第10章 ③
五代前の後半から、今度は年代を前へ進めた。
昨日までとは逆だった。
古いものから、新しいものへ。
研究施設の名前が変わる。
責任者が変わる。
研究内容も少しずつ変わっていく。
治療。
薬。
身体反応。
感覚。
精神反応。
五代前の記録にあったものは、そのまま次の時代にも残っていた。
「変わらないな」
ログが言った。
白衣は記録を読んでいる。
「急に全部変わると思っていたのか」
「少しくらい変われよ」
「研究はお前を楽しませるためにあるんじゃない」
「知ってるよ」
紙をめくる。
次。
その次。
また次。
同じような項目が続く。
ログはだんだん飽きてきた。
「白衣」
「何だ」
「変わったら教えて」
「自分で読め」
「分からないんだよ」
「なら覚えろ」
「お前、囮の意味分かってる?」
「お前が目立つことだろう」
「俺、いなくてもよくない?」
白衣が初めて顔を上げた。
「確かに」
「そこは否定しろよ」
少し離れたところで、レオが笑った。
古参は別の記録を調べている。
こちらは研究ではなく、予算と人員だった。
研究者が何人いたのか。
施設にいくら使われたのか。
どこから薬品を買ったのか。
誰が許可したのか。
研究内容だけを見ても分からない。
昨日、それが分かった。
だから今日は四人で同じ年代を追っていた。
しばらくして。
白衣の手が止まった。
「増えたな」
ログがすぐに寄る。
「何が?」
白衣が指を置いた。
精神反応に関する研究。
恐怖。
興奮。
緊張。
それ自体は前の年代にもある。
違うのは、その下だった。
複数人における反応差。
集団環境下での変化。
周囲から受ける影響。
「人数?」
「ああ」
「今まで一人だった?」
「一人とは限らん。だが、個人ごとの反応を見るものが多かった」
白衣が次の記録を取る。
そこにもあった。
少人数。
複数人。
集団。
同じ言葉が少しずつ増えていく。
ログが眉を寄せた。
「何で急に増えた?」
「急ではない」
「増えてるだろ」
「何年分見てると思ってる」
ログは黙った。
確かに急ではなかった。
紙を一枚ずつ見ているから近く感じるだけで、その間には何年もある。
「じゃあ、何で?」
「個人で分かったことを、複数でも調べたんだろう」
「普通?」
「普通だ」
また普通だった。
ログは少し残念そうな顔をした。
「何だ」
「いや」
「何か出てほしかったのか?」
「そろそろ出てもいいだろ」
「何が」
「悪いやつ」
レオが口を挟んだ。
「最初から悪いやつを探すな」
「だって、最後はあれになるんだぞ」
十九年前。
地下にあった巨大な機構。
人を運び。
管理し。
子供まで巻き込んでいたもの。
その始まりを探している。
なのに。
目の前にあるのは、普通の研究ばかりだった。
古参が別の卓から呼んだ。
「こっちに一つあるぞ」
三人が移動する。
古参の前には予算関係の記録が並んでいた。
「何?」
「出すところが増えてる」
研究施設への予算。
それまでは、研究を担当する機関から出ていた。
ところが四代前に入った頃から、別の名が混じり始める。
医療を扱う部署。
災害時の救護を担当する部署。
そして。
「軍」
ログが言った。
レオが記録を取った。
軍から研究施設への依頼。
兵士の恐怖反応。
極度の緊張状態での判断。
長時間の警戒による精神への影響。
興奮状態からの鎮静。
「……出てきたな」
ログが言う。
白衣は記録を覗いた。
「別におかしくない」
ログが見る。
「軍だぞ」
「兵士も人間だ」
「それは知ってる」
「戦場で恐怖を感じる。緊張する。眠れなくなる。判断を誤る。研究する理由はある」
レオも頷いた。
「これだけならな」
ログは紙をもう一度見た。
確かに。
兵士を操ろうとしているわけではない。
恐怖を消して戦わせようとも書いていない。
戦場から戻った兵士の治療に関するものまである。
むしろ。
「まともだな」
「ああ」
白衣が答えた。
ログは嫌そうな顔をした。
「また普通か」
「普通で何が悪い」
「悪くないけど」
古参が笑った。
「悪いものを探してるから、普通だと困るんだろ」
「そう」
「素直だな」
さらに年代を進める。
軍からの依頼は消えなかった。
だが、軍だけでもなかった。
災害時に混乱した人々をどう落ち着かせるか。
避難場所で恐怖が広がる条件。
一人の動揺が周囲へ与える影響。
大勢が同時に興奮した時、何が起きるのか。
研究対象が少しずつ広がっていた。
個人から。
複数へ。
複数から。
集団へ。
ログが一枚の記録を取った。
「これも?」
白衣が見る。
「そうだな」
「人が多いと、怖がるのも移るってこと?」
「簡単に言えば」
「怒るのも?」
「あるだろう」
「逃げるのも?」
「ある」
ログは紙を見た。
「じゃあ、逆は?」
白衣が顔を上げる。
「何が」
「一人が落ち着いたら、周りも落ち着く?」
「条件による」
「できる?」
「だから、それを調べてるんだろう」
ログは黙った。
白衣は次の紙へ手を伸ばした。
レオだけが、少し長くその記録を見ていた。
「どうした?」
ログが聞く。
「いや」
レオは紙を置いた。
「まだ何もおかしくない」
「だろ?」
白衣が言った。
レオは頷いた。
「ああ」
まだ。
何もおかしくない。
研究者が研究している。
医療が使おうとしている。
軍が兵士のために依頼している。
災害時の混乱を減らそうとしている。
誰かを支配しようとしている者はいない。
少なくとも。
残っている記録には。
ログは次の年代の束を引き寄せた。
四代前。
まだ続いている。
「次、見るぞ」
白衣も手を伸ばした。
個人から集団へ。
研究は少しずつ広がっていた。
まだ。
研究のままだった。




