第11章 ⑮
「まず、こちらの記録をどこで入手されたのか、お聞かせください」
男はそう言って、机の上に置かれた書類へ目を向けた。
年の頃は五十前後だろうか。濃い灰色の上着を着ており、胸元には王宮の官吏であることを示す小さな徽章があった。
先ほどまで応対していた役人が、男のために椅子を引く。
「記録院の院長代理です」
紹介された男は軽く頭を下げた。
「本来なら院長が確認する案件ですが、現在は別件で席を外しております。私が引き継ぎます」
「承知しました」
古参が答えると、男は改めて書類を開いた。
「十九年前の王命に関する記録。それから十七年前の停止完了報告。いずれも通常の閲覧では出てこないものです」
「正式な手続きを経て確認した記録です」
「その手続きについて伺っています」
古参は持参した書類の中から一枚を取り出した。
「閲覧許可の控えです。申請日、許可した部署、閲覧者の名前が記されています」
男は受け取ると、隣に立つ役人へ渡した。
「照合を」
「はい」
役人が部屋を出ていく。
男は次の書類を手に取った。
「こちらは軍の記録ですね」
「そうです」
「軍の内部文書を、王宮の記録院へ持ち込まれた理由は?」
「王命が履行されていない疑いがあるためです」
レオが答えた。
男は顔を上げた。
「疑い、とおっしゃいましたか」
「十七年前、軍は研究施設の停止が完了したと報告しています。しかし四年前、同じ研究に関わる命令が発せられています」
「それだけでは、研究が継続していた証明にはなりません」
「承知しています。ですから、関連する記録も揃えました」
レオは別の書類を差し出した。
男はそれを受け取ったが、すぐには開かなかった。
「お名前を確認しても?」
「レオです」
「こちらのお二方は?」
古参が名乗り、続いて夫人が口を開いた。
男は夫人の名を聞くと、手元の書類へ視線を落とした。
「……軍の総司令官の奥方ですね」
「はい」
「この件について、ご主人はご存じですか」
「私がここへ来たことは、存じません」
「では、ご主人の許可なく軍の記録を?」
「私が持参したものは、夫の執務室から持ち出した記録ではありません」
夫人は落ち着いて答えた。
「ただし、四年前の命令書に夫の署名があることは確認しています」
男はしばらく夫人を見ていたが、やがて書類を開いた。
「確認すべきことが多い案件です」
「承知しております」
「本日中に陛下へ奏上できると、お約束することはできません」
古参は頷いた。
「そのために、朝から参りました」
男は初めて少しだけ表情を変えた。
「なるほど。手続きに時間がかかることはご存じというわけですね」
「長く勤めておりますので」
「では、まず提出者の確認と、記録の照合を進めます。原本についても、後ほど確認させていただくことになります」
「必要なものは用意しております」
「助かります」
男は書類を揃え、立ち上がった。
「こちらでお待ちください。確認が済み次第、次の手続きをご案内します」
男が出ていくと、レオは椅子の背にもたれた。
「……思ったより時間がかかりますね」
「まだ早い方だ」
古参が答えた。
「閲覧許可の照合だけで半日かかってもおかしくない」
「それでは、陛下に届くのはいつになるんです?」
「だから急いでいる」
「急いでいるようには見えませんけど」
「手続きを飛ばして差し戻されたら、最初からやり直しだ」
レオは口を閉じた。
夫人は膝の上で両手を重ね、扉を見つめていた。
しばらくすると、先ほどの役人が戻ってきた。
「閲覧許可については確認が取れました。続いて、記録の出所と内容の照合を行います」
「お願いします」
「それから、軍の関係部署にも確認が必要になります」
古参の表情が変わった。
「軍へ照会するのですか」
「軍の記録ですので」
「照会先は?」
「記録の管理部署になります」
「その部署が、今回の申し立ての対象になっている可能性があります」
役人は困った顔をした。
「ですが、所定の手続きでは……」
「承知しています。ですから、照会の順序について院長代理にご相談いただけませんか」
「確認してまいります」
役人が再び出ていった。
レオは小さく息を吐いた。
「これ、軍に知らせたらまずいですよね」
「まずいな」
「止められませんか」
「止める理由を示したところだ」
古参は机の上の書類を指した。
「軍の記録だから軍に確認する。それ自体は間違っていない。だが、今回に限っては、その軍が調査の対象になる」
「だから、別の部署で先に確認してもらう?」
「そういうことだ」
その後も、書類の確認は続いた。
提出者の身分、閲覧の経緯、原本の保管場所。ひとつ確認が終わるたびに別の確認事項が増え、役人が出入りする。
昼が近づいた頃、ようやく院長代理が戻ってきた。
「軍への照会については、いったん保留とします」
古参が顔を上げた。
「ありがとうございます」
「ただし、軍の記録である以上、いずれ確認は必要です。まずは王宮内に保管されている記録との照合を進めます」
「それで結構です」
「それから、申し立ての内容について、上席の判断を仰ぐことになります」
「陛下への奏上は?」
「その判断の後です」
レオは思わず古参を見た。
古参は何も言わず、頷いた。
院長代理が出ていった後、レオは声を落とした。
「まだ上があるんですか」
「ある」
「その上にも?」
「ある」
「……王宮って、面倒ですね」
「今さら何を言っている」
古参は書類を揃え直した。
そのとき、廊下の向こうが騒がしくなった。
足音が近づき、扉の前で止まる。
入ってきたのは、記録院の役人ではなかった。
軍服を着た男が二人。先頭の男は部屋を見渡し、机の上の書類へ目を向けた。
「こちらに、軍の記録が持ち込まれたと聞いた」
古参が立ち上がる。
「現在、記録院で確認を受けております」
「軍の記録なら、まず軍へ照会するのが筋だろう」
「その点については、院長代理と協議済みです」
「協議?」
男は眉を寄せた。
「軍の管理文書を、軍の確認なしに扱うつもりか」
「王命に関わる申し立てです。記録院の判断を待っております」
「書類を見せてもらおう」
古参は動かなかった。
「提出済みの書類です。確認を希望されるのであれば、記録院へ正式にお申し出ください」
男の顔が険しくなる。
「こちらは軍の――」
そこで廊下から慌ただしい足音が響いた。
「失礼します!」
若い兵士が扉を開け、軍服の男に駆け寄った。
「王宮外で火災が発生しました!」
「火災?」
「はい。城門からほど近い場所です。現在、衛兵が確認に向かっていますが……」
「それなら衛兵に任せればいい」
「反乱の可能性があるとの報告が入っています」
部屋の空気が変わった。
「反乱だと?」
「武装した集団がいるという情報です。司令部より、至急戻るよう命令が出ています」
男は舌打ちした。
「こんなときに……」
机の上の書類へもう一度目を向ける。
「この件は、後で改めて確認する」
「承知しました」
古参が答えると、男は部下を連れて出ていった。
足音が遠ざかる。
レオは扉を見つめたまま、しばらく動かなかった。
「……反乱?」
「まだ分からん」
古参は椅子に座り直した。
「誤報の可能性もある」
「でも、軍は行きましたよね」
「ああ」
夫人が静かに口を開いた。
「手続きは、続けられるのでしょうか」
古参は頷いた。
「記録院が閉鎖されない限りは」
そこへ役人が戻ってきた。
「お待たせしました。王宮内の記録との照合を続けますので、こちらへお願いいたします」
三人は立ち上がった。
廊下の向こうでは、まだ慌ただしい足音が続いている。
だが、記録院の役人はいつもどおり書類を抱え、次の部屋へ向かって歩き始めた。
レオはその背中を追いながら、小さく呟いた。
「……まだ終わらないんですね」
「終わるわけがないだろう」
古参は振り返りもしなかった。
「まだ、陛下に何もお伝えしていないんだからな」




