↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
163/221

第9章 ③ 

灰色の上着の男は、市場を抜けてさらに西へ向かった。


常連は少し離れて後を追う。


途中で男が一度立ち止まった。


店先を見るふりをして、周囲を確認している。


常連はそのまま歩いた。


追い越す。


振り返らない。


角を曲がったところで、串の残りを食べながら待つ。


少しして、もう一人の常連が来た。


「止まった」


「見てた?」


「たぶん」


「気づいたか」


「分からん」


二人は顔を見合わせた。


最初の常連が言う。


「代われ」


「分かった」


役割を入れ替える。


灰色の上着の男が再び歩き始めた時、後ろにいたのは別の男だった。


最初の常連はそのまま路地へ消える。


灰色の上着の男は気づかない。


西へ。


さらに一本。


大通りから外れたところで、一軒の建物へ入った。


追っていた常連は入口を横目で見る。


看板が出ていた。


商館だった。


名前を覚える。


そのまま通り過ぎた。


角を曲がってしばらくすると、先に離れた常連が別の道から戻ってきた。


「入った?」


「ああ」


「どこ」


「商館」


「軍じゃないのか」


「軍だったら分かりやすすぎるだろ」


「それもそうか」


二人は少し離れた場所から建物を見た。


三階建て。


一階には荷の出入りができる大きな扉があり、横には人用の入口がある。


珍しい建物ではない。


商人が使うなら普通だった。


「どうする」


「見る」


「いつまで」


「何か出るまで」


「酒は?」


「後だ」


「珍しいな」


「勝ってから飲んだ方が旨い」


話は決まった。


二人は別れた。


一人は通り。


もう一人は裏へ回る。


灰色の上着の男は、しばらく出てこなかった。


代わりに荷車が一台来た。


木箱を下ろす。


商館の者が受け取る。


別の男が入る。


女が一人出てくる。


どれも普通だった。


それから半刻ほど経った頃。


灰色の上着の男が出てきた。


一人ではない。


五十代ほどの男と一緒だった。


服装は商人に見える。


二人は入口で少し話し、灰色の上着の男だけが立ち去った。


常連は動かない。


追わなかった。


今度は五十代の男を見る。


男は商館へ戻る。


しばらくして、また出てきた。


手に封筒を持っている。


「出た」


裏側にいた常連が、小さく言った。


通りにいた方も気づいている。


男は歩き出した。


二人のうち一人が後を追った。


もう一人は商館に残る。


今度の男は周囲を警戒する様子もなかった。


大通りへ出て、乗合馬車に乗る。


常連は走った。


「おい!」


近くにいた荷運びの男が振り返る。


「何だ」


「それ貸せ」


「何を」


「荷車」


「嫌だよ!」


「後で酒奢る」


「乗れ」


交渉は早かった。


荷車の端へ乗り、馬車を追う。


「もう少し早く」


「荷車だぞ!」


「見失う」


「知らねぇよ!」


「酒二杯」


「馬鹿言え、落ちる!」


それでも少しだけ速くなった。


馬車は中央区へ向かっていた。


軍の施設が集まる方向ではない。


役所街とも違う。


途中で五十代の男が降りた。


常連も荷車から飛び降りる。


「ありがとな!」


「酒忘れんなよ!」


「覚えてたらな!」


「おい!」


男を追う。


今度は近づきすぎない。


男は何度か道を曲がり、やがて大きな建物の前で止まった。


常連も止まる。


見覚えがあった。


軍の施設ではない。


だが、軍と無関係でもない。


軍人やその家族が使う物資を扱う、軍指定の納入所だった。


五十代の男は中へ入った。


封筒を持ったまま。


常連は建物を見上げる。


「……出たな」


そのまま近くの店へ入った。


窓際に座る。


「何か頼む?」


店主が聞いた。


「水」


「帰れ」


「じゃあ酒」


「昼だぞ」


「仕事中なんだよ」


「なおさら駄目だろ」


結局、茶を頼んだ。


窓から納入所を見る。


しばらくして、五十代の男が出てきた。


封筒は持っていない。


誰かに渡した。


常連は茶を一気に飲んだ。


「熱っ!」


「馬鹿か」


店主に笑われながら外へ出る。


男は商館へ戻る方向へ歩き始めていた。


もう追わない。


場所は分かった。


戻る。


その頃。


ログと白衣はまだ役所にいた。


机の上には、古い人事記録が広がっている。


「これ、同じ奴?」


ログが聞いた。


白衣が覗く。


「知らん」


「名前見れば思い出すんじゃなかったのかよ」


「施設責任者はな」


「将官は?」


「研究に関係ない」


「またそれかよ!」


レオがいない。


止める者もいない。


受付の役人が遠くからこちらを見ている。


ログは声を少し落とした。


「じゃあ顔なら?」


「見れば分かるかもしれん」


「十九年前だぞ」


「お前が聞いたんだろ」


「そうだけど」


記録には、当時王都に勤務していた将官の名前が並んでいた。


一人ではない。


当然だった。


ログは紙を睨む。


「多い」


「帰るか」


「帰らねぇよ」


「腹が減った」


「さっき食っただろ」


「頭を使うと減る」


「お前、研究以外でも頭使うの?」


白衣が睨んだ。


その時、入口から男が入ってきた。


常連だった。


ログが気づく。


「何でここに」


常連は答えず、近づいてくる。


白衣が言った。


「尾けてた奴は?」


ログが振り返る。


「お前、黙ってろって言っただろ!」


「もういいだろ」


「よくねぇよ!」


常連が二人を見る。


「釣れたぞ」


ログが止まった。


「どこ」


「商館」


常連は椅子を引いて座った。


「お前らを見てた奴が商館へ入った。そこで別の男と会った」


ログが身を乗り出す。


「そいつは?」


「封筒持って出た」


「どこへ行った」


常連が少し笑った。


「軍指定の納入所」


ログの顔から表情が消えた。


白衣も黙る。


「軍?」


「ああ」


「中まで見た?」


「入ってない」


「誰に渡したかは?」


「分からん。ただ、入る時には持ってた。出た時にはなかった」


ログが立ち上がった。


「戻る」


白衣も立つ。


「鴉樽か」


「ああ」


「やっと帰れる」


「お前も来い」


「何で」


「話聞いてただろ!」


「聞いた」


「じゃあ来い!」


「研究と関係ない」


「軍人見たのお前だろ!」


結局、白衣も連れて戻った。


《鴉樽》では主とレオが待っていた。


古参もいる。


ログが奥へ入るなり言った。


「釣れた」


主が顔を上げる。


「聞いた」


ログが止まった。


「もう?」


壁際に、商館を見張っていたもう一人の常連がいた。


「何で俺より早いんだよ」


「近道」


「どこ通った」


「教えない」


「何で」


「俺の道だから」


「道に所有権つけんな!」


主が机を叩いた。


「ログ」


「はい」


座る。


常連が確認したことを、もう一度全員で整理した。


ログと白衣を見張っていた男。


男が入った商館。


そこで会った五十代ほどの男。


その男が持ち出した封筒。


行き先は軍指定の納入所。


まだ軍人本人は出ていない。


命令書もない。


最高司令官へ直接繋がったわけでもない。


だが、ログたちを監視していた人間から始まった線が、軍と取引のある場所まで届いた。


レオが言った。


「偶然で片づけるには、少し出来すぎてるな」


「少し?」


ログが聞く。


「まだ少しだ」


「厳しいな」


「相手が最高司令官かもしれないんだ。これくらいで決めつける方が危ない」


主も頷いた。


「商館には触るな」


ログが見る。


「見張る?」


「ああ」


「納入所は?」


「そっちもだ」


常連が聞いた。


「何人使う」


主が少し考える。


「四人」


壁際から声がした。


「俺やる」


別の卓からも。


「俺も」


さらに奥。


「納入所なら俺がいい」


ログが周囲を見る。


「だから何人いるんだよ!」


誰も答えない。


古参が常連たちを見る。


「こいつら、何でこんなに働くんだ」


ログが答えようとした。


常連が先に言った。


「酒」


古参が黙った。


「酒?」


「ああ」


「一番働いた奴が奢ってもらえる」


白衣が聞く。


「誰に」


常連たちが主を見る。


主は無視した。


古参がしばらく考えた。


「俺も参加できるか」


ログが振り返る。


「お前まで!?」


「働いた後の酒は旨い」


「爺!」


「年寄りを働かせろ」


「さっきまで逆だっただろ!」


レオが笑いながら紙を取った。


「ちょうどいい。古参には別の仕事がある」


「何だ」


「十九年前の軍人事だ」


古参の顔から笑いが消えた。


レオはログたちが持ち帰った記録を広げる。


当時、王都に勤務していた将官たち。


その中から研究施設へ出入りできた人間を絞る。


古参なら、名前や役職に見覚えがある可能性がある。


白衣なら、顔を見れば思い出すかもしれない。


そして表では、商館と納入所を常連が見る。


主が言った。


「二本で行く」


ログが聞く。


「二本?」


「過去と今だ」


十九年前、研究所へ出入りしていた軍人。


今、ログたちの動きを探っている者。


別々に追う。


どこかで同じところへ着けばいい。


ログが椅子へ座り直した。


「今度は早そうだな」


主は答えなかった。


代わりに常連へ言う。


「商館から出た人間を全部見ろ。ただし止めるな」


「分かった」


「納入所も同じだ」


「おう」


「軍人が出ても追うだけだ」


ログが笑った。


「向こう、俺らを見てるつもりなんだよな」


レオも少し笑う。


「ああ」


「まだ研究所調べてると思ってる?」


「そう思ってくれてれば成功だ」


ログは机の上に広がった人事記録を見た。


囮はまだ続ける。


相手には、十九年前を掘っているところだけを見せる。


その裏で、今動いている人間を追う。


ようやく。


追いかける側と、追われる側が入れ替わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。