第10章 ⑥
飯を食い終えると、ログはさっきまで読んでいた記録の前へ戻った。
四代前の終わり。
王宮から研究施設へ出された依頼は、年を追うごとに具体的になっていた。
どれだけの人数に影響するのか。
どこまで届くのか。
どれくらい続くのか。
強さを変えられるのか。
意図的に興奮させた集団を、任意の時点で鎮静へ移行させることは可能か。
研究施設は、それに答えた。
小規模ながら可能。
条件によって差がある。
継続検証が必要。
そこまでは、さっき読んだ。
ログは次の束を取った。
王が代わる。
三代前。
最初の数年は、大きな変化がなかった。
研究費が出る。
報告書が上がる。
王宮から追加の照会が来る。
研究施設が答える。
「変わらないな」
ログが紙をめくった。
「そう見える」
レオも隣の記録を追っている。
白衣は少し離れたところで、古い研究報告を読んでいた。
さらに一年。
さらに一年。
そして。
ログの手が止まった。
「……これ、何だ?」
レオが顔を上げた。
ログは紙を机の中央へ置いた。
研究報告ではなかった。
王宮の政務部門から出された実施記録だった。
ある地方都市。
食糧価格の上昇をきっかけに住民の不満が高まり、役所の前へ人が集まり始めた。
そこまでは分かる。
その下に、別の記載があった。
集団反応試験。
対象区域。
実施時間。
観測人数。
ログは黙って読んだ。
人の集まる場所で、恐怖と興奮を強める。
一定時間、維持する。
反応を見る。
その後、鎮静方向へ切り替える。
さらに王の名で救済策を発表する。
ログは最初からもう一度読んだ。
それからレオを見る。
「なあ」
「何だ」
「最初に騒がせたの、こいつらだよな?」
レオは記録を引き寄せた。
一行ずつ確認する。
「少なくとも、この記録をそのまま読むならな」
「で、騒ぎが大きくなってから止めた」
「ああ」
「そのあと王様が助けましたって?」
「そう書いてある」
ログはしばらく黙った。
「馬鹿なの?」
「ログ」
「だって馬鹿だろ」
古参が目を閉じた。
ログは紙を指で叩いた。
「自分で騒がせて、自分で止めて、自分が助けましたって言ってんだぞ?」
「声を落とせ」
「何でだよ。昔の王だろ」
「ここは役所だ」
「じゃあ小さい声で言う」
ログは少しだけ身を乗り出した。
「馬鹿だろ」
「聞こえている」
白衣だけが紙から顔を上げなかった。
「効果はあったらしい」
ログが振り向く。
「何で分かる」
「その次」
白衣が一枚抜いた。
実施後の調査。
王による救済措置への支持。
治安回復への評価。
王宮への信頼。
いずれも実施前より上昇していた。
ログの顔から笑いが消えた。
「……成功してるじゃん」
「だから続けたんだろう」
白衣は言った。
ログは何も言わなかった。
次の記録を取る。
別の町。
今度は騒ぎではなかった。
王の巡幸。
沿道に集められた人々。
到着前から高揚を促す。
王の姿が見える時刻に合わせて強める。
通過後、徐々に戻す。
観測項目には歓声の大きさまであった。
「これも?」
「実施記録だな」
レオが答えた。
次。
王宮での式典。
次。
軍の凱旋。
次。
新しい政策の公布。
使われる場面が増えていく。
恐怖。
安心。
興奮。
高揚。
研究施設で一つずつ確かめられていたものが、町へ出ていた。
ログは紙をめくる手を止めた。
「四代前は、使えるようにした」
「そうだな」
「こいつは使った」
誰も否定しなかった。
さらに記録を追う。
やがて、使うだけではなくなった。
王の肖像。
王を称える式典。
学校で教える王家の歴史。
国を救った王。
民を守った王。
混乱を鎮めた王。
繁栄をもたらした王。
その記述と、集団反応の実施記録が同じ年代から増えていた。
ログは一枚を持ち上げた。
「これ」
レオが見る。
王家の由来についての改訂案だった。
古い記録では、王家は有力諸侯の一つに過ぎない。
ところが改訂後には、国の始まりから民を導いてきた特別な家系になっている。
「昔のことまで変えてる」
「変えたというより」
古参が低く言った。
「そう教えることにしたんだ」
ログが古参を見る。
「同じじゃん」
返事はなかった。
さらに後の記録には、次代の王となる子供について書かれていた。
誕生の地。
その日に起きたとされる吉兆。
王家と古い聖地との結び付き。
それを学校、役所、軍、式典でどう扱うか。
配布する文書の内容まで決められていた。
ログは読み終えると、紙を置いた。
「……生まれた場所くらい分かるだろ」
レオが額を押さえた。
「そこか」
「だって自分の子供だろ?」
「問題はもっと別のところにある」
「そこも問題だよ」
白衣がようやく顔を上げた。
「事実かどうかは、運用上重要ではなかったのではないか」
ログが嫌そうな顔をした。
「何それ」
「信じさせることが目的なら、事実である必要はない」
「もっと嫌だ」
白衣はまた紙へ視線を戻した。
「実際、次の世代では、それを事実として教育されている」
ログの手が止まった。
レオも黙った。
最初に作った者は、嘘だと知っている。
それを教え始めた者も知っている。
だが、その話を生まれた時から聞かされた子供は違う。
教科書に書いてある。
教師が教える。
親もそう教わっている。
役所でも同じことを言う。
軍でも同じことを教える。
式典でも語られる。
町には王の肖像がある。
違う話をする者はいない。
やがて、最初に嘘だと知っていた者たちが死んでいく。
次の世代は、それを事実として子供へ教える。
その子供も、また次の子供へ教える。
もう、嘘をついている者はいなかった。
全員が、本当だと思っていた。
ログはしばらく黙っていた。
「……じゃあ、地下のあれがなくても同じじゃん」
レオがログを見た。
古参も顔を上げた。
ログは机の上の記録を見ていた。
「ずっとやってりゃ、そのうち何もしなくても、全員が信じるだろ」
白衣が答えた。
「そうなるな」
ログが顔を上げた。
「怖っ」
「何がだ」
「だって、最初に嘘ついた奴がいなくなったら、誰が嘘だって知ってんだよ」
白衣は少し考えた。
「記録が残っていれば、記録は知っている」
ログは目の前に積まれた紙を見た。
古い紙。
誰にも読まれず、棚の奥に残っていた記録。
「だから、これが残ってんのか」
レオが一枚を手に取った。
「少なくとも、消し切れなかったらしいな」
ログは椅子の背にもたれた。
「国中で同じ嘘を教えて、全員が本当だと思うようになったら」
少し黙る。
「それ、もう誰が嘘ついてんの?」
誰も答えなかった。
三代前。
研究を作った王ではない。
使える形にした王でもない。
すでにあったものを使った。
人を騒がせた。
人を鎮めた。
その結果を、自分の功績にした。
そして最後には、地下の仕組みに頼らなくても、人が同じものを信じる仕組みまで作った。
ログは次の年代を見た。
王が、また代わる。
二代前。
最初の記録を取る。
そこには、これまでとは違う言葉があった。
集団ではない。
町でもない。
一人の人間についてだった。
――適性。
ログの眉が寄った。
「……今度は何だよ」
白衣が横から紙を覗いた。
しばらく読む。
そして言った。
「選ぶんじゃないか」
「何を」
白衣は記録を指した。
「使いやすい人間を」
ログは、もう何も言わなかった。




