第11章 ③
産着の刺繍が、母親の手によるものだったのか。
それは分からない。
母親はもういない。
なぜ最高司令官の生家の紋を知っていたのか。
なぜそれをヴィクの産着へ縫ったのか。
本人に聞くことはできない。
それでも、調べられることはあった。
「母親がいつから施設にいたか」
レオが言った。
ログは顔を上げる。
「分かる?」
「今の記録だけでは難しい。だが、四年前の記録には管理番号が残っている」
「それで?」
「古い記録と照合する」
ログは立ち上がった。
「行こう」
「今からか?」
「今分かったんだから今だろ」
「朝まで待て」
「何で」
「役所が閉まっている」
ログは座った。
「役所って不便だな」
「お前に合わせて開いている場所ではない」
翌朝。
二人は再び古い記録を辿った。
四年前の記録に残っていた番号から、一つ前の記録へ。
そこからさらに前へ。
管理する部署が変わるたび、番号の付け方も少しずつ変わっていた。
途中で別の帳簿へ移り、保管場所も変わる。
それでも、完全に切れてはいなかった。
一つ前の番号。
その前。
さらに、その前。
「……あった」
レオが指を止めた。
そこに記されていた年齢を見て、ログも黙った。
まだ一桁だった。
ヴィクの母親は、子供の頃から管理されていた。
しかも、その記録の日付は十九年前より古い。
地下の仕組みが壊される前から、彼女は施設にいたことになる。
《鴉樽》へ戻ると、ログは白衣の前へ記録を書き写した紙を置いた。
「この番号、覚えてる?」
白衣は見た。
「知らん」
「即答かよ」
「人間の番号を全部覚えていると思うな」
「研究の番号は覚えてるだろ」
「必要だったからな」
ログは顔をしかめた。
「人間は必要じゃなかったのかよ」
「研究対象として必要な情報は記録にあった」
「そういうとこだぞ、お前」
白衣は何が悪いのか分からない顔をしていた。
レオが別の紙を出した。
「こちらは?」
白衣が目を落とす。
今度は少し長く見た。
「見たことがある」
ログが身を乗り出した。
「誰?」
「軍の人間だ」
現在の最高司令官。
まだ若く、今の家へ婿入りする前の記録だった。
当時は今ほど高い地位ではない。
それでも軍の中で、施設への物資や管理に関わる仕事をしていたらしい。
「施設にも来てた?」
「来ていた」
白衣は答えた。
「何度も?」
「時期による。頻繁に来ていた時期はある」
「何しに?」
「物資の確認や、施設側との連絡だ。研究内容に直接関わっていたわけではない」
ログは母親の記録へ目を戻した。
レオも二枚の紙を並べる。
日付を追った。
一年。
二年。
三年。
重なっている。
母親がまだ子供だった頃。
若い司令官が、その施設へ何度も出入りしていた時期があった。
「会ってたと思う?」
ログが聞いた。
「分からない」
レオが答えた。
「でも、会っててもおかしくない?」
「それはそうだ」
「紋も?」
レオは少し考えた。
「当時なら、今の家へ入る前だ。生家の紋を使っていても不自然ではない」
ログは黙った。
母親が司令官を見たことがあったのか。
話したことがあったのか。
優しくされたことがあったのか。
怖い思いをさせられたのか。
ただ遠くから何度も見ていただけなのか。
何も分からない。
分かるのは、同じ時期に同じ施設にいたということだけだった。
そして母親は、何らかの理由でその紋を覚えていた。
何年も経ったあと。
自分が産んだ子供の産着へ縫えるほどに。
「本人に聞く?」
ログが言った。
主が煙草をくわえたまま答えた。
「何を」
「昔、この女を知ってたか」
「知らねえって言われたら終わりだ」
「じゃあ、どうする?」
主は煙を吐いた。
「別の奴に聞く」
「誰?」
「女房」
ログが瞬きをした。
レオも主を見る。
「最高司令官夫人ですか」
「ああ」
「でも、奥さんが昔のこと知ってる?」
「知らなくてもいい」
主は産着の紋を書き写した紙を指で叩いた。
「これは知ってる」
最高司令官が今の家へ入る前に使っていた、生家の紋。
妻なら知っている可能性は高い。
それに、夫人の実家はかつて軍の上層にいた家だった。
軍の記録がどう作られるのか。
何が残り、何が消えるのか。
少なくとも、普通の人間よりは知っている。
ログが笑った。
「呼ぶ?」
「呼ぶ」
「どうやって?」
主は紙を一枚取った。
しばらく考えてから、書いた。
レオが横から読む。
四年前、東側水路で死んだ女を覚えているか。
男児は生きている。
お前の夫の生家の紋がある。
話がしたい。
一人で来い。
レオが黙った。
ログも読んだ。
「……これ、呼び出し?」
「ああ」
「脅迫状じゃねえの?」
「脅してねえ」
「書き直してください」
レオが言った。
主は面倒そうな顔をした。
それでも新しい紙を取る。
今度は少し考える時間が長かった。
お呼び出しを申し上げる。
四年前、東側水路で死んだ女について話がある。
男児は生きている。
あなたの夫の生家の紋を確認した。
一人で来られたし。
レオが額を押さえた。
「何でだ」
主が聞く。
「先ほどより丁寧にはなりました」
「だろ」
「丁寧な脅迫状になっただけです」
ログが吹き出した。
主が睨む。
「じゃあ、お前が書け」
「嫌だよ」
「笑っただろ」
「書けるのと、変だって分かるのは別だろ」
三枚目。
四年前。東側水路。男児。
ご夫君の生家の紋について確認したい。
お一人で来られたし。
ログが覗き込む。
「お」
レオも読む。
「これなら、先ほどまでよりは」
主が紙を見た。
しばらく見ていた。
そして、新しい紙を取った。
「もういい」
「何がです?」
レオが聞いた。
主は一気に書いた。
四年前。男児。
あなたの夫の生家の紋。
心当たりがあれば来い。
紙を置く。
「これでいい」
レオが黙った。
ログも黙った。
白衣が横から覗いた。
「短くなったな」
「だろ」
「なぜ戻ったんですか」
レオが聞いた。
主は答えなかった。
ログがもう一度読む。
四年前。
男児。
夫の生家の紋。
心当たりがあれば来い。
「……でも」
「何だ」
「これが一番、来そう」
レオは否定しなかった。
その日のうちに、紙は常連の一人へ渡された。
司令官府を通さず。
使用人にも預けず。
夫人本人の手に入るように。
常連は夕方には戻ってきた。
「渡した」
ログがすぐに聞く。
「反応は?」
「読んでた」
「それだけ?」
「一回読んで、もう一回読んだ」
主が煙草に火をつけた。
「来るな」
「来るでしょうね」
レオが言った。
ログが見る。
「何で分かる?」
レオは机の上に残った三枚の失敗作を見た。
それから、夫人へ渡った最後の文面を思い出した。
「私でも行きます」




