第10章 ①
翌朝《鴉樽》の奥の卓には、昨日の紙がまだ残っていた。
古い管理番号。
倉庫。
商館。
軍。
司令官府。
そして、十九年前。
ログは椅子に座るなり、卓の上を見た。
「で、どこまで戻る?」
古参が茶を飲む。
「知らん」
「お前、本当に役に立つの?」
「昨日まで役に立っていただろうが」
「昨日までな」
「投げるぞ」
「どこに」
「水路だ」
「それ俺の台詞」
レオが紙を一枚持ち上げた。
「十九年前は区切りにはなる」
「地下機構が壊れた年だろ」
「ああ。その前後で仕事の量が大きく変わっている。だが、始まった年じゃない」
古参が頷いた。
「俺が中央管理局にいた頃には、もうあった」
「その前は?」
「知らんと言ってるだろ」
ログが白衣を見る。
白衣は朝から何か食べていた。
「お前は?」
「何が」
「研究施設。いつからあった」
「私が入る前から」
「どれくらい前」
「知らん」
「お前ら、知らんしか言わないな」
白衣は少し考えた。
「ただ、古かった」
「何が」
「研究そのものが」
ログが眉を寄せる。
レオが白衣を見る。
「施設じゃなくて?」
「ああ」
白衣はパンをちぎった。
「私が入った時点で、以前の研究記録があった。さらに、その記録が参照している古い記録もあった」
「どれくらい古い」
「覚えてない」
ログが立ち上がりかけた。
主が煙草をくわえたまま言った。
「座れ」
ログは座った。
「殴ってない」
「まだな」
白衣は気にせず続ける。
「同じ施設で続いていたわけじゃない。研究する場所も、人間も、名称も変わっている。ただ、前の研究を引き継いでいた」
レオが紙を置いた。
「何の研究だ」
「色々だ」
「色々じゃ分からない」
「人間だ」
卓が静かになった。
ログが白衣を見る。
「広すぎない?」
「だから色々だと言った」
「もう少し狭くしろ」
「身体。感覚。反応。記憶。精神。薬物への反応。環境による変化。他にもある」
古参が眉を寄せた。
「それが、あの地下機構に繋がったのか?」
「知らん」
「またか」
「私が研究していた頃には、地下機構はすでにあった。研究成果の一部が使われていた可能性はある。だが、作った人間ではない」
ログが卓を指で叩いた。
十九年前。
そこから二十年。
三十年。
もっと前。
「じゃあさ」
レオが見る。
「何だ」
「始まったところ探しても、意味なくない?」
古参が顔を上げた。
ログは白衣を指した。
「研究そのものは、こいつが生まれる前からあったんだろ」
「おそらくな」
「それ全部が悪かったわけじゃないだろ?」
白衣がログを見る。
「当然だ」
即答だった。
「研究は研究だ」
「じゃあ、どっかで変わってる」
誰も口を挟まなかった。
ログは卓の上の紙を一枚取った。
「昔から研究してた。何かに使えるかもって調べてた。それが、いつの間にか地下にあんなもん作って、人を運んで、番号つけて、役所まで使うようになった」
レオの目が細くなる。
「研究が始まった時期じゃない」
「ああ」
古参が続けた。
「国が使い始めた時期か」
「それも調べる」
主が初めて口を開いた。
「変わった場所を探せ」
ログが見る。
「場所?」
「年代だ」
煙がゆっくり上がった。
「研究の記録に、今までなかったものが入る」
レオが頷いた。
「軍」
古参が続ける。
「行政」
「人員の移送」
「物資」
ログも言った。
「子供」
白衣だけがパンを食べていた。
ログがそちらを見る。
「お前も何か言え」
「目的」
全員が白衣を見る。
白衣はパンを持ったままだった。
「研究内容が同じでも、目的が変われば記録の書き方が変わる」
ログがしばらく黙る。
「……お前、たまに研究者みたいなこと言うな」
「研究者だ」
「そうだった」
レオが紙を引き寄せた。
「決まりだな」
古い研究記録。
行政記録。
軍の記録。
施設の記録。
一つの年代だけを見るのではない。
並べる。
どこで何が増えたのか。
どこで言葉が変わったのか。
誰が入り始めたのか。
そして。
何のために使われ始めたのか。
古参が椅子から立った。
「古い記録なら、中央記録院だ」
ログも立つ。
「行くか」
「お前は別だ」
「なんで」
レオが笑った。
「囮」
「まだやるの!?」
「向こうがお前を見てる間はな」
主が煙草の灰を落とした。
「ログと白衣は昨日までの続きをやれ」
「またこいつと?」
「嫌なのか」
白衣が聞いた。
「お前が言うな」
「レオと古参は過去を掘れ」
レオが頷く。
「どこまで?」
主は少しだけ考えた。
「切れるまでだ」
「何が」
「記録が」
その日の調査は、十九年前から始まった。
二十年前。
三十年前。
四十年前。
管理番号の形は変わった。
役所の名前も変わった。
担当する部署も消えていた。
それでも。
似た仕事は残っていた。
人。
薬。
食料。
衣類。
施設。
運搬。
目的の書かれていない依頼。
全体を知らない担当者。
古参が覚えていた時代より前にもあった。
さらに前にも。
夕方。
戻ってきたレオは、紙の束を卓へ置いた。
「切れない」
ログが顔を上げる。
「何が」
「記録だ」
古参も椅子へ座った。
「名前は変わってる。仕組みも今と同じじゃない。だが、元になった仕事がずっと前まで続いている」
「どこまで行った?」
レオが答えた。
「まだ途中だ」
ログが白衣を見る。
白衣は紙を一枚取った。
しばらく眺める。
「これは研究施設への物資だな」
「分かるのか?」
「品目で分かる」
古参が別の紙を出した。
「こっちは?」
白衣が見る。
少しだけ目を止めた。
「古いな」
「どれくらい?」
「私の知っている形式じゃない」
ログが身を乗り出した。
「でも研究?」
「ああ」
白衣は紙を卓へ戻した。
「研究だ」
主が煙草を消した。
「なら、まだ戻れる」
ログが紙の束を見る。
昨日まで追っていたのは、今も残っている仕組みだった。
今日から追うものは違う。
それが、いつ始まったのかではない。
いつ。
何のために。
変わったのか。
「明日も?」
ログが聞いた。
主が答えた。
「もっと前だ」




