第8章 ⑲
建物管理所へ戻ると、受付にはさっきと同じ役人がいた。
ログたちの顔を見る。
それから、白衣を見る。
「増えましたね」
「気にしないでください」
レオが答えた。
ログが横を見る。
「お前も普通に流すようになったな」
「いちいち説明する方が面倒だ」
「誰だ、こいつ」
白衣が聞く。
「受付の人」
「それは見れば分かる」
「じゃあ聞くなよ」
レオが二人の間に入った。
「ダリオ・ベッカー名義の倉庫について、もう一度確認したいことがあります」
受付の役人が頷く。
「所有者については先ほどお調べしましたね」
「はい。今度は建物の図面と、過去の改修記録を確認したいのですが」
「どの時点までですか?」
レオが白衣を見る。
「少なくとも十九年前。できればダリオ・ベッカーが取得した頃まで」
役人の顔が少し曇った。
ログが嫌な予感を覚える。
「何冊?」
「まだ何も言ってません」
「顔に出てる」
「古い記録ですから、すぐには出せません」
「ほら」
レオがログを見る。
「待て」
「何もしてねぇよ」
「先に言っただけだ」
受付の役人が奥へ確認に行った。
白衣が空いている椅子へ座る。
「俺は何のために来たんだ」
「図面見て思い出せ」
「研究所に戻っていいか」
ログが見る。
「どこの?」
白衣が黙った。
「……鴉樽」
「最初からそう言え」
「お前が研究所って言わせたんだろ」
古参が隣へ座った。
「諦めろ。俺も帰れてない」
「お前は誰なんだ」
「古参」
「だから名前じゃないだろ」
しばらくして、受付の役人が戻ってきた。
「現行の図面と、二十六年前の所有権移転時に提出された図面が残っています。その間の改修届は三件です」
レオが顔を上げる。
「全部お願いします」
ログが口を開く。
レオが先に言った。
「五冊もない」
「まだ何も言ってねぇだろ」
「顔に出てる」
さっきの仕返しだった。
運ばれてきたのは、図面を挟んだ大きな台帳と三件の改修記録だった。
レオが現行図面を広げる。
倉庫は長方形。
正面に大きな搬入口。
裏側に小さな出入口。
一階の保管区画と事務室。
そして地下。
「あるな」
ログが指を置いた。
地下保管室。
地上部分のおよそ半分。
階段は倉庫内部から下りるようになっている。
白衣が覗き込む。
「違う」
ログがすぐに見る。
「何が?」
「俺が下りた階段は、こんな位置じゃない」
レオが現行図面を見る。
「どの辺だった?」
白衣は図面の側面を指した。
「こっちだと思う」
「外から直接?」
「中には入った」
白衣が眉を寄せる。
「ただ、入ってすぐだった」
ログとレオが顔を見合わせる。
現在、その位置には壁しかない。
「古い方」
ログが言った。
二十六年前。
ダリオ・ベッカーが倉庫を購入した際の図面を広げる。
白衣が身を乗り出した。
現行図面とは違っていた。
地下保管室そのものはある。
だが階段が二つある。
現在も残る、倉庫内部の階段。
もう一つ。
建物の東側面に小さな出入口があり、そのすぐ内側から地下へ下りる階段が描かれていた。
ログが指を置く。
「これ?」
白衣は答えなかった。
図面をじっと見ている。
「急かすなよ」
レオが先にログへ言った。
「まだ何も言ってねぇ」
「言う顔してた」
「顔で止めるな」
白衣が指を動かした。
東側の入口。
その内側。
階段。
「……たぶん、これだ」
ログの表情が変わる。
「本当に?」
「絶対とは言わん」
白衣は図面から目を離さない。
「でも、入ってすぐ下りた。向きも合ってる」
古参が覗き込む。
「じゃあ、十九年前にはまだこの入口があった?」
「改修記録を見れば分かる」
レオが三件の記録を開いた。
一件目。
二十四年前。
屋根の補修。
二件目。
二十一年前。
正面搬入口の交換。
三件目。
十八年前。
東側出入口の閉鎖。
その文字を見て、全員が止まった。
ログが記録を引き寄せる。
「十八年前?」
「ああ」
レオも読む。
地下機構が壊れたのは十九年前。
その翌年。
白衣が覚えている側面の入口が塞がれている。
改修理由は老朽化。
使用頻度が低いため閉鎖。
地下への出入りは内部階段へ統一。
工事内容も普通だった。
石材で入口を塞ぎ、外壁として仕上げる。
ログが顔を上げる。
「普通すぎるな」
「普通だから通ったんだろ」
レオが言った。
古参が記録を見る。
「誰が工事した?」
レオが施工欄を確認する。
「東部営繕組合」
「役所?」
「民間だ。公共施設や倉庫の修繕も請け負ってる」
「依頼したのは?」
レオの指が止まる。
所有者。
ダリオ・ベッカー。
ログが眉を寄せた。
「死んでるよな?」
「二十三年前に」
古参が答える。
十八年前の改修。
その五年前には、名義上の所有者は死んでいる。
それでも申請書にはダリオ・ベッカーの名前がある。
レオが書類を裏返した。
「代理人がいる」
「誰?」
「管理代行人。ヨハン・クルーガー」
ログが身を乗り出す。
「そいつは?」
「ここには名前しかない」
「住所」
「記載なし」
「所属」
「なし」
「またかよ」
今回はログも壁を見なかった。
レオが少し感心した顔をする。
「見るな」
「何も言ってない」
「顔に出てる」
古参が笑う。
白衣だけは別の場所を見ていた。
「ここ」
図面を指す。
地下保管室の奥だった。
ログが覗く。
「何?」
「おかしい」
レオも見る。
古い図面では、地下保管室の奥に細い空間がある。
部屋ではない。
通路のようにも見えるが、途中で図面の線が切れていた。
現行図面にはない。
「何だ、これ」
ログが聞く。
レオが図面を近くへ寄せる。
記号もない。
名称もない。
壁の向こうへ伸びるように描かれ、建物の境界線で終わっている。
「倉庫の敷地外に出てない?」
ログが言った。
「ああ」
レオが古い図面と土地図を並べた。
倉庫の東側。
その先には、現在は別の倉庫が建っている。
だが二十六年前の土地図では違った。
細長い空地。
その下に何があるかは、建物管理所の図面には載っていない。
白衣が黙って見ている。
ログが気づいた。
「知ってる?」
「分からん」
「でも何かあるだろ」
「……薬を確認した場所より奥には行ってない」
白衣は地下保管室を指した。
「俺が入ったのはここまでだ」
「通路は?」
「見たかもしれん」
「かもしれん?」
「研究に関係なかった」
ログが額を押さえた。
「そこなんだよ、お前は!」
「必要がないものを覚えてどうする」
「十九年後に必要になってるだろ!」
「知るか!」
レオが二人を止める。
「待て。白衣が知らなくても、図面は残ってる」
古参が細い線を見る。
「どこへ繋がってる?」
「この図面じゃ分からない」
「また調べる?」
ログが聞く。
「ああ」
レオは土地図を指した。
「倉庫だけ見ても駄目だ。この線が敷地の外まで続いてるなら、建物の設備じゃない可能性がある」
「じゃあ何だよ」
レオは少し考えた。
「昔の地下設備か、通路か。少なくとも、この管理所だけじゃ分からない」
ログが椅子へ背を預ける。
「次はどこ?」
「まだ決めてない」
「役所?」
「たぶんな」
ログが天井を見る。
「天井はいいのか?」
古参が聞く。
「考えてんだよ!」
白衣が古い図面をもう一度見た。
十九年前。
自分が薬品を確認した地下。
その奥に何があったのか。
当時は興味がなかった。
研究に必要な物さえ届けば、それでよかった。
「……一つだけ」
三人が見る。
白衣が地下の奥を指した。
「扉はあった」
ログが起き上がる。
「どこに?」
「この辺だ」
細い線が始まる場所。
「開けた?」
「開けてない」
「何で」
白衣がログを見る。
「研究に関係なかったからだ」
ログが何か言おうとした。
レオが先に肩を押さえた。
「もういい。そこは諦めろ」
「十九年前のこいつを殴りたい」
「散々殴っただろう」
「それでもだ」
二十六年前の図面。
十九年前の白衣の記憶。
十八年前に塞がれた入口。
死んだ所有者の名で出された改修届。
そして地下保管室の奥には、敷地の外へ向かう細い線が残っていた。
倉庫だけでは終わらない。
その先がある。




