第11章 ⑲
記録院では、まだ確認作業が続いていた。
昼を過ぎ、窓から差し込む日差しの向きも変わっている。
机の上には、確認を終えた書類と、これから確認する書類が分けて積まれていた。
院長代理は一枚ずつ目を通し、必要な箇所に印を押している。
レオは向かいの椅子に座り、その様子を見ていた。
「……あと、どれくらいかかりますか」
「確認が終わるまでです」
院長代理は顔も上げなかった。
「それは分かっています」
「でしたら、お待ちください」
レオは口を閉じた。
隣では古参が別の書類を確認している。
夫人は少し離れた席で、静かに待っていた。
軍の者たちが引き揚げてから、しばらく経っている。
外で起きた火事については、その後も断片的な報告が入ってきた。大きな被害は出ていないらしいが、反乱の噂については、まだ確認が取れていないという。
その騒ぎが収まれば、軍の者たちが戻ってくるかもしれない。
レオは机の上の書類に目を落とした。
十九年前の王命。
十七年前の完了報告。
四年前の捜索命令。
どれも、ようやくここまで運んできたものだ。
内容を確認するだけなら、とっくに終わっている。
だが、王へ正式に届けるとなれば、そう簡単にはいかないらしい。
「……ログは何をしているでしょうね」
レオが小さく言った。
古参が顔を上げる。
「厨房だろう」
「朝からずっと?」
「樽を運んでいるんじゃないか」
「そんなに樽がありますかね」
「知らん」
古参は書類に目を戻した。
レオも、それ以上は聞かなかった。
今のところ、ログから何の連絡もない。
何も起きていないのなら、それでいい。
そう思ったところで、扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、王宮の衛兵だった。
院長代理が顔を上げる。
「何か?」
「陛下のご命令で参りました」
室内の空気が変わった。
院長代理が椅子から立ち上がる。
「陛下の?」
「はい。こちらに、レオという人物はおられますか」
「私です」
レオが立ち上がった。
衛兵はレオを見て、確認するように尋ねた。
「ログという男をご存じでしょうか」
「……はい?」
思わず聞き返した。
「ログです。酒屋の手伝いをしていると申しております」
レオは一瞬、言葉を失った。
古参がゆっくり顔を上げる。
「……何をした、あいつは」
衛兵が二人を見比べた。
「陛下の御前で、刃物を持った賊を取り押さえたとのことです」
沈黙が落ちた。
「…………は?」
レオの口から、間の抜けた声が出た。
「陛下の御前で?」
「はい」
「刃物を持った賊?」
「はい」
「……ログが?」
「そのように報告を受けております」
レオは古参を見た。
古参もレオを見た。
「……どういうことですか」
「俺に聞くな」
古参は額を押さえた。
夫人が静かに口を開いた。
「陛下は、ご無事なのですか」
「はい。お怪我はございません」
その言葉に、夫人は小さく息をついた。
「賊は拘束され、現在取り調べの準備を進めております。ログという男も、身元確認のため別室で待機させております」
「……あいつまで捕まったんですか」
「王宮の奥に、許可なく立ち入っていたためです」
レオは目を閉じた。
何となく、事情が分かった気がした。
いや、まったく分からない。
どうして厨房にいるはずのログが、王の前で賊を取り押さえているのか。
そこへ至るまでに、いったい何があったのか。
聞きたいことはいくらでもある。
だが、今はそれどころではなかった。
「それで、私たちは?」
「陛下より、記録院で進めている件について確認するよう命じられております。ログという男が、陛下にお見せしたいものがあると申しておりました」
院長代理が机の上へ目を向けた。
「こちらの件でしょう」
「詳しい内容は伺っておりません」
「十九年前の王命に関わる記録です。現在、原本との照合を進めております」
衛兵の表情が引き締まった。
「では、その件について陛下へご説明いただきます。関係者の方々は、こちらへ」
レオは思わず院長代理を見た。
「……手続きは?」
「まだ終わっておりません」
「ですよね」
「ですが、陛下から直接確認の命が下ったのであれば、話は別です」
院長代理は机の上から書類を取り上げた。
「確認済みのものを持参します。未確認のものについては、その旨を明示した上でお見せすることになります」
古参が頷いた。
「それでいい」
「少々お待ちください。持ち出しの記録を作成しますので」
レオは天井を仰いだ。
ここでも手続きは必要らしい。
もっとも、今度は待たされる理由が分かっている。
院長代理が職員に指示を出し、書類の束をまとめ始めた。
夫人も立ち上がり、身なりを整える。
「……ログさんは、いつもあのような方なのですか」
夫人がレオに尋ねた。
「いつも、というわけでは……」
レオは答えかけて、口を閉じた。
十九年前のことが頭をよぎった。
あのときも、ログは別に何かを探していたわけではない。
ただ、足元の床を踏み抜いただけだった。
それが、王命にまで繋がった。
そして今回。
王に証拠を届けるため、厨房へ入り込んだはずの男が、なぜか王の命を狙った賊を取り押さえている。
「……昔から、妙なところで事件に出くわすんです」
「そうなのですか」
「本人は、たぶん何も考えていません」
古参が横から口を挟んだ。
「考えていないわけじゃないだろう」
「そうですね」
レオは頷いた。
「考える前に動くんです」
夫人は少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。
院長代理が書類を抱えて戻ってきた。
「お待たせしました。参りましょう」
レオたちは衛兵の案内で記録院を出た。
廊下には、いつもより多くの衛兵が行き交っていた。
先ほどの事件が、すでに王宮内へ伝わっているのだろう。
古参が歩きながら、レオに言った。
「お前、あいつに何か言っておいたか」
「何をです?」
「余計なことをするな、とか」
「……言ってませんね」
「だろうな」
「でも、言ったところで聞きますかね」
古参は答えなかった。
レオも、それ以上は言わなかった。
しばらく歩いたところで、レオはふと気づいた。
朝からあれほど苦労していた王への報告が、ようやく実現しようとしている。
それも、正式な手続きが終わったからではない。
ログが、どこからともなく現れた賊を取り押さえたからだ。
「……あいつ、何をやってるんだか」
レオは小さく呟いた。
その声には、呆れと安堵が半分ずつ混じっていた。




