第11章 ⑱
男は奥の扉へ向かっていた。
ログは扉の隙間から、その背中を見ていた。
さっき袖に隠した刃物が気になる。
王宮の奥で、わざわざ人目を避けながら歩き、鍵のかかった扉まで開けて入ってきた男だ。そんな奴が刃物を持って、王のいる方へ向かっている。
偶然だと思うには、少し無理があった。
「……おい、待てよ」
声をかけようとしたところで、奥の扉が開いた。
先に出てきたのは、落ち着いた身なりの男だった。年は五十前後だろうか。王宮の役人らしい服を着ている。
「こちらをお通りください」
その男に続いて、一人の男性が姿を現した。
衣服も立ち居振る舞いも、ログが朝から見てきた役人たちとは違っている。
後ろには護衛が二人ついていた。
ログは思わず目を見開いた。
あれが王様か。
王は先導する男と何か話していた。
護衛の一人が廊下の先へ目を向ける。
そのとき、隠れていた男が動いた。
壁際から踏み出すと同時に、袖から刃物を抜いた。
「陛下!」
誰かが叫んだ。
護衛が振り向く。
だが、男はすでに王へ向かって走り出していた。
「おいっ!」
ログは扉を押し開けた。
考えるより先に身体が動いていた。
男の背後から駆け寄り、刃物を持った腕に飛びつく。
「何しやがる!」
男が振り払おうとした。
ログは腕を離さず、そのまま男の身体ごと横へ引っ張った。
勢い余って二人とも壁にぶつかる。
男が肘を振り上げた。
ログはそれを避けようとして、相手の足を踏んだ。
「ぐっ!」
男が体勢を崩す。
ログはそのまま腕を捻り、床へ押し倒した。
刃物が石床に落ちる。
「動くな!」
護衛の怒声が響いた。
ログが顔を上げると、抜き身の剣が目の前にあった。
「……え?」
「その男から離れろ!」
「いや、こいつが!」
「離れろと言っている!」
ログは慌てて手を放した。
男が起き上がろうとする。
「おい、そいつ逃げるぞ!」
護衛の一人が男を押さえつけ、もう一人がログに剣を向けた。
「両手を上げろ!」
「上げる! 上げるって!」
ログは両手を上げた。
廊下の奥では、王が護衛に庇われている。
先ほど王を案内していた役人は、壁際に下がっていた。
「何が起きた!」
別の衛兵たちが駆けつけてきた。
「賊だ! 二人とも確保しろ!」
「だから俺は違うって!」
ログの抗議は聞いてもらえなかった。
駆けつけた衛兵に両腕を取られ、壁際へ押しつけられる。
「痛え! 逃げねえよ!」
「黙れ!」
「黙ってたら分かんねえだろ!」
男の方も、護衛に取り押さえられていた。
床に落ちた刃物を、衛兵が布で包んで回収する。
ログはそれを指さした。
「ほら! あいつが持ってたんだよ!」
「お前は何者だ!」
「ログ!」
「所属は!」
「……酒屋の手伝い!」
衛兵が一瞬、言葉を失った。
「酒屋?」
「朝から樽運んでたんだよ!」
「なぜこんな場所にいる!」
「そいつが怪しかったから、ついてきた!」
衛兵はますます険しい顔になった。
ログも、自分の説明があまり良くないことには気づいていた。
酒屋の手伝いが、王宮の奥で、刃物を持った男を追いかけていた。
どう考えても怪しい。
「……いや、でも本当なんだって」
「連れていけ」
「待て待て! 俺、王様に用があって来たんだよ!」
「何?」
「だから、王様に!」
「黙れ!」
腕を引かれたログが、思わず踏ん張った。
その騒ぎに、王が顔を向けた。
「待ちなさい」
声は大きくなかったが、衛兵たちの動きが止まった。
王は護衛に囲まれたまま、ログを見ていた。
「その者は、賊を止めたのではないのか」
護衛の一人が頭を下げた。
「現在、確認しております。陛下、危険ですのでお下がりください」
「それは分かっている」
王は床に押さえられた男へ目を向け、それからログを見た。
「そなたは、なぜあの男を追っていた」
「怪しかったから」
ログは即答した。
周囲の衛兵が顔をしかめる。
王は少しだけ眉を上げた。
「怪しかった?」
「衛兵が来るたび隠れるし、使用人も避けてたし。何やってんだろうと思ってついてきたら、鍵開けて入っていくし、刃物まで出してきたんだよ」
「それで、ここまで?」
「うん」
王はしばらくログを見つめた。
「……そなたは、王宮の者ではないのだな」
「違う。今日は酒屋の手伝い」
「今日は?」
「ああ、いや、それは……」
ログは口を閉じた。
どこから説明すればいいのか分からない。
そもそも自分は、王に会って証拠を渡すために王宮へ入ってきたのだ。
だが、書類の話ならレオや古参の方が詳しい。
ここで下手に説明して、話をややこしくするのは避けたかった。
「……レオを呼んでくれ」
「レオ?」
「あと、古参と、夫人。三人で来てるはずなんだ。記録院にいると思う」
王の表情が変わった。
「記録院?」
「そう。朝から何か手続きしてる。王様に見せたいものがあるんだよ」
王は傍らの護衛に目を向けた。
「記録院へ確認を」
「しかし、陛下」
「ここで何が起きたのかも、調べなければならない。あの者の話が事実なら、少なくとも刃物を持った男を止めたことになる」
護衛は短く返事をすると、衛兵の一人に指示を出した。
ログはようやく息をついた。
「……助かった」
「まだ何も済んでいない」
王が言った。
「そなたの身元も、ここへ来た理由も確認が必要だ」
「だよなあ」
「それは理解しているのだな」
「まあ、勝手に入ったのは悪かったと思ってる」
衛兵の一人が呆れたようにログを見た。
王は少し考え、それから言った。
「その者は別室で待たせなさい。逃げぬよう見張りはつけること」
「はっ」
「それと、記録院から人が来たら知らせるように」
ログは衛兵に腕を取られ、廊下の向こうへ連れていかれた。
途中で振り返ると、王はすでに護衛たちと話していた。
刃物を持った男も、別の方向へ連行されていく。
結局、レオたちには会えなかった。
王に渡すはずの書類も、まだ手元にある。
それでも、ようやく王に話は届いたらしい。
「……樽運びに来ただけなんだけどな」
「何か言ったか」
「何でもねえよ」
ログは大人しく歩き出した。




