閑話① 帰還報告
レオたちが《鴉樽》へ戻ったのは、夕方になってからだった。
地下街へ続く階段を下り、いつもの店の扉を開ける。
「おう、帰ってきたか!」
真っ先に声を上げたのは、入口近くに座っていた常連だった。
店内には、昼間から居座っていたらしい顔ぶれが揃っている。
「どうだった? 王様には会えたのか?」
「会えました」
レオが答えると、店のあちこちから声が上がった。
「おお!」
「やったじゃねえか!」
「で、書類は?」
「王に直接お渡ししました。調査も命じられています」
それを聞いて、常連たちはようやく安心したようだった。
レオは空いている椅子に腰を下ろした。
古参も隣に座る。
夫人は奥の席へ案内され、店主が水を運んできた。
「それで、ログは?」
誰かが尋ねた。
レオは少し黙った。
「……王宮です」
「まだ残ってんのか?」
「はい」
「なんでだ? 王様に会えたんなら、あいつの出番はなかったんだろ?」
「そのはずだったんですが……」
レオが言葉を選んでいると、古参が横から口を挟んだ。
「王を襲った賊を捕まえた」
店内が静かになった。
「……誰が?」
「ログが」
「…………は?」
誰もすぐには反応できなかった。
やがて、入口近くの男が口を開いた。
「待て。あいつ、何のために王宮へ入ったんだ?」
「私たちが正規の手続きで王に会えなかった場合に備えてです」
「そうだよな?」
「はい」
「で、手続きは?」
「通りました」
「じゃあ、あいつの出番はなかったんだろ?」
「……そのはずだったんです」
「なんで王様を助けてんだよ!?」
「私が聞きたいです!」
レオは思わず声を上げた。
そもそも、ログを王宮へ入れたのは、正規の手続きだけでは不安があったからだ。
記録院で書類を確認してもらい、王への報告を求める。
それが軍に妨害された場合、別の手段を探さなければならない。
そこで、酒の搬入に紛れてログを潜り込ませた。
樽運びは、あくまで王宮内にいるための口実だった。
ところが、レオたちが記録院で手続きを進めている間に、ログはまったく別の騒ぎを起こしていた。
「厨房で仕事をしていたそうです」
「まあ、何もしねえわけにはいかねえだろうな」
「それから昼食を取りに行って、不審な男を見つけたらしく……」
「ほう」
「後をつけたそうです」
「なんで?」
「気になったからでしょうね」
レオは疲れた顔で答えた。
その男が王のいる場所へ向かい、隠し持っていた刃物で襲いかかろうとした。
ログは男に飛びかかり、取り押さえた。
ただし、王宮の警備から見れば、ログも正体不明の侵入者である。
結果、賊と一緒に拘束された。
「それで、私たちが王のもとへ呼ばれたんです」
「……つまり?」
「ログが捕まったおかげで、王に会えました」
「いや、王様を助けたんだろ?」
「そうなんですが」
「何だそりゃ!」
店の奥から笑い声が上がった。
「相変わらずだな、あいつ!」
「予備で入れた奴が、一番でかい仕事してんじゃねえか!」
「本人は何も考えてなかったんだろうけどな!」
常連たちは好き勝手に言い始めた。
レオは笑えなかった。
十九年前にも、似たようなことがあった。
あのときは、道に迷い予定にないものを見つけてきた。
今回は王宮である。
しかも、王の命まで救ってしまった。
「……本当に、何をしているんでしょうね」
思わず呟くと、古参が肩をすくめた。
「生きてるんだからいいだろう」
「そういう問題ではありません」
「まあ、そうだな」
古参は否定しなかった。
しばらくして、店主が料理を運んできた。
レオがようやく一息ついたところで、別の常連が声をかけた。
「ところで、俺たちの方は役に立ったか?」
「……何の話です?」
「王宮の騒ぎだよ」
レオは顔を上げた。
「何かしたんですか?」
「大したことじゃねえよ。昨日、油の荷が足りなくなるように、ちょっとな」
「……油?」
「王宮へ入る荷車の検査が厳しいって話だったろ? だから、油の方で揉め事が起きりゃ、そっちに人が取られると思ってよ」
レオは古参を見た。
古参も初耳らしく、眉を上げている。
「それで、昨日の油の不足は……」
「俺たちだ」
男は悪びれずに答えた。
「ちゃんと後で帳尻は合わせてあるぞ」
「そういう問題では……」
「で、今日は火事まで起きたろ?」
別の男が話を引き取った。
「あれは都合がよかったな」
レオの手が止まった。
「……まさか、火をつけたんですか?」
「違う違う!」
男は慌てて両手を振った。
「火事は俺たちじゃねえ! 気づいたら騒ぎになってたんだよ」
「では、何を?」
「軍がそっちへ向かってたからな。ついでに、反乱が起きたらしいって噂を流した」
「…………」
「そしたら、面白いくらい人が動いてよ」
レオは額に手を当てた。
記録院に軍の者が押しかけてきたことを思い出す。
彼らは書類の確認を止めようとした。
ところが、火事と反乱の報告を受け、慌ただしく出ていった。
「あれは、あなたたちでしたか……」
「おう。うまくいっただろ?」
「確かに助かりましたが……」
「ならいいじゃねえか!」
常連は満足そうに笑った。
古参が口を開いた。
「火事の原因は、まだ分かっていない。余計なことを言いふらすなよ」
「分かってるって」
「反乱の噂もだ」
「もう流しちまったぞ?」
「これ以上だ」
「おう」
返事だけはよかった。
レオは深く息を吐いた。
王宮では、軍の研究について調査が始まる。
王を襲った賊についても、別に調べが進むはずだ。
その裏で、この店の常連たちが勝手に動いていた。
誰も全体を把握していなかったのに、結果として王への報告までたどり着いてしまった。
「……次からは、先に相談してください」
「相談したら止めるだろ?」
「止めますよ!」
「ほらな!」
店内にまた笑い声が上がった。
夫人も、奥の席で小さく笑っていた。
レオはもう何も言わず、運ばれてきた料理に手をつけた。
そのとき、入口近くの常連が思い出したように尋ねた。
「そういや、ログはいつ帰ってくるんだ?」
「分かりません。確認が済めば帰されると思いますが」
「飯は食わせてもらえてんのか?」
「王宮ですから、食事くらいは出るでしょう」
「寝るところは?」
「客室に置かれると聞きました」
「じゃあ、心配いらねえな」
男はあっさり言った。
「……そうですね」
レオも、それには同意した。
ログが王宮で大人しくしているかどうかは、別の問題だったが。
「まあ、二、三日もすりゃ帰ってくるだろ」
誰かがそう言った。
レオは返事をしなかった。
王宮に残してきたログのことを考える。
両手を縛られたまま、腹が減ったと文句を言っていた。
あの男なら、今頃も騒いでいるかもしれない。
「……早く帰してもらえるといいんですが」
そう呟いて、レオはようやく食事を再開した。
その頃、ログが王宮の客室で何をしているのか。
ここにいる誰も、まだ知らなかった。




