王の執務室を訪れた。
国王は机に積まれた書類を前に、難しい顔をしていた。
「父上」
「何だ」
「少しお時間をいただけますか」
「お前が代わりに決裁してくれるなら、いくらでもやるぞ」
「その話は先日お断りしました」
「そうか。残念だ」
国王は筆を置いた。
「それで?」
「西街道の関所について、調査を命じました」
「関所?」
「規定にない徴収が行われている疑いがあります」
王太子は、これまでに確認した内容を説明した。
国王は黙って聞いていたが、最後に一つ尋ねた。
「その話は、どこから入った」
「酒場です」
「……酒場?」
「はい」
国王は息子の顔を見た。
「お前、また城を抜け出しているのか」
「護衛はつけております」
「そういう問題ではない」
「父上も以前、各地を見て回ることの大切さをお話しになったではありませんか」
「それはそうだが……」
国王はしばらく考え、眉を寄せた。
「どこの酒場だ」
「《鴉樽》です」
国王の手が止まった。
「……ログのいる店か?」
「ご存じでしたか」
「知っているとも」
国王は椅子に深く座り直した。
「お前、あの男と付き合っているのか」
「時々、話をしております」
「……そうか」
国王は何とも言えない顔をした。
王太子が首を傾げる。
「何か問題でも?」
「いや。問題というほどではないが」
「では?」
「菓子をねだられなかったか?」
王太子は目を見開いた。
「父上もですか!」
「やはりか!」
二人は顔を見合わせた。
そして、ほとんど同時に笑い出した。
「まったく、あの男は!」
「王宮を菓子のうまいところだと言っておりました」
「ははは! それは傑作だ!」
国王は腹を抱えて笑った。
ひとしきり笑ったあと、王太子が尋ねた。
「父上。ログを王宮に迎えようと思われたことは?」
「あるぞ」
「やはり」
「断られたがな」
「私もです」
「そうだろうな」
国王は楽しそうに笑った。
「ヴィクがいるから離れたくないそうです」
「ああ。あの子か」
国王は頷いた。
「以前、菓子を持たせたときも、ずいぶん喜んでおった」
「私のところでも、菓子を持たせました」
「それで?」
「次からは、店へ持参するよう言われました」
「はははは!」
国王はまた笑った。
「父上、笑いすぎです」
「いや、すまん。あの男らしいと思ってな」
王太子も苦笑した。
やがて国王は笑いを収め、息子を見た。
「それで、お前はあの男をどう思う」
「面白い男です」
「それだけか」
「私とは、物の見方が違います」
「ほう」
「私は制度をどう変えるか考えますが、ログは制度そのものより、そこで暮らす者が困っていることを先に見ます」
国王は静かに頷いた。
「それは、王宮にいると忘れがちなことだな」
「はい」
「だから酒場へ通っているのか」
「それもありますが……」
王太子は少し考えた。
「単純に、話していて楽しいのです」
国王は息子を見つめた。
それから、穏やかに笑った。
「そうか。それならよい」
◇
数日後。
西街道の関所へ、王都から二人の調査官が派遣された。
彼らは街道管理局の監査とは別の命令書を携え、現地の徴収記録と、通行した荷車の持ち主から話を聞き始めた。
最初のうちは、関所の役人たちも落ち着いていた。
規定は守っている。
帳簿にも問題はない。
半年前の監査でも異常は見つからなかった。
そう説明すれば済むと思っていた。
ところが、調査官が持ち出したのは帳簿ではなかった。
「こちらの徴収札について、お尋ねしたい」
机に置かれたのは、荷運びの男が保管していた一枚の札だった。
関所の印が押され、日付と金額が記されている。
しかし、その金額は正式な徴収記録には載っていなかった。
「これは、どの帳簿に記載されていますか」
関所の役人は答えられなかった。
◇
その頃、《鴉樽》では。
「おい、ログ!」
荷運びの男が勢いよく店へ入ってきた。
「何だよ、うるせえな」
「この前の兄ちゃん、今日はいねえのか?」
「王子か?」
「そうそう、あの兄ちゃん!」
男は卓に腰を下ろし、酒を注文した。
「関所に調査が入ったんだよ!」
「へえ」
「しかも今度は、帳簿だけ見て帰るんじゃなくて、俺たちにも話を聞いてくれたんだ」
「よかったじゃねえか」
「ああ! あの兄ちゃんが何かしてくれたのかと思ってよ」
「そうじゃねえの?」
ログは気楽に答えた。
男は笑った。
「だったら礼を言わなきゃな!」
「また来るだろ」
「そうか。じゃあ次に会ったら酒でも奢るか!」
近くにいた常連が吹き出した。
「お前、あの兄ちゃんに酒奢るのか?」
「何だよ。駄目なのか?」
「いやいや、いいんじゃねえか!」
常連たちが顔を見合わせ、笑いをこらえている。
ミナが厨房から顔を出した。
「何? 何か面白い話?」
「この前の兄ちゃんに酒奢るんだとよ!」
「へえ! いいじゃない!」
ミナはにやりと笑った。
「きっと喜ぶわよ」
ログも笑った。
「じゃあ、来たら教えてやるよ」
「頼んだぞ!」
荷運びの男は満足そうに酒を飲み始めた。
その夜、《鴉樽》では、王太子に酒を奢るという話がしばらく笑いの種になった。
そして当の王太子は、まだ何も知らなかった。




