第11章 ⑥
机の上が、紙で埋まった。
夫人が持ってきたもの。
ログたちがこれまで集めたもの。
古い倉庫。
商館。
物資管理所。
行政調整室。
軍の補給。
施設の移管。
十九年前の停止命令。
四年前の母親とヴィク。
そして現在まで続いている記録。
一枚ずつ見れば、どれも別の話に見える。
レオが紙を年代順に並べ直した。
「まず、全部を疑うのはやめよう」
ログが顔を上げる。
「何で?」
「多すぎるからだ」
「怪しい奴、全部調べればいいだろ」
「何人いると思っている」
ログは机を見る。
名前だけでも相当ある。
役人。
軍人。
商人。
倉庫の管理者。
運搬を請け負った者。
書類へ印を押した者。
「じゃあ、どうする?」
レオは一枚抜いた。
「十九年前で分ける」
地下の仕組みが壊れた年。
王が止めるよう命じた年。
「それ以前に関わっていたというだけなら、今回は外す」
「何で?」
「当時は国の仕組みとして動いていたからだ。関わっただけで、停止命令に背いたとは言えない」
「そっか」
「停止後も関わっている者を見る」
紙が分けられた。
一気に減った。
それでも、まだ多い。
レオが次の紙を取る。
「一度だけ処理した者も外す」
「それ大丈夫?」
「後で必要なら戻す。今は中心を探す」
物資を一度運んだだけ。
書類を受け付けただけ。
倉庫の税を処理しただけ。
命令された仕事をしただけ。
そういう名前を、いったん脇へ置く。
また減った。
夫人が一枚を指した。
「この方も外していいと思います」
「知ってる?」
ログが聞く。
「父の部下でした。十九年前には退役間近です。この書類以外に名前がありません」
レオが確認する。
「その後の関連記録にもありませんね」
脇へ。
次。
次。
一枚ずつ。
白衣も机を覗いていた。
「これは違う」
突然言った。
ログが見る。
「何が?」
「この薬品だ。研究を止めても処分に時間がかかる。すぐ廃棄できるものじゃない」
「じゃあ残ってても変じゃない?」
「ああ」
「早く言えよ」
「今見た」
「そういうとこだぞ」
白衣は気にせず紙を脇へ置いた。
今度は古参が、倉庫の記録を見た。
「これは通常の軍需だな」
「分かるの?」
「昔からある。食料と布だ。量もおかしくない」
それも外す。
枝を落とすように。
一つずつ。
知らなかった者。
一度だけ触れた者。
正当な残務処理。
通常の軍務。
偶然同じ商会を使っただけの取引。
そういうものを全部、脇へ寄せていく。
机の中央に残る紙が減っていった。
昼を過ぎた。
ミナが食事を置いていった。
誰も手をつけない。
ヴィクだけがパンを一つ持っていった。
夕方になった。
「……これだけ?」
ログが言った。
最初は机いっぱいにあった名前が、かなり減っている。
レオが数えた。
「まだ多い」
「これでも?」
「ここから、もう一つ条件を加える」
レオは十九年前から現在までの年を、紙へ書いた。
「継続しているか」
一度だけではない。
十九年前。
十五年前。
十年前。
五年前。
四年前。
現在。
同じ人物が直接出ていなくてもいい。
同じ家。
同じ商会。
同じ部署。
同じ人脈。
形を変えながら、線が続いているか。
夫人が自分の父の名前を見た。
十九年前。
その後も数年間。
やがて名前が消える。
代わりに、父の元部下たちが出てくる。
そのうちの一人は、現在も軍にいる。
別の一人は退役後、軍へ物資を納める商会に入っていた。
さらに別の一人は、親族を行政側へ送っている。
「……知らなかった」
夫人が呟いた。
誰も何も言わなかった。
彼女は次の紙を取った。
「この商会」
ログも見る。
「倉庫に繋がってたところ?」
「ええ。父の代から取引があります」
「今も?」
「あります」
夫人は少し黙った。
「私も、普通の軍需取引だと思っていました」
レオが帳簿の写しと照らす。
「普通の取引もしているんでしょう」
「ええ」
「その中に混ぜた」
夫人が頷いた。
全部が不正ではない。
だから見つけにくい。
百の正当な取引の中へ、一つだけ別のものを混ぜる。
次の年には、別の部署。
次には別の商会。
名前も変える。
だが、受け取る側を追えば繋がっている。
古参が低く言った。
「昔より上手くなってるな」
ログが顔を上げる。
「何が?」
「隠し方だ」
十九年前は、まだ急だった。
王の命令が出て、施設を閉じなければならなかった。
だから移管や残務処理という名目が多い。
だが年を追うごとに、それが普通の仕事へ溶け込んでいく。
倉庫。
商会。
物資。
人員。
予算。
どこにでもあるものへ。
「止める気がなかったから」
ログが言った。
「止めるふりだけ上手くなったんだ」
誰も否定しなかった。
さらに名前を落とした。
死亡。
退役。
関係が途切れた者。
一時期だけ利益を得た商人。
今はもう関与していない者。
過去の責任が消えるわけではない。
だが、今動いている仕組みを止めるなら、まず現在を見る。
最後に残った名前は、六人だった。
ログが紙を見る。
「少なっ」
レオは答えなかった。
六人。
軍人が三人。
行政側が一人。
商人が一人。
そして。
最高司令官。
夫人の父の名前は、そこにはなかった。
すでに軍を離れている。
だが、その六人へ続く線の途中には何度も現れる。
十九年前。
止めるべきだった時に。
「父は」
夫人が言った。
「始めた側ではないのですね」
白衣が答えた。
「もっと前からある」
「ええ」
「だが、止めなかった」
夫人は目を閉じた。
「そうですね」
短い返事だった。
ログは六人の名前を見ていた。
「この六人が、今やってる?」
「少なくとも」
レオが言った。
「今まで確認した線の中では、現在まで継続して関与している可能性が高い者です」
「可能性?」
「まだ証明はしていない」
ログが嫌そうな顔をした。
「またそれか」
「大事なところだ」
夫人が一人の名前を指した。
「この方は、夫が現在の役職へ就いてから昇進しています」
次。
「こちらもです」
もう一人。
「この方の家と、うちには古くから付き合いがあります」
商人の名を見る。
「この商会は、父の代からです」
行政側の一人。
夫人は少し考えた。
「この家の次男だったはずです。軍には入らず、役所へ行ったと聞いていました」
ログが机へ肘をついた。
「全部、繋がってんじゃん」
「そう見える」
レオが言う。
「でも、まだ『そう見える』だ」
ログは最高司令官の名前を指で叩いた。
「じゃあ、こいつは?」
誰もすぐには答えなかった。
夫人が夫の名前を見る。
「十九年前は、父の下にいました」
指を動かす。
「その後、少しずつ地位を上げています」
さらに。
「父が退いた頃には、かなりの部分を引き継いでいる」
そして現在。
軍の最高位。
夫人の指が止まった。
「今、この六人を繋げられるのは」
レオが続ける。
「最高司令官」
静かになった。
最高司令官が一人で始めたわけではない。
一人で十九年間、すべてを動かしたわけでもない。
前の世代がいた。
支えた者がいた。
利益を得た者がいた。
黙って引き継いだ者もいた。
だが。
今。
四年前に母親と子供を追わせた。
現在も女と子供を管理している。
古い仕組みを、形を変えて残している。
その中心にいるのは。
「夫です」
夫人が言った。
誰も否定しなかった。
ログは六人の名前を見た。
たった六人。
もちろん、その下で働く人間はもっといる。
事情を知る者もいるだろう。
知らずに手を貸している者もいる。
けれど。
十九年前から伸びてきた枝を払い。
普通の仕事を払い。
偶然を払い。
知らなかった者を払い。
過去だけの人間を払った。
最後に残った。
ログの顔から、いつもの軽さが消えた。
「こんだけの奴らのために」
誰も動かなかった。
「何人、閉じ込めたんだよ」
答えられる者はいなかった。
そのとき。
店の外で、短く二度。
扉が鳴った。
主が顔を上げる。
常連が入ってきた。
いつもの顔だった。
だが、扉を閉める前に一度、外を確認した。
「主」
「何だ」
常連は店内にいる夫人を見た。
それから言った。
「司令官府の人間が動いてる」
夫人の顔が上がった。
レオが聞く。
「どこへ?」
「こっちじゃない」
常連は答えた。
「夫人のことを調べてる」
店内の空気が変わった。
夫人は黙っていた。
主が煙草を灰皿へ押しつける。
「帰るな」
夫人が主を見る。
「ですが」
「もう遅え」
主は立ち上がった。
「今夜から、ここにいろ」




