第11章 ⑬
常連たちが戻り始めたのは、夕方になってからだった。
最初に戻った男は、王宮へ酒を納めている商人を知っていた。
「週に三回。朝だ」
古参が机の上に広げた地図へ目を落とす。
「どこまで入る?」
「外門を通って、東側の搬入口。そこから厨房の裏まで」
「荷は?」
「酒。あとは酢と油を頼まれることもある」
「確認は?」
「門で荷札と商人の名前。搬入口でもう一回。樽を何本か見られる」
「全部は?」
「毎回じゃない」
古参は東側の搬入口に印をつけると、次の報告を待った。
修繕を請け負う石工について調べてきた常連によれば、王宮から呼ばれるのは必要がある時だけで、現在は大きな修繕の予定もないという。
別の男が知っていた商人は乾物を納めていたが、こちらは搬入口で荷を一度すべて降ろして確認するらしい。
どちらも今回の目的には向いていなかった。
「酒だな」
「酒?」
ログが顔を上げた。
「飲む話じゃない」
「分かってるって」
レオは二人のやり取りを聞き流しながら、地図に王宮外郭、記録院、政務部門、東側の搬入口、厨房の位置を書き込んでいった。
酒の荷車が入れるのは厨房の裏までで、そこから先は王宮で働く者しか通れない。
「中入っても、王様んとこまでは行けねえな」
「ああ。だが、目的は王の部屋へ忍び込むことじゃない」
古参が机の上の書類を引き寄せた。
王宮記録院から取った停止命令と、軍が十七年前に提出した完了報告。その写しには、当時の担当者の名前も、王宮が報告を受理した記録も残っている。
隣には軍から持ち出した記録があった。
十九年前に停止を命じられ、十七年前には整理が完了したと報告された管理事業が、四年前にも続いていたことを示すものだった。
「こちらは正規の手続きで出す。私とレオで記録院へ行き、停止命令が履行されていなかったとして、正式に再確認を求める」
「普通に出すの?」
「出す」
「途中で消されるかもしれねえんだろ?」
「だから、お前を入れる」
ログが顔を上げた。
「俺?」
「嬉しそうな顔をするな」
「してねえよ」
していた。
古参は構わず、記録院から政務部門へ続く経路を指でなぞった。
「正規の書類がどこで止まるかを見る。問題なく王の確認まで上がるなら、お前は何もしなくていい」
「止まったら?」
「止めた人間が分かる」
レオが書類を一枚持ち上げた。
「その時点で、こちらが持っている写しを別の経路から先へ運ぶ」
「俺が?」
「お前だけじゃない」
「何でだよ」
「一人で王宮を走り回らせるわけがないだろ」
「走んねえよ」
レオは返事をしなかった。
「何だよ」
「何でもない」
「また落ちると思ってんだろ?」
「言ってない」
「顔に書いてある」
十九年前、王宮の地下へ向かった二人は、途中で床を踏み抜いて落ちている。あの時もログは道が分かると言い張っていたが、結局、レオまで巻き込まれた。
古参が地図を叩いた。
「その話はもういい。酒の搬入に一人紛れ込ませる。厨房裏まで入ったら、そこで待つ」
「誰を?」
「お前だ」
「分かった」
あまりに素直な返事に、レオが思わず顔を向けた。
「何だよ」
「いや」
「行くなって言われると思ってた」
「私もそのつもりだった。だが、お前の顔を軍が探しているなら、表から動かす方が危ない」
古参の説明を聞いていた夫人が、書類から顔を上げた。
「王宮の中なら安全なのですか?」
「安全ではありません。ただ、軍が勝手に人を捕らえられる場所でもありません」
王宮の中で軍人が誰かを捕らえれば、その理由を説明しなければならない。しかもログの名前は、十九年前の地下機構の記録と結びついている。
最高司令官が王宮内で騒ぎを起こす可能性は低いとレオは考えていたが、それも相手がこちらの動きをどこまで把握しているかによる。
「見つからなきゃいいんだろ?」
「そうだ」
「得意」
レオがまた顔を向けた。
「何」
「何でもない」
「まだ何かあんの?」
「ない」
「じゃあ見るなよ」
「話を聞け」
古参に叱られ、ログはようやく地図へ目を戻した。
「搬入の荷車は、明日の朝入る」
「早えな」
「定期便だからな」
酒を納めている商人は常連の知り合いで、明日の便についても確認が取れていた。荷台には酒樽と木箱を積み、その間に一人分の場所を作る。
外門と搬入口の確認を通るまでは姿を見せず、厨房裏へ着いたら商人の手伝いとして荷下ろしに加わる。そうすれば、荷車のそばにいても不自然ではない。
「中で誰と合流すんの?」
「私だ」
「古参は?」
「私は記録院側に残る。正式な手続きを途中で放り出すわけにはいかん」
レオは厨房と記録院の間にある通路を確かめた。
王宮で働く者が行き来する区域まで出られれば、ログと接触する機会は作れるだろう。ただし、そこから先の動きは当日の状況を見なければ決められない。
「証拠は二組用意する。原本は動かさず、王宮記録院の写しと軍側から持ち出した記録の写しを、それぞれに分ける」
「一つは正規の手続きで提出する分だな」
レオが確認すると、古参は頷いた。
「もう一つは俺?」
「ああ」
「箱は?」
「持っていかない」
ログは机の端に置かれた木箱を見た。
「何だ、その顔は」
「別に」
「投げるなよ」
「投げねえって!」
主はそのやり取りを聞きながら煙草を吸っていたが、口を挟むことはなかった。
代わりに、夫人が静かに手を上げた。
「私も行きます」
古参が向き直る。
「王宮へ?」
「はい。この件には、私の父の名前があります。夫の名前も」
夫人は完了報告に目を落とした。
「私が持ち出した家の記録についても説明できますし、父と夫の関係や、当時の家の状況もお話しできます」
「夫人が表に出れば、最高司令官にこちらの動きが伝わります」
レオの懸念に、夫人は小さく頷いた。
「もう伝わっていると思います。私が家へ戻っていない時点で」
確かに、いつまでも夫人の不在を隠し通せるとは考えにくかった。
古参は少し考えてから、彼女の同行を認めた。
「なら、私と来てもらう。ただし、ログとは別行動だ」
「分かりました」
「俺だけ荷物?」
「そうだ」
「俺だけ扱い違くない?」
「名前で探されている人間を正門から入れたいのか?」
「嫌」
「なら黙って積まれろ」
ログは不満そうだったが、それ以上は言い返さなかった。
その時、店の入口が開いた。
入ってきた常連は、先ほどまで報告に戻ってきた男たちとは違い、笑っていなかった。
主が顔を上げる。
「何だ」
男は奥の机まで来ると、声を落とした。
「記録院に軍の人間が来た」
古参の手が止まった。
「いつだ」
「昼過ぎ。あんたらが出た後だ」
「何をしていた?」
「閲覧記録を確認してたらしい」
レオが立ち上がった。
「誰が見た?」
「記録院に出入りしてる知り合いだ。軍服じゃなかったが、顔を知ってた。司令官府の人間だってよ」
古参は机に広げた書類を見下ろした。
「何を確認したかまで分かるか?」
「そこまでは。ただ、十九年前の記録を誰が閲覧したか聞いてたらしい」
ログも書類へ目を向けた。
停止命令と完了報告。そこに残された署名は、今日、古参とレオが確認したばかりのものだった。
「早えな」
「ああ。向こうも動いている」
古参は椅子に腰を下ろし、考え込んだ。
王宮記録院で正式に閲覧した以上、記録が残ることは承知していた。しかし、当日のうちに司令官府の人間が確認に来るとは思っていなかった。
少なくとも、こちらが十九年前の命令まで遡ったことは知られたと考えるべきだった。
「夫でしょうか」
夫人の問いに、古参は首を振った。
「まだ分からん。だが、司令官府までは伝わっている」
主が煙草を灰皿へ押しつけた。
「明日まで待てるか」
記録院への正式な手続きも、王宮への搬入も、予定されているのは翌朝だった。今から動かそうとすれば、かえって不審な行動を増やすことになる。
「待つしかない」
「なら、今夜のうちに箱を動かせ」
「どこに?」
ログが聞くと、主は店の奥へ目を向けた。
「ここじゃねえ場所だ」
軍はログを探している。夫人の動きも調べているうえ、古参とレオが王宮記録院で何を閲覧したかまで確認し始めた。
《鴉樽》の場所を突き止めていなくても、軍が次に証拠の所在を探す可能性は十分にある。
「証拠を分けよう」
古参は書類をまとめながら、常連たちに声をかけた。
原本は別の場所へ移し、写しも一か所には置かない。翌朝、王宮へ持ち込む二組とは別に、残しておく分も用意する。
一つを奪われても、すべてが失われないようにするためだった。
常連たちはそれぞれ役割を引き受け、再び店を出ていった。
ログは机に残された地図を覗き込んだ。
東側の搬入口から厨房裏へ入り、そこからレオと合流する。十九年前のように地下の道を走るわけでも、行き先の分からない通路へ飛び込むわけでもない。
「明日の朝か」
「ああ」
レオが地図を畳もうとすると、ログがその端を押さえた。
「もうちょい見せろ」
「覚えられるのか?」
「覚えるに決まってんだろ」
「十九年前もそう言ってたぞ」
「今度は落ちねえよ!」
レオは何も言わず、地図を広げ直した。
今度は偶然たどり着くのではない。
王へ証拠を届けるために、自分たちで選んだ道から入る。




