第10章 ②
ログと白衣は、昨日までと同じように古い研究施設の記録を追っていた。
囮なので、今日も堂々としている。
地下施設。
研究施設。
移送記録。
物資。
年代を少しずつ前へ戻していく。
最初のうちは簡単だった。
十九年前。
二十年前。
三十年前。
役所の名前が変わる。
担当部署も変わる。
管理番号の形式も変わる。
それでも、前の制度を引き継いだ記録が残っている。
「これ、いつまでやるの?」
ログが紙をめくりながら聞いた。
「切れるまでだろう」
白衣が答えた。
「本当に切れるの?」
「知らん」
「お前、研究者だろ」
「記録官ではない」
ログは紙を置いた。
昨日から何度も同じことをしている。
古い部署がなくなる。
その前身を探す。
さらに古い部署が出る。
また前身を探す。
研究施設も同じだった。
建物がなくなっても、別の施設へ機能が移っている。
名称が変わっても、似た研究が続いている。
だが、同じものがそのまま続いているわけではなかった。
研究内容の増減。
別の分野と統合されまた分かれる。
ログには半分も分からなかった。
白衣は分かるらしい。
腹立たしい。
昼を過ぎた頃。
一つ前の時代へ移ろうとして、止まった。
「ありません」
記録官が言った。
ログは聞き返した。
「何が?」
「その前の記録です」
「別の部署に移った?」
「いいえ」
「別の記録院?」
「確認します」
しばらく待った。
戻ってきた記録官は、別の帳面を持っていた。
「やはり、ありません」
ログが白衣を見る。
「切れた」
「切れたな」
「嬉しそうに言うな」
そこへ、別の記録を調べていたレオと古参が来た。
ログは手を上げた。
「終わった」
「何が」
「記録。ないって」
古参の顔が変わった。
「どこまで戻った?」
年代を聞く。
古参は少し考えた。
「五代前か」
「後半だな」
レオが記録官を見る。
「それ以前は、どこへ?」
記録官は持ってきた帳面を開いた。
古い記録の所在をまとめたものらしい。
指が一か所で止まる。
「残っていません」
「全部?」
「少なくとも、中央にまとまったものは」
ログが眉を寄せた。
「なんで?」
記録官は簡単に答えた。
「戦争です」
ログが黙った。
レオが帳面を覗く。
「どの戦争だ」
一つではなかった。
古い王都での火災や、中央記録庫の焼失。
戦時中の移転や、移転先で失われたもの。
持ち出されたまま戻らなかったもの。
そして、国境の変更。
当時この国のものだった土地が、今は別の国にある。
逆に、今はこの国の領土でも、その頃は別の国だった場所もある。
記録官が一つずつ説明した。
「この研究施設があった地域は、一時期、国境の外になっています」
ログが顔を上げた。
「じゃあ、向こうにある?」
「分かりません」
「返してもらってないの?」
「残っているかどうかも分かりません」
古参が帳面を見る。
「戦争の後、国境が戻った時は?」
「施設そのものが残っていませんでした」
「焼けた?」
「それも分かりません」
分からない。
残っていない。
所在不明。
それまで繋がっていた線が、そこで急に途切れた。
ログは椅子に座り直した。
「……じゃあ、ここから先は調べられない?」
レオが答える前に、白衣が言った。
「公文書ではな」
ログが見る。
「他にあるの?」
「知らん」
「お前な」
「研究者個人の記録。後世の論文。引用。私蔵された資料。残るとしたら、そういうものだ」
「ある?」
「だから知らん」
ログが手を伸ばした。
レオが止めた。
「殴るな」
「まだ何もしてない」
「顔に出てる」
古参は別の紙を見ていた。
「ただ、妙だな」
「何が?」
「ここだ」
五代前後半。
残っている中では、かなり古い研究関係の記録だった。
古参が一つの記述を指した。
研究そのものの内容ではない。
予算だった。
施設の維持。
研究者への支給。
対象者の滞在費。
薬品に食料。
「これだけ見ると、普通だろ」
ログが言った。
「ああ」
古参が次を指す。
そこには短い記載があった。
既存研究の応用可能性について継続検討。
ログが読む。
「応用?」
白衣が紙を取った。
少しだけ長く見る。
「研究では普通だ」
「何に使うかってこと?」
「そうだ」
「何に?」
「書いてない」
レオが別の記録を探す。
似た記述が、いくつかあった。
治療。
薬。
感覚。
精神反応。
身体反応。
その成果を別の用途へ利用できないか。
そんな検討が始まっている。
だが。
「普通だな」
白衣が答えた。
「普通だ」
「じゃあ、まだここじゃない」
レオが頷く。
「少なくとも、残っている五代前後半の記録ではな」
古参が腕を組んだ。
「それ以前は分からん」
誰も否定できなかった。
研究がいつ始まったのか。
なぜ始まったのか。
最初に何を調べていたのか。
そこまでは追えない。
戦争が持っていった。
国境が変わった。
施設が消えた。
記録も消えた。
残っているのは、その後だけだった。
ログは五代前の記録を見た。
「じゃあ、ここから進めばいい」
レオが見る。
「何が?」
「いつ変わったか」
それ以前が分からなくても。
五代前の後半には、まだ普通の研究だった。
なら、ここから年代を進めればいい。
いつ軍が入った。
いつ役所が入り始めた。
いつ人間に番号を付けた。
いつ目的を隠した。
いつ、研究ではなくなった。
白衣が訂正した。
「研究ではなくなったわけではない」
ログが見る。
「そこ重要?」
「重要だ。研究は続いている。その成果を何に使ったかが問題だ」
少し間があった。
レオが頷いた。
「その方が正しいな」
ログは納得していない顔をした。
「面倒くさい」
「だからお前は囮なんだ」
「関係ないだろ」
古参が笑った。
卓の上には、五代前後半の記録が残った。
それより前はない。
今必要なのは、その先ではなかった。
ここから現在へ向かえばいい。
研究が。
いつ。
誰の手で。
別の使われ方を始めたのか。
ログは一番古い記録を指で叩いた。
「じゃあ、次」
五代前の後半。
ここから先を追う。




