第10章 ⑤
王宮からの依頼は、一度ではなかった。
翌年にもあった。
その次の年にも。
最初は、以前からある研究についての照会だった。
集団の恐怖を抑える方法。
混乱を鎮める条件。
指示を伝わりやすくする方法。
人が周囲の感情に影響される条件。
「まだ普通だな」
ログが言った。
白衣が頷く。
「普通だ」
レオは王宮からの依頼だけを抜き出して並べていた。
「ただ、増えてる」
最初は年に一度。
次は二度。
その次は四度。
研究施設側から提出した報告に、王宮が質問を返しているものもあった。
古参が一枚を取る。
「これだ」
集団環境下における恐怖反応の伝播。
その研究に対して、王宮から追加の照会が来ていた。
レオが読む。
「効果の及ぶ人数」
次。
「持続時間」
次。
「距離による変化」
さらに次。
「対象集団の構成による差」
ログが眉を寄せた。
「細かくなってない?」
「なってるな」
白衣が紙を見る。
「応用するなら必要だ」
「何に?」
「知らん」
「またそれか」
「書いてないものは知らん」
次の記録へ進む。
今度は興奮状態の誘発についてだった。
王宮からの質問。
意図的な誘発は可能か。
特定の対象から周囲へ広げることは可能か。
どの程度の時間で集団へ伝播するか。
自然発生した場合との差はあるか。
ログが読む速度を落とした。
「白衣」
「何だ」
「これも普通?」
「研究上は」
「研究上は?」
白衣は少し考えた。
「聞いている内容そのものはおかしくない」
「じゃあ普通じゃん」
「誰が、何のために聞いているかは別だ」
ログが白衣を見る。
「珍しいこと言うな」
「何が」
「お前が目的を気にした」
「私は研究の目的を気にしているんじゃない」
白衣は王宮からの依頼書を指した。
「利用目的が書いてない」
レオが顔を上げた。
それまでの依頼にはあった。
医療。
災害対応。
兵士の治療。
避難時の混乱防止。
目的があるから、それに必要な研究を依頼する。
王宮からのものには、それがない。
集団反応に関する応用検討。
それだけ。
古参が言った。
「研究する側は聞かなかったのか?」
白衣が別の記録を探した。
あった。
研究施設から王宮への確認。
想定される利用環境。
対象人数。
必要とされる効果。
それに対する返答は短かった。
複数の状況を想定。
特定用途に限定せず検証されたし。
ログが読む。
「つまり?」
レオが答えた。
「何に使うか決めずに、使えるようにしておけってことだ」
白衣が訂正する。
「何に使うか、研究施設には知らせていないだけかもしれん」
「そっちの方が嫌なんだけど」
「そうか」
「そうだよ」
さらに年代を進めた。
研究内容そのものにも変化が出始めた。
以前は、自然に起きる反応を観察するものが多かった。
恐怖がどう広がるか。
興奮がどう収まるか。
周囲の人間がどう影響するか。
それが少しずつ変わる。
一定の条件を作る。
意図的に反応を起こす。
反応の強さを変える。
長く続かせる。
途中で止める。
再び起こす。
ログが一枚の紙を置いた。
「これ、もう観察じゃないよな」
白衣が見る。
「操作だな」
全員が白衣を見た。
「何だ」
ログが聞く。
「そんな普通に言う?」
「操作して条件を変える実験は普通にある」
「言葉が怖いんだよ」
「言葉に怖いも何もない」
ログは納得しなかった。
だが。
まだ研究だった。
対象となる人間の反応を変え、結果を記録する。
成功。
失敗。
個人差。
人数による差。
時間による変化。
その繰り返し。
そして。
四代前の治世も終わりに近づいた頃。
一つの報告が残っていた。
白衣が先に読んだ。
動きが止まる。
ログがすぐに気づいた。
「何?」
白衣は答えず、紙をレオへ渡した。
レオが読む。
古参も横から覗く。
ログだけが待たされた。
「俺にも見せろよ」
レオが紙を置いた。
そこには、長い研究結果の最後に短い結論があった。
条件を整えた環境下において、集団の感情反応を一定方向へ誘導することは可能。
ログはもう一度読んだ。
「できた?」
白衣が答える。
「ああ」
「どれくらい?」
「この実験では小規模だ」
「何人?」
白衣が数字を確認する。
まだ、大勢とは呼べない人数だった。
ログは少し息を吐いた。
「じゃあ、国中とかは無理だろ」
「この時点ではな」
レオが次の紙を取った。
研究施設から王宮へ提出された報告。
その返答も残っていた。
追加研究を継続。
規模拡大時の条件を検証されたし。
ログが黙った。
古参が次を見る。
「まだある」
対象人数を増やす。
効果範囲を広げる。
持続時間を延ばす。
反応の強度を調整する。
そして。
誘導した状態から、任意の時点で鎮静へ移行できるか。
ログの指が止まった。
「待って」
誰も答えない。
ログは二つの記録を並べた。
一つは。
感情を意図的に動かす。
もう一つは。
動かした感情を、あとから鎮める。
「これさ」
レオがログを見る。
「何だ」
「自分で騒がせて、自分で止められるってこと?」
沈黙した。
白衣が研究記録を見る。
「理論上は」
ログの顔から、さっきまでの軽さが消えた。
「何のために?」
答えは書かれていない。
王宮は研究を続けさせた。
研究者は求められた条件を調べた。
できるか。
できないか。
どこまでできるか。
どうすれば安定するか。
そこまでだった。
少なくとも。
残っている四代前の記録では。
実際に町で使ったとは書かれていない。
国民に使ったとも。
反対する者に使ったとも。
ただ。
道具はできた。
古参が低い声で言った。
「ここだな」
ログが見る。
「何が?」
「変わり始めたところだ」
研究は、それ以前からあった。
四代前が始めたわけではない。
集団の研究も。
感情の研究も。
人間の反応を変える研究も。
それぞれに理由があった。
だが。
四代前の王宮は、それらを集めた。
使えるかを聞いた。
範囲を聞いた。
持続時間を聞いた。
強さを聞いた。
そして。
使える形にさせた。
レオが年代を確認した。
「次は?」
古参が答える。
「王が代わる」
ログは次の束を見た。
三代前。
紙の表紙には、新しい治世の年号が書かれていた。
白衣が手を伸ばす。
ログがその手を止めた。
「待って」
「何だ」
「飯にしよう」
レオがずっこけそうな顔をした。
「今か?」
「今だよ。絶対ここから長いだろ」
古参が笑った。
白衣はログの手を払った。
「私は読みながら食べる」
「やめろ。汚す」
「昨日お前がパン屑を落とした」
「何で覚えてんだよ」
レオはため息をついた。
三代前の記録は、まだ開かれなかった。
四代前。
研究は道具になった。
次の王が。
それをどう使ったのか。
それは、飯の後だった。




