第十三章 ①
王宮からの使者が帰ったあと、ログはしばらく黙っていた。
「……なあ」
「何だ」
古参が答える。
「王太子って、何する奴だ?」
「次の王様だよ」
「それは知ってる」
「なら何を聞いてるんだ」
「何で俺を呼ぶんだよ」
「俺が知るか」
ログは腕を組んだ。
前に王宮へ行ったときは、国王を助けた礼だと言われた。
そのあと五日も帰してもらえず、やたら柔らかい寝台に寝かされ、食事のたびに知らない料理が出てきた。
帰るときには菓子ももらった。
悪いところではなかったが、できれば何度も行きたくはない。
「また泊まれって言われるかな」
「今回は王太子殿下からの呼び出しだろう」
「だから何だよ」
「陛下とは別の用件かもしれん」
「面倒くせえなあ」
向かいでヴィクが顔を上げた。
「ログ、おしろいくの?」
「おう。ちょっと行ってくる」
「おかし?」
「……ああ」
ログは頷いた。
「もらえたら持って帰る」
「いっぱい?」
「聞いてみる」
古参が額を押さえた。
「お前、王太子殿下に菓子をねだるつもりか」
「駄目なのか?」
「普通はやらん」
「じゃあ普通じゃなきゃいいだろ」
「そういう話じゃない」
ログはもう聞いていなかった。
ヴィクに何の菓子がいいか尋ねている。
◇
翌朝、ログは王宮から迎えに来た馬車に乗った。
今回は騎士が二人ついていた。
「ずいぶん大げさだな」
「王太子殿下からの正式なお招きですので」
「ふうん」
ログは窓の外を眺めた。
前に来たときと同じ門を通り、馬車は建物の前で止まった。
案内されたのは、前に泊まった部屋とは別の棟だった。
廊下を進み、扉の前で騎士が立ち止まる。
「殿下。ログ殿をお連れしました」
「入れ」
中から男の声がした。
扉が開く。
部屋には大きな机があり、その上には書類と地図が広げられていた。
窓際に立っていた男が振り返る。
若い。
国王に似た顔立ちをしているが、目つきは少し鋭かった。
「お前がログか」
「おう」
案内の騎士が小さく咳払いをした。
ログはそちらを見た。
「何だ? 風邪か?」
「……いえ」
王太子が笑った。
「構わん。下がってよい」
騎士たちは一礼して退室した。
扉が閉まると、王太子はログを改めて眺めた。
「父上を助けた男と聞いていたが、ずいぶん気楽だな」
「助けたっていうか、たまたまいただけだぞ」
「そのたまたまで、父上は命を拾った」
「そうなのか?」
「本人から聞いていないのか」
「礼は言われた。飯も食わせてもらった」
「ほう」
「菓子もうまかった」
王太子は一瞬、言葉を失った。
「……菓子?」
「おう。ヴィクが喜んだ」
「ヴィクとは誰だ」
「うちの子」
「子がいるのか」
「四つだ」
ログは指を四本立てた。
王太子は椅子を勧め、自分も机の向こうに座った。
「父上から、お前の話を聞いている」
「何て?」
「妙な男だと」
「ひでえな」
「それから、機構を見つけたのもお前だそうだな」
「昔の話だぞ」
「十九年前だ」
「よく覚えてるな」
「国の記録に残っている」
「へえ」
ログは机の上の地図を眺めた。
国境沿いに、細かい印がいくつも書き込まれている。
「これ、何だ?」
「街道だ」
「こっちは?」
「関所と砦だ」
「何でこんなにあるんだ?」
「国境だからな」
「いや、こっち」
ログは国内の街道を指した。
「ここからここまで行くのに、三つも関所があるだろ」
「あるな」
「面倒じゃねえか?」
王太子は少し身を乗り出した。
「お前もそう思うか」
「だって、荷車で通るたびに止められるんだぞ。金も取られるし」
「そうだ。しかも、その金が国庫に入るとは限らん」
「何で?」
「通行権を持つ貴族がいるからだ」
「へえ。そいつら、いい商売してんな」
「まったくだ」
王太子は苦笑した。
「父上がようやく、その連中を調べ始めた」
「悪いことしてんのか?」
「法に触れぬ範囲で、好き放題している者もいる」
「じゃあ法を変えりゃいいじゃねえか」
「簡単に言うな」
「難しいのか?」
「難しい。土地も商売も、長年の取り決めが絡んでいる。いきなり取り上げれば、別の混乱が起きる」
「ふうん」
ログは地図を見た。
「でも、通る奴は困ってんだろ?」
「ああ」
「じゃあ、何とかしなきゃな」
王太子はしばらく黙っていた。
それから、声を上げて笑った。
「お前は本当に簡単に言うな!」
「だって俺、王様じゃねえもん」
「それはそうだ!」
王太子は椅子の背にもたれた。
ここ数日、彼の周囲では誰もが言葉を選んでいた。
逮捕された貴族の親族、職を失った役人、処分を恐れる軍人。
誰もが自分の立場を気にして話す。
ところが目の前の男は、そんなことを一つも考えていないらしい。
「お前、今は何をしている」
「鴉樽にいる」
「酒場だったな」
「おう。ヴィクもいるし」
「そこで働いているのか?」
「手伝ったり、頼まれごとしたり」
「何でも屋か」
「そんな感じ」
「王宮で働く気はないか」
「ねえな」
即答だった。
王太子は目を丸くした。
「まだ何も説明していないぞ」
「毎日ここまで来るの、面倒だろ」
「住めばよい」
「ヴィクは?」
「連れてくればよいだろう」
「やだ」
「なぜだ」
「鴉樽にみんないるから」
ログは当たり前のように答えた。
王太子は少し考え、それ以上は勧めなかった。
「そうか」
「おう」
「なら、また話を聞きたくなったら呼んでもよいか」
「暇だったらな」
「王太子の呼び出しを暇かどうかで決めるのか」
「忙しかったら来られねえだろ」
「……それもそうだな」
王太子はまた笑った。
気がつけば、予定していた時間を大幅に過ぎていた。
扉の外から控えめな声がした。
「殿下。次のお約束のお時間でございます」
「ああ。分かった」
王太子は立ち上がった。
「今日は面白かった。また来い」
「おう」
ログも立ち上がり、扉へ向かった。
そこで何かを思い出したように振り返る。
「あ、そうだ」
「何だ」
「帰りに菓子くれ」
「……何?」
「菓子。ヴィクに土産」
王太子はログを見つめた。
「お前は王宮を何だと思っている?」
「菓子のうまいところ」
沈黙が落ちた。
次の瞬間、王太子が腹を抱えて笑い始めた。
「はははは! 父上が妙な男だと言った意味が分かった!」
「何だよ。くれねえのか?」
「やる! 好きなだけ持って帰れ!」
「おお! ありがとな!」
ログは満足そうに笑った。
王太子は侍従を呼び、菓子を用意するよう命じた。
それから、ふと思いついて付け加えた。
「子供が喜びそうなものを頼む」
「かしこまりました」
侍従が下がる。
王太子はまだ笑っていた。
「まったく。父上の命を救った男が、褒美に欲しがるものが菓子とはな」
「俺が食うんじゃねえぞ」
「分かっている。ヴィクだったな」
「おう!」
その日、ログは大きな菓子箱を抱えて《鴉樽》へ帰った。
ヴィクは大喜びした。
古参は箱の王家の紋章を見て、しばらく黙っていた。
「……お前、本当にねだったのか」
「くれたぞ?」
「そういう問題じゃない」
ログは箱を開け、ヴィクに菓子を選ばせた。
その頃、王宮では。
王太子が次の会議を終え、侍従に尋ねていた。
「鴉樽という店は、どの辺りにある?」
「……殿下?」
「いや。一度、行ってみようと思ってな」
侍従は嫌な予感がした。
王太子は、実に楽しそうだった。




