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ログ外伝  作者: T.M
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第1章 今日は勝つ!②

第1章 ②


地下街の夜は、いつも煙と酒の匂いがした。


古い石造りの通路。 湿った壁。 ガス灯の橙色の光。


酒場《鴉樽》は、今日も騒がしかった。


笑い声。 怒鳴り声。 酒瓶のぶつかる音。


その奥の席では、地下街の主がいつのも様に酒を飲んでいる。


誰も近寄らない席だった。


そして


酒場の扉が乱暴に開いた。


「……また来たぞ」


常連の誰かが呟く。


長い外套。 煙草。 壁に寄りかかる癖。


まだ二十にも届かない若造。


ログだった。


本人はかなり格好つけている。


本人だけは。


「今日は勝つ」


酒場が静まり、 次の瞬間、大爆笑になった。


「前も聞いた!!」


「何回目だよ!」


「今日は三十秒持つ方に賭ける!」


ログは煙草を指で弾き、 気取った笑みを浮かべる。


「見る目あるな」


「いや短ぇって意味だ馬鹿」


また笑いが起きた。


地下街の主は酒を飲みながら、 ちらりとログを見る。


「……飽きんな、お前も」


ログは肩を竦めた。


「アンタ倒さねぇと、 地下街で一番になれねぇだろ」


「誰が決めた」


「俺」


酒場の空気がまた揺れる。


若い。 青い。 危なっかしい。


でも、 その目だけは本気だった。


地下街の主は、 ゆっくり酒杯を置く。


「いい加減、 勝負するなら賭けろ」


ログが口元を上げる。


「何賭ける」


「負けたら一週間使い走り」


酒場が湧いた。


「終わった!」


「また雑用係だ!」


「おいログ! 今度こそ勝てよ! 酒代掛かってんだぞ!」


ログは鼻で笑った。


「安心しろ。 今日は違う」


地下街の主が立ち上がる。


「毎回言ってるな」


次の瞬間。


ドガンッ!!


椅子が吹き飛び、 ログが床を滑った。


酒場大爆笑。


「おまえなぁぁぁ!!」


「俺の酒代返せ!!」


床に転がったまま、 ログが叫ぶ。


「今の無し!!」


「毎回それだ!!」


地下街の主は呆れた顔で煙草を咥え直す。


その頃にはもう、 誰もこの若造を追い出そうとはしなくなっていた。


地下街の夜は、いつも煙と酒の匂いがした。


《鴉樽》の騒ぎが終わる頃には、 客の何人かは床で寝ていた。


割れた瓶。


零れた酒。


怒鳴り疲れた笑い声。


ログは奥歯を押さえながら立ち上がる。


「……クソ、今の反則だろ」


「毎回負ける奴が言う台詞じゃねぇな」


誰かが笑う。


地下街の主は既に席へ戻っていた。


「おい若造」


「ん?」


「酒樽片付けとけ。 床が滑る」


「俺負けた直後なんだけど」


「だからだ」


酒場がまた笑う。


ログは悪態を吐きながら、 転がった樽を起こした。


「はいはい。 使い走り様が働きますよっと……」


煙草を咥え直し、 樽を抱える。


重い。


しかも痛い。


主に吹き飛ばされた脇腹が地味に軋んでいた。


「っつ……」


奥の保管通路は薄暗い。


酒場の喧騒も少し遠くなる。


石壁。


湿った空気。


ガス灯の火が揺れる。


ログは酒樽を積み上げながら、小さく息を吐いた。


その時だった。


――声がした。


「……次は霧夜だ」


低い声。


知らない声だった。


ログの手が止まる。


通路の奥。


倉庫裏の、更に奥。


普段は閉じられている搬入口の辺り。


「ガキはどうする」


別の声。


「見た奴もいるらしい」


短い沈黙。


そして、


「消せ」


空気が冷えた。


酒場の笑い声が、急に遠く感じる。


ログは動かなかった。


いや、動けなかった。


「余計な目撃は増やすな。 上も動いてる」


「……死体は?」


「水路」


淡々とした声だった。


あまりにも普通に。


まるで、酒の銘柄でも話しているみたいに。


ログの喉が僅かに鳴る。


その瞬間。


ガタン。


積み損ねた小樽が揺れた。


しまった、と思った時には遅かった。


奥の声が止まる。


沈黙。


ログは反射的に樽を抱え直した。


心臓がうるさい。


足音。


ゆっくり近付いてくる。


ログは咄嗟に悪態を吐いた。


「っだぁぁ……! 重っ……!」


わざとらしく樽を持ち上げる。


「なんで俺がこんな数運ばなきゃ――」


角から男が現れた。


黒い外套。


見たことのない顔。


男は細い目でログを見る。


ログも顔をしかめた。


「見ろよこれ。 完全に押し付けられてんだけど」


男は答えない。


視線だけが冷たい。


ログは煙草を咥え直し、 わざと肩を竦めた。


「何。 手伝ってくれんの」


沈黙。


数秒。


やがて男は鼻を鳴らした。


「……ガキが」


そのまま奥へ消える。


ログは動かなかった。


いや、動けなかった。


足音が完全に遠ざかってから、 やっと息を吐く。


背中が嫌な汗で濡れていた。


さっきまでの酒場の騒ぎが、 嘘みたいだった。


ログはしばらく黙ったまま立ち尽くし――


やがて、小さく舌打ちした。


「……聞かなきゃ良かった」

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