第十二章 ③
王太子が執務室へ入ってきたとき、王は軍から届いた報告書を読んでいた。
「父上」
「来たか。報告は読んだな」
「はい」
「ならば話は早い。今回の件について、お前にも知っておいてもらいたいことが――」
「なぜ、あの者たちの財産を押さえていないのですか」
王は顔を上げた。
「……何?」
「拘束した貴族たちです。屋敷や帳簿は確保したとありますが、財産については調査中となっています」
「当然だろう。すべてが不正に得たものとは限らん」
「ですから、処分が決まるまで動かせないようにすべきです」
「その手配はしている」
「ならば結構です」
王太子は頷いた。
王は息子を見た。
普段なら、こんな話を始める前に茶を要求する男である。
今日は椅子に座ろうともしない。
「……ずいぶん熱心だな」
「父上を殺そうとした者たちですから」
「私は無事だ」
「無事だったからといって、許せる話ではありません」
王太子は持ってきた書類を机に置いた。
「それに、問題は暗殺計画だけではありません」
「何だ、それは」
「以前から気になっていたことをまとめました」
王が書類を開く。
そこには、王国内で特定の貴族に認められている独占権や、各地の通行税、軍への物資納入に関する契約などが並んでいた。
「……これは」
「留学中に他国の制度を見て、気になったものです。帰国してからも調べていました」
「お前が?」
「はい」
王は息子の顔を見た。
「お前、留学先では毎日のように出歩いていたと聞いているが」
「出歩いていましたよ」
「市場や酒場ばかりだろう」
「市場や酒場でなければ分からないこともあります」
王太子は書類の一か所を指した。
「例えば、こちらです」
王国内のある街道では、特定の貴族家が通行税の徴収権を持っていた。
もともとは街道の整備費用を賄うために認められた権利だった。
しかし、整備費用が回収された後も徴収は続いている。
「街道の維持管理は、今では国の予算で行われています。それなのに、通行税はそのままです」
「……確かに」
「しかも、徴収額を決めるのもその家です。商人たちは遠回りをするか、税を払うしかありません」
「なぜ今まで問題にならなかった」
「問題にはなっています。商人たちの間では」
王太子は別の書類を開いた。
「ただ、訴えを出しても、その貴族家と関係のある役人のところで止まってしまうようです」
王は黙って目を通した。
「ほかにもあります。特定の商会にしか認められていない取引、実態のない管理費、軍への納入価格を決める権利。いずれも、最初は理由があって認められたものです」
「……それが今では利権になっていると」
「はい」
王太子は頷いた。
「今回、機構の利用を再開させようとした貴族たちも、同じです」
王は報告書へ視線を移した。
「利益を得る仕組みがあり、それを失いたくなかった。父上が禁止したから、隠れて続けた。それでも足りなくなって、今度は父上を殺そうとした」
「……そうだな」
「ならば、人を処罰するだけでは終わりません」
王太子は机の上に並んだ書類を指した。
「同じような仕組みが残っていれば、別の者が同じことをします」
王はしばらく息子を見つめていた。
「……お前、いつからこんなことを考えていた」
「留学していた頃からです」
「なぜ言わなかった」
「最初は、他国と制度が違うだけだと思っていましたから」
「その後は?」
「調べているうちに、王宮の外で何が起きているのか、もう少し知りたくなりました」
「それなら私に相談すればよかっただろう」
王太子は少し困った顔をした。
「……誰に話が伝わるか、分かりませんでしたので」
「どういう意味だ」
「私の妻の実家も、こうした権利をいくつか持っています」
王は口を閉じた。
「妻自身は関係ありません。ですが、私が何を調べているのか知られれば、実家に伝わる可能性はあります」
「……妻にも話していなかったのか」
「はい」
「私にも?」
「はい」
王は額に手を当てた。
「お前は……」
「申し訳ありません。ただ、証拠も揃っていない段階で騒ぎにしたくなかったのです」
王太子は書類を揃えた。
「今回の調査で、軍と貴族の関係が明らかになりました。これを機に、ほかの制度も見直すべきだと思います」
「簡単に言うな。長年続いてきたものだぞ」
「承知しています」
「権利を取り上げれば、反発もある」
「当然でしょう」
「それが分かっていて言っているのか」
「はい」
王太子は平然と答えた。
「不正に得た権利なら取り上げます。正当に認められた権利でも、今の制度に合わないなら見直します。ただし、必要な補償まで無視するつもりはありません」
「……ほう」
「一度に全部変える必要もありません。まずは今回の事件に関与した者たちが持つ権利から調べればいい」
王は椅子に背を預けた。
目の前にいるのは、確かに自分の息子だった。
政務の席では退屈そうにして、隙があれば王宮を抜け出していた男である。
それが今、軍の再編と貴族の利権について、具体的な話をしている。
「……お前は、王になりたいのか」
王太子は眉を寄せた。
「いいえ」
「即答か」
「できれば、まだ父上に頑張っていただきたいです」
「お前な……」
「ですが」
王太子は、机の上の暗殺未遂事件の報告書を見た。
「私を王にすれば、自分たちの好きにできると思っていたのでしょう」
「……そのようだな」
「父上を殺してまで」
王太子の声が低くなった。
「そんな者たちの望みどおりになるつもりはありません」
王は息子を見た。
「何をする気だ」
「まず、今回の事件に関与した者たちが持つ権利を洗い直します。軍への納入契約も、すべて確認します」
「それから?」
「問題のある制度は改めます。必要なら新しい法律も作ります」
「……お前がやるのか」
「父上のお許しがいただけるなら」
王は考え込んだ。
息子が政務に関心を持ったことは喜ばしい。
しかも、ただ思いつきで口にしているわけではない。
資料を集め、他国の制度と比較し、自国の問題を把握している。
今まで知らなかっただけで、準備はすでに進めていたらしい。
「……分かった」
王太子が顔を上げた。
「今回の事件に関係する権利と契約について、お前に調査を任せよう。ただし、処分を決める前には必ず報告しろ」
「承知いたしました」
「勝手に貴族の屋敷へ押しかけるなよ」
「そんなことはしません」
「軍を動かすのも駄目だ」
「分かっています」
「……本当だろうな」
王太子は不思議そうな顔をした。
「父上。私は別に、戦争がしたいわけではありませんよ」
「そういう心配をしているのではない」
「では、何を?」
王は答えなかった。
息子は一礼すると、書類を持って執務室を出ていった。
扉が閉まる。
しばらくして、王は側近に声をかけた。
「……あれは、本当に私の息子か」
「間違いなく、殿下でございます」
「知っておったのか。あれほど調べていたことを」
「いいえ。私も初めて伺いました」
「そうか……」
王は机に残された資料を手に取った。
各地の税制。
商会の独占権。
軍の納入契約。
そのどれにも、王太子自身が調べた内容が細かく書き込まれていた。
「……できるではないか」
思わず声が漏れた。
今まで、あの息子に国を任せてよいものかと考えていた。
場合によっては、孫が成長するまで自分が王位に留まることも覚悟していた。
だが、どうやらその必要はないかもしれない。
王は窓の外へ目を向けた。
若い頃、外国を巡ってみたいと思ったことがある。
結局、王としての務めがあり、長く国を離れることはできなかった。
息子はずいぶん自由に各国を歩いていたようだが、自分はそうもいかなかった。
「……少し、羨ましいな」
「陛下?」
「いや、何でもない」
王は報告書を閉じた。
まずは今回の事件を片づけなければならない。
軍の立て直しも残っている。
だが、その先のことを考えると、少し楽しみになってきた。
王はもう一度、息子が残した資料を見た。
「……引退しようかな」
「陛下?」
「別邸でのんびりするのも悪くない」
「陛下!?」
側近の声が、執務室に響いた。




