第十二章 ②
王宮から命令が出されたのは、午前のことだった。
軍の主要な施設、王都に屋敷を構える貴族たち、そして最高司令官の執務室。
それぞれに、王直属の騎士と調査官が向かった。
命令の内容は同じだった。
関与が確認された者を拘束し、関連する記録を確保すること。
軍の指揮系統については、あらかじめ指定された者が代行する。
対象者に事前の通知はなかった。
最高司令官がその知らせを受けたのは、執務室で書類を確認しているときだった。
「陛下のご命令により、身柄を拘束いたします」
入ってきた騎士の言葉に、司令官は顔を上げた。
「……何の話だ」
「十九年前の機構利用禁止命令への違反、およびその後の虚偽報告に関する調査でございます」
司令官の視線が、騎士の後ろに立つ調査官へ移った。
「今さら、あの件を持ち出すのか」
「すでに関係する記録と証言は確認しております」
「私は最高司令官だぞ」
「承知しております」
騎士は一歩も引かなかった。
「指揮権は、陛下のご命令により代行者へ移されます」
司令官は机の上に置かれた書類へ目を落とした。
騎士の一人が、その書類に手を伸ばす。
「室内の記録は、すべて調査官が確認いたします」
「待て。それは軍の機密だ」
「王命でございます」
それ以上、司令官は何も言わなかった。
やがて椅子から立ち上がると、騎士たちに囲まれて執務室を出た。
廊下には、いつもどおり軍属たちが行き交っていた。
しかし、司令官が騎士に伴われて歩いてくると、誰もが足を止めた。
何が起きたのか分からないまま、道を開ける。
その間にも、別の部署では関係者の拘束が進んでいた。
ある者は命令書を見せられた途端に黙り込み、ある者は激しく抗議した。
中には、書類を持って逃げようとした者もいたが、建物の出入口はすでに押さえられていた。
王都の貴族街でも、同じことが起きていた。
「王命だと?」
屋敷の広間で、年配の貴族が声を荒らげた。
「私は陛下に長年お仕えしてきたのだぞ!」
「承知しております」
「ならば、陛下に直接お目通りを願う!」
「その件も含め、拘束後にお申し立てください」
「無礼者!」
貴族は杖を床に打ちつけた。
だが、騎士たちは動かなかった。
「お支度をお願いいたします」
「……私を罪人扱いするつもりか」
「身柄の拘束を命じられております」
貴族はしばらく騎士を睨んでいたが、やがて杖を置いた。
別の屋敷では、家令が慌ただしく主人のもとへ駆け込んでいた。
「旦那様、王宮の騎士が!」
「何だと?」
「正門だけでなく、裏門にも……!」
主人が窓から庭を見下ろすと、すでに数名の騎士が配置についていた。
門の外には馬車が待っている。
「……いつからだ」
家令は答えられなかった。
王命による拘束は、王都の各所で同時に進められた。
関係者の屋敷や執務室からは、記録や帳簿が運び出された。
保管庫には封印が施され、出入りできる者も制限された。
その日の夕方までに、主要な対象者の身柄は確保された。
ただし、すべてが滞りなく終わったわけではない。
軍では、突然上官がいなくなった部署もあった。
命令を仰ごうにも、誰に報告すればよいのか分からない者が出た。
王命によって代行者は指定されていたが、長年続いた指揮系統が一日で元どおりに動くはずもなかった。
「この書類は、どちらへ回せばよろしいのでしょうか」
「新しい責任者に確認しろ」
「その責任者が、まだ着任しておりません」
「……では、いったん保留だ」
各部署では、そんなやり取りが繰り返されていた。
一方、王宮には拘束の報告が次々と届けられていた。
王は執務室でそれらを確認し、必要な指示を出していた。
「軍の補給は止めるな。通常の任務についても同様だ」
「承知いたしました」
「関与のない者まで処分する必要はない。混乱に乗じた私怨による告発にも注意せよ」
「はっ」
「それから、拘束した者の取り調べは、担当を分けて進めよ。互いに口裏を合わせる時間を与えるな」
側近が命令を書き留めていく。
王は次の報告書を手に取った。
長年にわたり積み重なっていた問題を、一日で片づけることはできない。
だが、少なくとも、これ以上好き勝手に動かせるわけにはいかなかった。
その頃、王太子は王宮の一室で、久しぶりに手に入れた異国の書物を読んでいた。
机には茶と菓子が置かれている。
そこへ、侍従が入ってきた。
「殿下。陛下より、お知らせがございます」
「父上から?」
「はい。こちらをお預かりしております」
差し出された書類を受け取り、王太子は目を通した。
最初に書かれていたのは、十九年前の機構利用禁止命令に関する調査結果だった。
軍が命令に背いて運用を続けていたこと。
関与した貴族と軍属が特定され、本日、拘束されたこと。
王太子は黙って読み進めた。
「……なるほど」
次の頁をめくる。
そこには、二か月前に起きた王への暗殺未遂事件について記されていた。
実行犯の背後にいた高位貴族たち。
機構の利用再開を望んでいたこと。
そして、王を排除した後、自分を即位させる計画だったこと。
王太子の手が止まった。
「……何だ、これは」
侍従は答えなかった。
王太子はもう一度、同じ箇所を読んだ。
父王を暗殺する。
自分を新たな王として即位させる。
その後、機構の利用禁止を撤回させる。
「……誰が、そんなことを頼んだ」
低い声だった。
侍従は思わず顔を上げた。
普段の王太子は、多少のことでは怒らない。
政務への関心も薄く、どこかへ出かけては気ままに過ごしている。
だが、今は違っていた。
「父上は」
「陛下は、ご無事でございます」
「それは知っている」
王太子は書類を机に置いた。
「この件について、父上と話がしたい」
「お取次ぎいたします」
「今すぐだ」
侍従は深く頭を下げ、急いで部屋を出ていった。
王太子は椅子に座ったまま、机の上の報告書を見つめていた。
留学先で見た他国の制度。
旅先で出会った商人たちの話。
自国へ戻ってからも、気になっていたいくつもの不自然な仕組み。
その中には、特定の貴族だけが利益を得られるものがあった。
おかしいとは思っていた。
いずれ、何とかしなければならないとも考えていた。
だが、そのために父親の命を奪おうとする者がいるとは、思ってもいなかった。
「……ふざけるなよ」
王太子は立ち上がった。
机の上には、読みかけの異国の書物が開いたまま残されていた。




