第11章 ⑨
《鴉樽》へ戻った頃には、すっかり夜になっていた。
ログは店の奥へ入るなり、抱えていた箱を机へ置いた。
「取った」
主が箱を見る。
「取ったのか」
「うん」
後ろから入ってきたレオが外套を脱ぐ。
「盗んだとも言います」
「でも取った」
「軍の保管所からな」
最高司令官夫人が顔を上げた。
「軍の保管所から?」
「うん」
「それは盗んだと言いますね」
ログは箱を開けた。
「でも、これ見て」
「話を逸らしましたね」
「いいから」
白衣が寄ってくる。
箱の中から最初の書類を取り出し、端に残る印を見た。
円。
その中に、三本の縦線。
「古い管理印だ」
「やっぱり?」
「ああ」
古参も椅子を寄せた。
「年代を分けるぞ」
書類を机へ広げる。
十九年前。
十五年前。
十年前。
五年前。
四年前。
途中で部署名は何度も変わっていた。
書式も違う。
使われている紙も違う。
それでも、管理番号の一部と印だけは残っている。
ログは四年前の束を引き寄せた。
「これ」
母親の番号。
男児。
未回収。
東側水路。
捜索継続。
見覚えのある内容だった。
だが、前に見つけた記録より詳しい。
捜索範囲。
確認先。
水路。
地下街。
周辺集落。
医者。
乳母。
商人。
その下に、捜索継続の承認があった。
レオの手が止まる。
「……司令官府」
夫人が立ち上がった。
「見せてください」
紙を渡す。
夫人は上から読み、最後の欄で止まった。
しばらく動かなかった。
ログが聞く。
「知ってる?」
「夫です」
声は静かだった。
「四年前の役職名も合っています」
ログが椅子から身を乗り出す。
「じゃあ、こいつがヴィクを追わせた?」
「待て」
レオが止めた。
ログが嫌そうな顔をする。
「また?」
「まただ」
レオは夫人の手元を指した。
「何を承認した書類なのか確認する」
古参も横から読む。
「対象者二名の所在確認。母親と男児だな」
「捜索の継続」
夫人が言った。
「夫が承認したのは、これですね」
「じゃあ追わせてるじゃん」
「そうだ」
レオが答えた。
「少なくとも、四年前の時点で彼は、この母子の捜索継続を承認している」
夫人は紙を置かなかった。
「これで、夫がこの子の父親だという証拠にはなりませんね」
「ならない」
レオが答えた。
夫人は頷いた。
「それでいいです」
ログが見る。
「いいの?」
「今必要なのは、夫があの子の父親かどうかではありません」
夫人は承認欄を指した。
「夫が、この子を追わせたかどうかです」
誰も何も言わなかった。
夫人は次の書類を取った。
「続きは?」
ログも探す。
母親と男児の捜索は、その後もしばらく続いていた。
東側水路。
地下街。
周辺の医者。
乳母。
子供を扱う商人。
だが、見つからない。
捜索の頻度は落ちていく。
毎週だったものが月単位になり、やがて定期確認へ変わる。
それでも番号は消えていなかった。
「四年間ずっと?」
ログが言った。
古参が首を振る。
「ずっと探し回っていたわけじゃない。途中からは、情報が出た場合に照合する対象として残している」
「忘れてはいないってこと?」
「ああ」
ログは嫌そうに紙を置いた。
次の束をめくる。
三年前。
二年前。
一年前。
現在。
同じ番号はところどころに残っている。
そして。
数か月前。
ログの指が止まった。
「……これ」
レオが覗く。
短い報告だった。
地下街周辺。
調査妨害。
接触対象。
《鴉樽》。
ログの顔から表情が消えた。
「この頃って」
レオも日付を見た。
「そうだな」
ヴィクが攫われた頃だった。
乳母と、その子供と一緒に。
三人まとめて。
《鴉樽》へ手を引かせるために。
ログは次の紙を取った。
そこには三名の確保が報告されていた。
成人女性一名。
女児一名。
男児一名。
目的欄には、対象組織への警告および行動抑止。
「……やっぱり、こっちはあの時のだ」
ログが言った。
「最初からヴィクを狙ったわけじゃない」
レオが確認する。
「そうだな」
三人を攫った。
《鴉樽》を止めるために。
そこまでは、以前から分かっている。
だが。
その次の紙が違った。
確保者の情報照合。
男児。
推定年齢。
外見。
保護先。
東側地下街。
照合対象あり。
ログの手が止まった。
「……何これ」
古参が紙を取る。
「攫った後で気づいたんだ」
「何に?」
古参は四年前の記録を隣へ置いた。
男児。
未回収。
東側水路。
ログが二枚を見る。
「あ」
レオも気づいた。
「年齢が合う」
「場所もだ」
古参が言う。
「四年前に東側水路で消えた男児。現在は地下街。《鴉樽》周辺にいる同年代の男児」
白衣が覗き込んだ。
「照合を指示しているな」
ログが白衣を見る。
「誰が?」
白衣が下を指す。
司令官府。
ログは黙った。
さらに次。
過去記録との照合。
身体的特徴。
母親の情報。
出生記録。
確認継続。
「……攫ってから調べた?」
「そう見える」
レオが答えた。
ログの顔が歪んだ。
「確認してから連れてけよ」
「確認しても連れていくな」
「分かってるよ!」
白衣が紙を見たまま言う。
「彼らにとっては、連れてきてから確認する方が早かったんだろう」
ログが睨んだ。
「お前、そういうこと平気で言うよな」
「合理性の話だ」
「人攫いの合理性を説明するな」
「聞いたから答えただけだ」
「聞いてない!」
レオが二人の間から紙を抜いた。
「続きがある」
照合中。
確認待ち。
その次。
三名逸失。
ログは止まった。
「逸失?」
古参が答える。
「いなくなった、という意味だ」
「逃げたんじゃない」
ログが言った。
「俺たちが取り返した」
正確には。
ヴィクが自分で扉を塞ぎ。
母犬が見つけ。
地下街の連中が押しかけた。
ログは紙を見た。
あの時。
敵側では、こんなことになっていたのだ。
《鴉樽》への警告として攫った三人。
その中にいた男児。
報告を受けた上が、過去の未回収記録に気づいた。
調べ始めた。
だが。
確認が終わる前に。
三人とも戻ってきた。
「だから」
ログが言った。
「あの時、すぐ殺さなかったのか?」
誰もすぐには答えなかった。
レオが記録を見直す。
「可能性はある」
「でも、それだけじゃない?」
「ああ。最初から人質として生かしておくつもりだった可能性もある」
「分かんないか」
「そこはな」
ログは紙を置いた。
決めつける必要はない。
分かったことだけで十分だった。
四年前。
最高司令官は、ヴィクと母親の捜索継続を承認していた。
そして数か月前。
《鴉樽》への警告として攫われた男児が、四年前の未回収児ではないかと、司令官府が照合を始めている。
偶然ではない。
四年前の記録が。
今まで生きていた。
「他は?」
主が聞いた。
ログたちは、さらに箱を調べた。
現在も残る番号。
移送。
支給。
訓練。
家族。
子供。
数は昔より少ない。
それでも消えていない。
先日、農場から助け出した母親と赤ん坊だけではなかった。
別の場所にもいる。
別の番号がある。
別の家族が残っている。
ログは紙を握った。
「まだいる」
「ああ」
レオが答えた。
「今助けたので全部じゃない」
主は煙草を吸った。
夫人は机に並んだ記録を見ている。
自分の父。
父の元部下。
商人。
役人。
夫。
そして。
番号で残された人間たち。
「夫は」
夫人が言った。
全員が見る。
「この箱がなくなったことを、もう知っているでしょうか」
レオが答える。
「軍の保管所から一箱消えています。遅くとも明日には」
「いいえ」
夫人は首を振った。
「夫なら、もっと早い」
ログが見る。
「何で?」
「動かした直後だからです」
夫人は箱を見る。
「証拠を移している最中に、一つだけ消えた。報告を待つでしょうか」
誰も答えなかった。
「何が入っていた箱かも、把握しているはずです」
古参が低く言う。
「こちらがどこまで知ったかも推測する」
「はい」
夫人が頷いた。
ログは十九年前の紙を見る。
「じゃあ、向こうも動く?」
「もう動いているかもしれません」
店の中が静かになった。
白衣が一枚を持ち上げた。
「十九年前の記録まで入っている」
ログが見る。
「それが?」
「箱を奪った者が、中身を読めば」
白衣はログを見る。
「十九年前まで辿る」
ログの顔が止まった。
レオも気づいた。
主が煙草を灰皿へ押しつける。
「お前」
ログを見る。
「十九年前、顔見られてるな」
「……誰に?」
「いっぱいだろ」
ログは考えた。
地下の仕組み。
白衣。
役人。
軍。
騒ぎ。
「でも、今と顔違うかもしれないし」
「十九年で別人にはならん」
レオが言った。
「髪型とか」
「お前は大して変わってない」
「帽子あるし」
「何の役にも立たん」
白衣が口を開いた。
「名前も残っている」
ログが振り向いた。
「何で?」
「報告したからだ」
「誰が?」
「私が」
「誰に!」
「役人」
「名前!」
「書いた」
ログは両手で顔を覆った。
「お前か!」
白衣が首を傾げる。
「何がだ」
「俺の名前残したの!」
「侵入者が中枢機構を停止させたんだ。報告には必要だろう」
「必要じゃない!」
「必要だ」
「十九年後に困ってる!」
「それは知らん」
「だろうな!」
その時。
店の扉が開いた。
常連が一人入ってくる。
さっきまでの空気を見て、一瞬だけ足を止めた。
「何だ」
主が聞く。
常連はログを見た。
「軍が動いてる」
レオが立ち上がる。
「どこで?」
「地下街の入口。表の通り。宿」
「何を探している」
常連はもう一度、ログを見た。
「こいつ」
ログが自分を指す。
「俺?」
「ああ」
「何で?」
「名前で聞いてる」
今度こそ。
誰も笑わなかった。
十九年前。
地下の仕組みを壊した男。
四年前。
未回収になった子供。
そして現在。
軍の保管所から消えた、十九年分の記録。
向こうでも。
線がつながった。
最高司令官はもう。
十九年前の男まで辿り着いていた。




