第10章 ④
四代前の記録を、そのまま年代順に追った。
集団に関する研究は増えていた。
恐怖。
緊張。
興奮。
混乱。
それらが一人から周囲へ広がる条件。
逆に、落ち着いた人間が周囲へ与える影響。
避難場所。
軍の宿舎。
治療施設。
人が集まる場所で、どんな反応が起きるのか。
最初のうちは、目的も分かりやすかった。
混乱を防ぐ。
恐怖を和らげる。
興奮した者を落ち着かせる。
眠れない者を眠らせる。
「まともだな」
ログが言った。
白衣は紙から顔を上げない。
「昨日も言っていたな」
「だって、まともなんだもん」
「何が不満なんだ」
「不満じゃない」
「なら黙って読め」
ログは次の紙を取った。
読む。
また次。
しばらくして、手が止まった。
「白衣」
「何だ」
「これ」
紙を渡す。
白衣が読む。
「何だ」
「何だじゃない」
「普通だ」
「どこが?」
ログが指を置いた。
そこには、それまでとは少し違う言葉があった。
興奮状態の誘発。
恐怖反応の増幅。
集団環境下における感情伝播の促進。
「今まで止めようとしてたよな?」
「ああ」
「何で増やしてるの?」
白衣がログを見る。
「逆も調べるだろう」
「何で」
「鎮める条件が分かった」
「うん」
「なら、強める条件も調べる」
「だから何で?」
白衣が少し黙った。
「お前は熱を下げる薬しか調べないのか」
「熱があるなら下げたいだろ」
「上がる仕組みを知らずに?」
ログが止まった。
白衣は紙を戻した。
「反応を抑えるなら、何によって反応が強くなるのかも調べる。片方だけ見て、全部分かったことにはならない」
「……必要?」
「必要だ」
「絶対?」
「研究する側ならな」
ログは納得していない顔で紙を見た。
少し離れた卓にいたレオが口を挟む。
「白衣の言うことは分かる」
「レオまで」
「怖がらなくする方法を知りたいなら、何で人が怖がるのかも調べるだろ」
「それは分かる」
「怒りも同じだ」
古参が別の束を持ってきた。
「こっちにもあるぞ」
研究費の申請だった。
それまでと同じ研究機関。
医療関係。
軍。
災害対応。
だが、研究項目が増えたことで、依頼内容も少し変わっている。
集団の誘導。
混乱の発生条件。
指示が伝わりやすい環境。
集団内で特定の行動が広がる条件。
ログが読む。
「誘導?」
レオが横から見る。
「避難誘導じゃないか?」
その下に目的が書いてあった。
災害時における避難行動の円滑化。
「避難だった」
「だから最初から悪いものを探すな」
「分かってるよ」
次。
集団内における恐怖伝播の抑制。
目的。
戦場における混乱の軽減。
次。
興奮状態の誘発条件。
目的。
精神反応の機序確認。
ログが止まった。
「これは?」
白衣が見る。
「書いてあるだろ」
「確認するだけ?」
「そうだろう」
「興奮させて?」
「興奮しない人間の興奮を研究できるのか?」
ログは紙を置いた。
「研究者って面倒くさいな」
「今さらか」
また年代を進めた。
研究は続く。
鎮める。
強める。
恐怖させる。
安心させる。
集中させる。
注意を逸らす。
一人で調べる。
複数で調べる。
集団で調べる。
それでも。
使い道はまだ限られていた。
医療。
救護。
軍。
災害対応。
研究そのもの。
レオが腕を組んだ。
「ここまでは、まだ説明がつく」
古参も頷く。
「目的も書いてある」
ログが紙の束を見る。
「隠してもない」
「ああ」
今まで追ってきた記録とは違う。
照会不要ではない。
依頼元も分かる。
目的も書いてある。
誰が許可したのかも追える。
研究対象者についても、必要な範囲で記録が残っている。
秘密の仕事ではなかった。
白衣が次の束へ手を伸ばした。
「続けるぞ」
ログも紙を取った。
数年進む。
また数年。
そこで。
古参が一枚の書類を抜いた。
「待て」
三人が見る。
「何?」
古参は紙の上部を見ていた。
「依頼元が増えてる」
ログが覗く。
見たことのない部署名だった。
「どこ?」
レオが紙を受け取った。
しばらく読む。
「王宮だ」
ログが顔を上げる。
「王宮?」
「王宮付きの政務部門」
白衣が手を出す。
レオが渡した。
研究内容は、それまでと大きく変わらない。
集団。
感情。
誘導。
鎮静。
だが。
目的欄が短くなっていた。
集団反応に関する応用検討。
それだけだった。
ログが言った。
「何に使うの?」
白衣が答える。
「書いてない」
「今まで書いてたよな」
誰も答えなかった。
同じ研究だった。
突然、危険なものが生まれたわけではない。
研究者も同じ。
施設も同じ。
調べていることも、大きくは変わっていない。
変わったのは。
それを欲しがる側だった。
レオが紙を置いた。
「年代は?」
古参が確認する。
「四代前。後半だ」
ログは、その一枚を見た。
まだ。
悪用されたとは書いていない。
誰かを支配したとも。
騒乱を起こしたとも。
何も起きていない。
ただ。
研究を見ている人間が、一人増えた。
王宮。
ログが次の記録へ手を伸ばした。
「続き」
誰も止めなかった。




