第10章 ⑨
軍の施設へ移された子供たちは、そこで記録の分類を変えられていた。
それまでの記録には、年齢があった。
父親の番号。
母親の番号。
出生時の状態。
成長。
反応。
軍へ移された後、それらは別の紙へまとめられた。
代わりに増えたのは、訓練の記録だった。
ログは一枚を取った。
「命令?」
白衣が横から見る。
「そう書いてある」
起立。
停止。
移動。
待機。
運搬。
単純なものから始まっている。
指示を出す。
従う。
繰り返す。
正しくできれば次へ進む。
失敗すれば、同じことを繰り返す。
「普通の訓練じゃないの?」
ログが聞いた。
レオが別の記録を見ながら答える。
「最初だけならな」
年齢が上がるにつれて、内容が変わった。
騒音の中での命令。
暗闇での命令。
睡眠を削った状態での命令。
恐怖を与えた状態での命令。
怪我をした状態での命令。
命令と、自分の判断が食い違った場合。
ログの指が止まる。
「これ」
命令遂行を優先。
その横に数字が並んでいた。
何人が従ったか。
何人が止まったか。
何人が命令に疑問を示したか。
何人が拒否したか。
拒否した者には再訓練。
疑問を示した者にも再訓練。
自分で判断して止まった者も、再訓練。
ログは紙から顔を上げた。
「自分で考えたら駄目なの?」
「この記録では、そうなるな」
レオが答えた。
「何で?」
「命令通りに動かすためだろう」
「でも、命令が間違ってたら?」
誰も答えなかった。
ログは次をめくった。
訓練だけではない。
実際の任務記録が出てきた。
危険区域への進入。
暴動時の前列配置。
退路確保。
要人警護。
敵対者の拘束。
軍の撤退時における後方残留。
「後方残留って?」
ログが聞いた。
古参が記録を見る。
「本隊が退くまで、その場に残る」
「最後まで?」
「必要なら」
「その後は?」
古参は答えなかった。
ログは紙へ戻った。
帰還者数が書かれている。
配置人数。
帰還人数。
差が大きい。
別の記録を見る。
同じだった。
危険な任務ほど、適性者の配置割合が高い。
そして帰ってこない。
「……これ」
ログが言った。
「死んでるよな」
レオが記録を確認した。
「そうだろうな」
「そうだろうなって」
「死亡と書かれていない」
「帰ってきてないじゃん」
記録には、損耗とだけ書かれていた。
ログの眉が寄った。
「損耗って何」
古参が答える。
「失われた人数だ」
「人だぞ?」
古参は黙った。
ログは紙を持ち上げた。
「物みたいに書くなよ」
誰も何も言わなかった。
次の任務。
配置。
帰還。
損耗。
また次。
配置。
帰還。
損耗。
その数字の横には、任務達成率がある。
適性者を多く配置した部隊ほど、命令遂行率が高い。
軍の評価も高い。
さらに、その理由まで分析されていた。
恐怖下における命令拒否の減少。
自己判断による離脱の減少。
上官指示への反応速度向上。
ログは途中で読むのをやめた。
「つまりさ」
誰も口を挟まなかった。
「怖くても逃げない奴を作ったんじゃなくて」
紙を指で叩く。
「逃げていい時にも、逃げない奴を作ったんだろ」
レオがゆっくり息を吐いた。
「そう見える」
「上から行けって言われたら行く」
「ああ」
「戻れって言われなきゃ戻らない」
「ああ」
「死ぬって分かってても?」
レオは答えなかった。
その代わり、白衣が言った。
「危険を認識した上で命令を優先した、という記録がある」
ログが白衣を見る。
「それ、何が違うの」
「死ぬと分かっていたかまでは分からん」
「細かいな!」
「記録は正確に読め」
「今それいる!?」
「いる」
いつものやり取りだった。
だが、誰も笑わなかった。
ログは椅子へ深く座った。
「何のためにこんなの作ったんだよ」
レオが記録をめくる。
「書いてある」
軍の報告だった。
高危険度任務における人員確保。
部隊離脱の防止。
命令系統の安定。
作戦遂行率の向上。
ログは読み終える。
「便利だから?」
誰も否定しなかった。
「死ぬかもしれないところに行けって言っても行くから?」
沈黙。
「普通なら逃げるところでも逃げないから?」
また沈黙。
ログは机の上の紙を見た。
「それを便利って言うの?」
白衣が答えた。
「この記録を書いた者は、そう考えたんだろう」
ログはしばらく動かなかった。
三代前は、人を動かした。
二代前は、動かしやすい人間を選んだ。
そして。
選んだ人間から、逃げない兵士を作った。
違う。
ログは首を振った。
「逃げないんじゃない」
レオが見る。
「逃げられなくしたんだ」
その言葉に、白衣が紙から顔を上げた。
ログは続けた。
「怖くないわけじゃないんだろ?」
「恐怖反応は記録されている」
「痛くないわけでもない」
「負傷時の反応もある」
「死にたくないって思わないわけでもない」
白衣は少し考えた。
「そこまでは記録から分からん」
ログは白衣を睨んだ。
「じゃあ、そういうことにしとく」
「勝手に決めるな」
「うるさい」
レオが二人の間から紙を抜いた。
「まだ続きがある」
ログが嫌そうな顔をする。
「まだ?」
「ああ」
軍は適性者を使った。
だが、使えば減る。
危険な任務へ送れば、帰らない者が出る。
年齢を重ねれば、身体も衰える。
病気にもなる。
怪我もする。
だから。
軍は新しい適性者を探し続けた。
同時に、すでに適性が高いと判定された者の血縁も管理した。
ログの目が細くなる。
「さっきの子供か」
「そうだ」
生まれた時から番号を付けられた子供たちは、成長すると再び判定を受けた。
適性が低い者。
中程度の者。
高い者。
高い者は軍へ。
さらにその中から、特定の反応が強い者を選ぶ。
命令への反応。
反復による定着。
恐怖下での遂行。
そして。
男女。
ログが手を止めた。
同じ印が付いている。
男。
女。
双方とも適性、高。
その下。
組み合わせ継続。
「また?」
「まただな」
レオが答えた。
最初の世代だけではなかった。
適性が高いと判断された者を使う。
その中から男女を選ぶ。
子供が生まれる。
その子供を調べる。
適性が高ければ使う。
そして、また次へ。
ログは何枚もめくった。
同じ形の記録が続いていた。
番号。
番号。
番号。
親。
子。
その子。
「何代やってんの?」
白衣が年代を確認する。
「この束だけでも、二代前の治世の大半だな」
ログは顔をしかめた。
「王が代わるまで?」
「少なくとも記録は続いている」
そこで古参が別の束を持ってきた。
「代わった後もだ」
机に置く。
年代は、現在の王。
即位直後。
ログが紙を見る。
適性者管理。
継続。
「……今の王も?」
レオはすぐには答えなかった。
次の記録を取る。
その次。
さらに次。
制度は残っている。
軍の施設も残っている。
人もいる。
番号も続いている。
だが。
数年後。
一枚の書類を境に、記録の書き方が変わった。
新規選定の縮小。
対象者追加の制限。
新規組み合わせの停止。
ログの目が止まる。
「止めてる?」
レオが紙を取った。
「少なくとも、増やすのは止めようとしている」
「何で?」
古参が日付を見る。
「今の王が即位して、しばらく後だ」
その先にも指示があった。
段階的縮小。
既存対象者の扱いについて再検討。
子供の新規登録停止。
軍から異議。
王宮から再度指示。
軍から延期要請。
ログが顔を上げた。
「揉めてるじゃん」
「ああ」
それまで、王が決めれば進んでいた。
だが、ここでは違う。
王宮は止めようとしている。
軍は残そうとしている。
記録の間を、同じやり取りが何度も往復していた。
ログは紙を追った。
そして。
十九年前。
日付を見た瞬間、手が止まった。
知っている年だった。
地下の仕組みが壊れた年。
その直後。
王宮から軍へ、新しい命令が出ていた。
関連事業の停止。
新規対象者の受け入れ停止。
施設の段階的閉鎖。
ログは黙った。
レオも読んだ。
白衣も覗き込む。
「……俺が壊したから?」
ログが言った。
古参が首を振った。
「違う」
「え?」
「これを見ろ」
古参が指した。
命令書の日付。
地下の仕組みが壊れてから、あまりにも早い。
調査。
被害確認。
再建の検討。
本来なら、それだけでも時間がかかる。
だが、この命令は違った。
再建を命じていない。
停止を命じている。
レオが気づいた。
「用意していたのか」
古参が頷く。
「おそらく」
ログは、もう一度日付を見た。
地下の仕組みが壊れた。
だから王が止めたのではない。
止めたかった王の前で。
地下の仕組みが壊れた。
ログは黙った。
十九年前。
自分が何も知らずに壊したもの。
その向こうで。
別の誰かが、その瞬間を待っていた。




