第9章 ④
机の上に、十九年前よりさらに古い人事記録が並んだ。
ログは椅子に座ったまま、その数を見ている。
「多くない?」
レオが一冊開いた。
「将官だけに絞ってある」
「これで?」
「これで」
ログが嫌そうな顔をした。
「軍って偉い奴多すぎだろ」
「全部同じ階級じゃない」
「知らん」
「だろうな」
白衣は横で別の紙を見ている。
古参は人名を順番に確認していた。
調べるのは、地下機構が壊される以前に王都で勤務していた将官。
その中でも、研究施設へ出入りできる立場にいた者。
レオが記録を一枚抜いた。
「まず三人」
ログが顔を上げる。
「もう?」
「役職で絞った」
三人の名前と当時の所属が並ぶ。
白衣が見る。
「知らん」
ログの眉が動いた。
「早いな」
「名前じゃ分からん」
「じゃあ何なら分かるんだよ」
「顔」
「十九年前の?」
「見れば」
ログがレオを見る。
「ある?」
「探してる」
軍の人事記録には、すべてではないが上級将校の肖像が残されていた。
一人目。
白衣が見る。
「違う」
二人目。
「知らん」
三人目。
白衣の目が止まった。
ログがすぐに身を乗り出す。
「こいつ?」
「待て」
「分かる?」
「黙れ」
白衣は古い肖像を近くへ寄せた。
若い。
今なら六十前後になる男が、軍服を着て正面を向いている。
胸元には徽章。
白衣がそこを見る。
「これだ」
レオが聞く。
「徽章?」
「いや」
白衣は顔を指した。
「こいつを見た」
誰も話さなかった。
ログが肖像を見る。
「本当に?」
「ああ」
「どこで」
「研究所」
「何回」
「知らん」
「何してた」
「前にも言っただろ。施設責任者と奥へ行ってた」
ログは肖像と白衣を交互に見る。
「名前は覚えてなかったのに?」
「顔は見た」
「名前も聞いとけよ」
「研究に関係ない」
ログが何か言おうとした。
レオが先に止める。
「そこはもう諦めろ」
「十九年前のこいつ、本当に使えねぇな」
白衣がログを見る。
「今は使えてる」
「自分で言うな」
古参が肖像を取った。
しばらく見る。
「俺も知ってる」
ログが振り返る。
「会ったことある?」
「直接はない」
古参は当時の役職を見る。
「名前を見たことがある」
「どこで」
「中央管理局だ」
古参は記憶を探る。
軍から来た文書。
施設警備。
輸送路の調整。
軍用区画との連絡。
その中に、この名前があった。
「全部に?」
「いや。何度かだ」
「例の番号?」
「それは覚えてない」
古参が肖像を机へ戻した。
「だが、軍側の窓口に近いところにはいたはずだ」
レオが人事記録を読む。
当時の役職は、王都防衛軍の兵站と施設警備を統括する立場。
研究者ではない。
研究計画の責任者でもない。
だが、人と物を動かし、施設を守るには都合のいい位置にいた。
ログが名前を見る。
「で、今は?」
レオは答えなかった。
別の紙を置く。
現在の王国軍上層部。
一番上。
同じ名前があった。
ログが黙る。
白衣も見る。
古参が低く言った。
「最高司令官」
十九年前より前。
研究所へ出入りしていた将官。
現在の王国軍最高司令官。
同じ男だった。
ログが椅子へ深く座る。
「当たりじゃん」
レオがすぐに言った。
「まだだ」
「まだ!?」
「十九年前、研究所へ出入りしていた。それは分かった」
レオが肖像を指す。
「でも、何のために出入りしていたのかは分からない」
「施設責任者と奥に行ってたんだぞ?」
「それも白衣が見た」
「古参も名前見てる」
「ああ。軍側の窓口に近い立場だった可能性も高い」
ログが両手を広げた。
「じゃあ当たりだろ」
「違う」
「何が!」
「今分かってるのは、こいつが当時関わっていたってことだけだ」
レオは机の上の記録を順番に指した。
「十九年前まで、誰がこれを動かしていたのか」
次。
「地下機構が壊れた後、何があったのか」
さらに次。
「なぜ急に規模が縮んだのか」
最後に、現在の記録。
「そして今、誰が動かしているのか」
レオがログを見る。
「どれもまだ分かってない」
ログが黙った。
古参が腕を組む。
「国が今もやってる可能性もある」
「ああ」
レオが頷く。
「十九年前に何かがあって、国が規模を縮小しただけかもしれない」
白衣が口を挟んだ。
「軍がやってるかもしれん」
「それもある」
「途中で変わったかもしれない?」
ログが聞く。
「ああ」
「全部あるじゃん」
「だから調べてるんだろ」
ログが天井を見かけた。
途中でやめた。
古参が気づく。
「成長したな」
「うるさい」
主が机の端に置かれた別の紙を取った。
「今の方は」
常連が答える。
「まだ見てる」
商館。
軍指定納入所。
どちらにも常連が残っている。
「動きがあれば来る」
「なら、それまで別を掘る」
主が最高司令官の人事記録を見る。
「こいつの家を調べろ」
ログが聞く。
「家?」
「ヨハンから繋がったのは親族だ」
レオが気づいた。
「生家か」
主が頷く。
最高司令官は現在の家へ婿入りしている。
今使っている姓は、妻の家のものだった。
ログが首を傾げる。
「じゃあ、この名前は婿入りした後?」
「ああ」
「前は?」
レオが記録を辿る。
出生。
士官学校入学。
任官。
昇進。
そして婚姻。
そこで姓が変わっている。
古い姓が一つ出た。
ログが読む。
「……聞いたことない」
「俺もない」
古参が言う。
白衣は興味を失ったらしく、パンを探している。
ログが見る。
「食うなよ」
「まだ何も持ってない」
「探してただろ」
「腹が減った」
「後にしろ」
レオは生家について残っている記録を確認した。
王都から離れた地方の小貴族。
家そのものは今も残っているが、司令官は婚姻後ほとんど生家の名を使っていない。
軍の公式記録も、現在の姓へ統一されている。
ログが聞く。
「ヨハンの親戚と繋がる?」
「繋がる」
レオが家系記録を横へ置いた。
遠回りだった親族関係が、生家側から見ると少し分かりやすくなる。
ヨハンに改修届を頼んだ親戚。
その一族。
そこから婚姻を挟み、最高司令官へ。
直接ではない。
だが無関係でもない。
ログが紙を睨んだ。
「やっぱ遠いな」
「遠い」
「これだけなら偶然でも通る?」
「通る」
「面倒くせぇ」
古参が家系記録を見ていた。
「家紋は?」
レオが顔を上げる。
「何で?」
「貴族ならあるだろ」
「あると思うが」
古参は最高司令官の生家を指した。
「これだけ古い家なら、記録にも残ってる」
レオが別の資料を探す。
ログは何となく待っていた。
家紋。
どこかで引っかかった。
「……紋?」
口に出した。
古参もログを見る。
二人とも、すぐには思い出さない。
レオが資料を一冊持ってきた。
地方貴族の家名と紋章をまとめた古い記録。
司令官の生家を探す。
頁をめくる。
姓が見つかった。
その横に、小さな紋章が描かれている。
古参の手が止まった。
ログも止まった。
誰も声を出さない。
白衣だけがパンを探していた。
「主」
ログが言った。
主が見る。
「何だ」
ログは答えず、紋章を指した。
古参が先に言う。
「これ」
主が立ち上がった。
記録を見る。
古い家紋。
現在、最高司令官が使っている家のものではない。
婿入りする前。
生まれた家の紋章。
主の顔から表情が消えた。
「待ってろ」
それだけ言って奥へ行く。
ログは動かなかった。
何を取りに行ったのか分かっていた。
戻ってきた主の手には、布があった。
小さな布。
長くしまわれていたもの。
卓上へ広げる。
ヴィクが《鴉樽》へ来た日。
母親が抱いていた赤子に着せられていた産着。
端に刺繍がある。
レオが古い記録を隣へ置いた。
比べる。
細部には違いがある。
布へ刺繍するため簡略化されている。
だが形は同じだった。
ログが椅子から立った。
「これじゃん」
誰も否定しなかった。
古参が刺繍へ触れないよう、近くから見る。
「同じだな」
レオも頷く。
「少なくとも、偶然似た形とは考えにくい」
白衣がようやくパンを諦めて近づいた。
「何だ」
ログが見る。
「お前、今まで何聞いてたんだよ」
「家紋の話だろ」
「そうだよ!」
白衣も二つを見比べる。
「同じだな」
「それは俺たちも分かってる!」
主は産着を見ていた。
あの日。
東側水路から来た女。
腕の中には赤子がいた。
追われていた。
傷ついていた。
それでも最後まで離さなかった。
女はその日のうちに死んだ。
だが、同じように子供を連れて逃げた母親は一人ではなかった。
何人もいた。
そして追われていた。
ログが低く言う。
「あの女たちがいた場所」
レオが産着と紋章を見る。
「少なくとも、この家と何か関係がある」
ログが最高司令官の記録を見る。
「司令官とも?」
「可能性は上がった」
「まだ可能性?」
「この紋を誰が使わせたのか分からない」
ログは何も言わなかった。
今度は納得したらしい。
生家の紋章だからといって、最高司令官本人しか使えないとは限らない。
だが。
十九年前に研究所へ出入りしていた男。
ヨハンから遠く繋がる親族。
そして、子供を抱いて逃げてきた女が持っていた産着。
別々だったものが、同じ男の周囲へ集まり始めている。
レオが息を吐いた。
「偶然で片づけるには、さすがに多くなってきたな」
ログがすぐに見る。
「やっと言った」
「でも断定はしない」
「分かってるよ」
主が産着を畳んだ。
「なら、今の動きを見る」
その時だった。
入口から一人の常連が入ってきた。
商館を見ていた男だった。
歩く速度がいつもより速い。
主が顔を上げる。
「動いたか」
「ああ」
常連は机の前まで来ると、一度息を整えた。
「商館から三人出た」
「どこへ」
「一人は例の倉庫」
ログが立ち上がる。
常連が続けた。
「もう一人は軍の納入所」
「最後は?」
「軍人と会った」
レオが聞く。
「どこの」
常連は主を見た。
「司令官府」
誰も動かなかった。
今度は過去の記録ではない。
今日の動きだった。
それでも、司令官本人が命じた証拠ではない。
司令官府の誰が。
何のために。
どこまで知っているのか。
まだ分からない。
主が立ち上がった。
「全員呼べ」
常連が笑う。
「仕事?」
「ああ」
その一言で、壁際にいた男が立った。
別の卓からも一人。
奥からも声がする。
ログが周囲を見る。
「また増えてない?」
誰も答えない。
主は畳んだ産着をしまった。
「今夜、仕掛ける」
分からないなら。
向こうに動いてもらう。
誰が動くのか。
どこへ行くのか。
その先を見ればいい。




