第11章 ①
《鴉樽》へ戻ったとき、ヴィクは床に座っていた。
木片をいくつか並べている。
何を作っているのかは分からない。
ミナが向かいに座り、ときどきヴィクが差し出す木片を受け取っていた。
扉が開く音に気づいて、ヴィクが顔を上げる。
「ログ」
「ただいま」
「おかえり」
ログは、その場で少し止まった。
四年前。
男児。
出生時より管理対象。
適性未判定。
両親ともに高適性。
将来的な有用性あり。
紙に書かれていた言葉が、頭に残っている。
目の前にいるのは、床に木片を並べている四歳の子供だった。
ヴィクが一つ持ち上げる。
「これ、ふね」
どう見ても板だった。
「船?」
「ふね」
「そっか」
ログは頷いた。
「船だな」
ミナが笑った。
「さっきまで家だったよ」
「変わったの?」
「うん」
ヴィクは気にしていない。
ログは外套を脱いだ。
奥から主が出てくる。
「分かったか」
「ああ」
ログの顔を見ただけで、何かあったことは分かったらしい。
主は店の奥を顎で示した。
ログとレオが入る。
白衣も続こうとした。
「お前も来い」
ログが言った。
「行くつもりだ」
「じゃあ早く来い」
古参も最後に入った。
机へ、持ち帰った記録を置く。
ログは四年前の一枚を一番上にした。
主が読む。
しばらく何も言わなかった。
「これ」
ログが指した。
「ヴィクだと思う」
主の目が動く。
母親。
子供を伴い所在不明。
東側区域。
水路周辺。
男児。
出生時より管理対象。
主は最後まで読んだ。
「母親は」
「適性が高い」
ログは別の箇所を指す。
「父親も」
主の目がそこへ移る。
「二人とも、軍に管理されてた」
「それでヴィクもか」
「ああ。まだ何ができるかも分かってない。適性があるかどうかも分かってない」
ログは唇を曲げた。
「でも、両親にあるから、こいつにもあるかもしれないって」
主は何も言わない。
「だから生まれた時から番号つけて、管理対象にしてた」
レオが続けた。
「母親はヴィクを連れて逃げた。軍は追っている」
「東の水路まで?」
「ああ」
主は記録を見た。
四年前。
あの日。
女は赤ん坊を抱いて《鴉樽》へ来た。
まともに事情を話す余裕もなかった。
赤ん坊を離そうとしなかった。
そして、その日のうちに死んだ。
「軍の記録では、母親の死亡は確認されていない」
レオが言った。
「ヴィクも未回収のままだ」
主が顔を上げる。
「今も?」
「記録上はな」
ログが答えた。
主はしばらく黙っていた。
店の方からヴィクの声が聞こえる。
「ミナ、こっち」
「はいはい」
「ちがう」
「違うの?」
「こっち」
いつもの声だった。
主は記録を机へ戻した。
「他は」
ログたちは、十九年前から追ってきたものを話した。
王宮の停止命令。
軍の異議。
消えた事業名。
分けられた管理。
普通の役所。
普通の倉庫。
普通の商館。
細かく分けられた依頼。
地下の仕組みがなくなったあとも、別の形で残された対象者。
その子供。
逃げた母親。
追う軍。
そして現在まで続いている記録。
主は途中で口を挟まなかった。
最後まで聞いてから、煙草に火をつけた。
「つまり」
煙を吐く。
「止まってねえ」
「うん」
「十九年前からずっと」
「細くはなってる。でも残ってる」
主は煙草を灰皿へ置いた。
「今の頭は」
「軍の最高司令官」
ログが答える。
「少なくとも、今追ってる流れはあいつのところまで行ってる」
「証拠は」
「まだ足りない」
レオが言った。
「本人が関与している可能性は高い。だが、現在の司令官府へ物と人がつながっているだけでは、十九年間の継続すべてを彼の指示とは言えない」
ログが嫌そうな顔をする。
「分かってるよ」
「ならいい」
「言われると腹立つ」
「知らん」
主が二人を無視した。
「四年前は」
ログが見る。
「何?」
「こいつは今の地位だったのか」
レオが記録を確認する。
「いや。最高司令官ではない」
「軍にはいた?」
「ああ」
「どこだ」
レオが別の資料を取った。
これまで調べた軍歴と照らす。
「中央だ。物資と施設の管理に関わる部署にいる」
ログが顔を上げた。
「倉庫」
「ああ」
「施設」
「ああ」
「……近いな」
「近い。だが、それだけだ」
またレオに止められた。
ログは舌打ちした。
主が煙草を取る。
「もう一つある」
ログが主を見る。
主は立ち上がった。
奥へ消える。
しばらくして、小さな包みを持って戻ってきた。
布をほどく。
中から出てきたのは、小さな産着だった。
四年前。
ヴィクが身につけていたもの。
洗ってある。
血も汚れも残っていない。
それでも、あの日から捨てられずに残されていた。
ログが身を乗り出す。
「それ」
「あいつのだ」
主は産着を机へ置いた。
胸元の端。
小さな刺繍がある。
以前にも見た。
司令官の生家を調べたとき、その家に残る紋と似ていることも分かった。
だが。
あのときは、それだけだった。
ログは産着を手に取った。
「ちゃんと見たことあった?」
主が煙草を咥えたまま答える。
「ねえ」
「俺もない」
「私もだ」
レオも寄る。
白衣まで覗き込んだ。
「何でお前まで来るんだよ」
「見るためだ」
「見て分かるの?」
「見なければ分からん」
「それはそうだけど」
ログは産着を机へ広げた。
小さい。
四歳になったヴィクからは想像しにくいほど、小さな服だった。
胸元にある刺繍も大きくない。
飾りだと思えば、それで済む程度のものだ。
ログは指で触れた。
「これ、誰が縫ったんだろ」
誰も答えられない。
表から見る。
裏返す。
レオが灯りを近づけた。
刺繍の裏側に、糸が渡っている。
ログは目を細めた。
「……雑?」
ミナが扉から顔を出した。
「何が?」
全員が振り向いた。
「びっくりした!」
「何してるの?」
「ヴィクの昔の服見てる」
ミナの顔から笑いが消えた。
「どうして?」
主が答える。
「分かったことがある」
ミナは少しだけ店の方を見た。
ヴィクはまだ木片で遊んでいる。
「私も見ていい?」
「ああ」
ミナが入ってくる。
産着を見た。
刺繍を指でなぞる。
「これ」
ログが聞く。
「何か分かる?」
「ううん」
ミナは首を振った。
それから産着を裏返した。
「でも、これ」
「何?」
「後から縫ってる」
ログが瞬きをした。
「分かるの?」
「服を作るときに一緒に刺したんじゃないと思う」
ミナは縫い目を指した。
「ここ」
ログには違いが分からない。
レオにも分からないらしい。
白衣は最初から分かろうともしていない顔をしている。
ミナが産着の布を軽く引いた。
「服ができてから、ここに刺してる」
主が煙草を灰皿へ押しつけた。
「つまり」
ミナが頷く。
「最初から、この紋が入った産着じゃない」
部屋が静かになった。
ログは、もう一度刺繍を見る。
司令官の生家に残る紋。
それが。
生まれた赤ん坊の服へ。
後から縫いつけられていた。
ログが顔を上げた。
「誰が?」
今度は。
誰も答えなかった。第11章 ①
《鴉樽》へ戻ったとき、ヴィクは床に座っていた。
木片をいくつか並べている。
何を作っているのかは分からない。
ミナが向かいに座り、ときどきヴィクが差し出す木片を受け取っていた。
扉が開く音に気づいて、ヴィクが顔を上げる。
「ログ」
「ただいま」
「おかえり」
ログは、その場で少し止まった。
四年前。
男児。
出生時より管理対象。
適性未判定。
両親ともに高適性。
将来的な有用性あり。
紙に書かれていた言葉が、頭に残っている。
目の前にいるのは、床に木片を並べている四歳の子供だった。
ヴィクが一つ持ち上げる。
「これ、ふね」
どう見ても板だった。
「船?」
「ふね」
「そっか」
ログは頷いた。
「船だな」
ミナが笑った。
「さっきまで家だったよ」
「変わったの?」
「うん」
ヴィクは気にしていない。
ログは外套を脱いだ。
奥から主が出てくる。
「分かったか」
「ああ」
ログの顔を見ただけで、何かあったことは分かったらしい。
主は店の奥を顎で示した。
ログとレオが入る。
白衣も続こうとした。
「お前も来い」
ログが言った。
「行くつもりだ」
「じゃあ早く来い」
古参も最後に入った。
机へ、持ち帰った記録を置く。
ログは四年前の一枚を一番上にした。
主が読む。
しばらく何も言わなかった。
「これ」
ログが指した。
「ヴィクだと思う」
主の目が動く。
母親。
子供を伴い所在不明。
東側区域。
水路周辺。
男児。
出生時より管理対象。
主は最後まで読んだ。
「母親は」
「適性が高い」
ログは別の箇所を指す。
「父親も」
主の目がそこへ移る。
「二人とも、軍に管理されてた」
「それでヴィクもか」
「ああ。まだ何ができるかも分かってない。適性があるかどうかも分かってない」
ログは唇を曲げた。
「でも、両親にあるから、こいつにもあるかもしれないって」
主は何も言わない。
「だから生まれた時から番号つけて、管理対象にしてた」
レオが続けた。
「母親はヴィクを連れて逃げた。軍は追っている」
「東の水路まで?」
「ああ」
主は記録を見た。
四年前。
あの日。
女は赤ん坊を抱いて《鴉樽》へ来た。
まともに事情を話す余裕もなかった。
赤ん坊を離そうとしなかった。
そして、その日のうちに死んだ。
「軍の記録では、母親の死亡は確認されていない」
レオが言った。
「ヴィクも未回収のままだ」
主が顔を上げる。
「今も?」
「記録上はな」
ログが答えた。
主はしばらく黙っていた。
店の方からヴィクの声が聞こえる。
「ミナ、こっち」
「はいはい」
「ちがう」
「違うの?」
「こっち」
いつもの声だった。
主は記録を机へ戻した。
「他は」
ログたちは、十九年前から追ってきたものを話した。
王宮の停止命令。
軍の異議。
消えた事業名。
分けられた管理。
普通の役所。
普通の倉庫。
普通の商館。
細かく分けられた依頼。
地下の仕組みがなくなったあとも、別の形で残された対象者。
その子供。
逃げた母親。
追う軍。
そして現在まで続いている記録。
主は途中で口を挟まなかった。
最後まで聞いてから、煙草に火をつけた。
「つまり」
煙を吐く。
「止まってねえ」
「うん」
「十九年前からずっと」
「細くはなってる。でも残ってる」
主は煙草を灰皿へ置いた。
「今の頭は」
「軍の最高司令官」
ログが答える。
「少なくとも、今追ってる流れはあいつのところまで行ってる」
「証拠は」
「まだ足りない」
レオが言った。
「本人が関与している可能性は高い。だが、現在の司令官府へ物と人がつながっているだけでは、十九年間の継続すべてを彼の指示とは言えない」
ログが嫌そうな顔をする。
「分かってるよ」
「ならいい」
「言われると腹立つ」
「知らん」
主が二人を無視した。
「四年前は」
ログが見る。
「何?」
「こいつは今の地位だったのか」
レオが記録を確認する。
「いや。最高司令官ではない」
「軍にはいた?」
「ああ」
「どこだ」
レオが別の資料を取った。
これまで調べた軍歴と照らす。
「中央だ。物資と施設の管理に関わる部署にいる」
ログが顔を上げた。
「倉庫」
「ああ」
「施設」
「ああ」
「……近いな」
「近い。だが、それだけだ」
またレオに止められた。
ログは舌打ちした。
主が煙草を取る。
「もう一つある」
ログが主を見る。
主は立ち上がった。
奥へ消える。
しばらくして、小さな包みを持って戻ってきた。
布をほどく。
中から出てきたのは、小さな産着だった。
四年前。
ヴィクが身につけていたもの。
洗ってある。
血も汚れも残っていない。
それでも、あの日から捨てられずに残されていた。
ログが身を乗り出す。
「それ」
「あいつのだ」
主は産着を机へ置いた。
胸元の端。
小さな刺繍がある。
以前にも見た。
司令官の生家を調べたとき、その家に残る紋と似ていることも分かった。
だが。
あのときは、それだけだった。
ログは産着を手に取った。
「ちゃんと見たことあった?」
主が煙草を咥えたまま答える。
「ねえ」
「俺もない」
「私もだ」
レオも寄る。
白衣まで覗き込んだ。
「何でお前まで来るんだよ」
「見るためだ」
「見て分かるの?」
「見なければ分からん」
「それはそうだけど」
ログは産着を机へ広げた。
小さい。
四歳になったヴィクからは想像しにくいほど、小さな服だった。
胸元にある刺繍も大きくない。
飾りだと思えば、それで済む程度のものだ。
ログは指で触れた。
「これ、誰が縫ったんだろ」
誰も答えられない。
表から見る。
裏返す。
レオが灯りを近づけた。
刺繍の裏側に、糸が渡っている。
ログは目を細めた。
「……雑?」
ミナが扉から顔を出した。
「何が?」
全員が振り向いた。
「びっくりした!」
「何してるの?」
「ヴィクの昔の服見てる」
ミナの顔から笑いが消えた。
「どうして?」
主が答える。
「分かったことがある」
ミナは少しだけ店の方を見た。
ヴィクはまだ木片で遊んでいる。
「私も見ていい?」
「ああ」
ミナが入ってくる。
産着を見た。
刺繍を指でなぞる。
「これ」
ログが聞く。
「何か分かる?」
「ううん」
ミナは首を振った。
それから産着を裏返した。
「でも、これ」
「何?」
「後から縫ってる」
ログが瞬きをした。
「分かるの?」
「服を作るときに一緒に刺したんじゃないと思う」
ミナは縫い目を指した。
「ここ」
ログには違いが分からない。
レオにも分からないらしい。
白衣は最初から分かろうともしていない顔をしている。
ミナが産着の布を軽く引いた。
「服ができてから、ここに刺してる」
主が煙草を灰皿へ押しつけた。
「つまり」
ミナが頷く。
「最初から、この紋が入った産着じゃない」
部屋が静かになった。
ログは、もう一度刺繍を見る。
司令官の生家に残る紋。
それが。
生まれた赤ん坊の服へ。
後から縫いつけられていた。
ログが顔を上げた。
「誰が?」
今度は。
誰も答えなかった。




