第8章 ⑯
行政調整室を出た。
階段を下りる。
外へ出たところで、ログが止まった。
通りの向こう。
壁際に見覚えのある男がいる。
何か食べていた。
「おい」
男が顔を上げる。
常連だった。
「何だ」
「何でいるんだよ」
「見張り」
「何の」
「お前ら」
ログが少し黙った。
「……まあいい」
「いいのか」
「白衣連れてこい」
常連の手が止まった。
「白衣?」
「ああ」
「鴉樽から?」
「他にどこにいるんだよ」
「寝てるかもしれんぞ」
「起こせ」
「怒るぞ」
「知るか」
常連は残っていたパンを口に入れた。
「何て言えばいい」
「ログが呼んでるって言え」
「それだけ?」
「嫌がったら引っ張ってこい」
「分かった」
常連が歩き出す。
ログが呼び止めた。
「主はいい」
常連が振り返る。
「連れてこなくて?」
「ああ。白衣だけ」
「分かった」
人混みへ消えていく。
古参がログを見る。
「白衣ってのは、昨日いた奴か」
「ああ」
「何で呼ぶ」
「研究所にいた」
「研究所?」
「責任者だったらしい」
古参の顔が変わった。
レオもログを見る。
「責任者?」
「おまえも一緒にいただろ」
「研究者なのは知ってた」
レオが少し間を置く。
「責任者だったの?」
「らしいぞ」
「……意外だな」
「分かる」
「本人の前で言うなよ」
「お前もな」
ログは持っていた紙を広げた。
食料。
薬。
衣類。
燃料。
補修材。
人員。
輸送。
「こいつらが昔、研究所に流れてたなら」
指で紙を叩く。
「受け取ってた奴に聞けばいい」
レオが頷く。
「どこから来てたかくらいは分かるかもしれないな」
古参が聞く。
「覚えてるのか?」
ログが少し考えた。
「……たぶん」
「何だ、その間は」
「研究のことなら覚えてるはずだ」
「それ以外は?」
「知らん」
「役に立つのか?」
「今から役に立たせる」
レオが横から言う。
「無理やり思い出させる気だろ」
「思い出せるなら問題ない」
「それを無理やりって言うんだよ」
三人は運送管理所へ向かった。
白衣が来るまでに、現在の運送記録を確認する。
運送管理所は行政区画の端にあった。
建物の前には荷車が並んでいる。
荷を積む者。
馬を引く者。
帳面を持って確認する役人。
ログが建物を見る。
「ここは役所っぽくねぇな」
「帳簿はあるぞ」
レオが言った。
ログが見る。
「言わなくていい」
「先に言っておこうと思って」
「何でだよ」
「お前が喜んでるから」
「喜んでねぇ」
中へ入る。
受付へ着くと、レオの口調が変わった。
身分証を見せる。
「行政調整室から確認に来ました。この管理番号で出された運送依頼について、現在と過去の記録を拝見できますか」
担当の役人が番号を見る。
少し確認してから、奥へ行った。
しばらくして。
帳簿が三冊運ばれてきた。
ログが少し安心した。
「三冊」
「嬉しそうだな」
「五冊よりいい」
古参が椅子へ座る。
「頑張れ」
「お前も読むんだよ」
帳簿を開く。
今年。
荷車一台。
管理番号も同じ。
出発元。
運送管理所。
受け渡し先。
東区第三集積所。
ログが眉を寄せる。
「ここ?」
「まずは、だな」
レオが書き留める。
別の記録。
薬品。
南区共同保管所。
食料。
東区第二物資置場。
補修材。
北区資材置場。
衣類。
西側保管所。
ログが紙を見る。
「ばらばらじゃねぇか」
「ああ」
前年も調べる。
やはり違う。
一か所ではない。
同じ場所へ集めているわけでもない。
ログが帳簿を閉じかける。
レオが押さえた。
「まだだ」
「分かってるよ」
「閉じたぞ」
「手が滑った」
古参が笑う。
「水路」
「お前が使うな」
さらに記録を追う。
役所の荷車が運んだのは。
集積所。
保管所。
資材置場。
倉庫。
そこまで。
その先は別の記録になる。
レオが担当の役人を呼んだ。
「すみません。こちらへ運び込まれた後の搬出記録も確認したいのですが」
役人が帳簿を確認する。
また奥へ消えた。
しばらくして。
帳簿が増えた。
ログが黙る。
古参が横を見る。
「天井は?」
「見てねぇ」
搬出記録を開く。
集積所へ入った物資が。
翌日。
二日後。
時には数日後。
別の場所へ動いている。
東へ。
北へ。
また東へ。
一度ではない。
いくつかの場所を経由している。
「面倒な運び方だな」
ログが言った。
「一度に運べば早いだろ」
「一度に運びたくない理由があれば別だ」
レオが答える。
古参が帳簿を覗く。
「昔もこうだったのか」
「それを聞くために呼んだ」
その時。
入口の方が騒がしくなった。
「離せ。歩ける」
聞き覚えのある声。
三人が振り返る。
白衣がいた。
その腕を常連が掴んでいる。
「連れてきたぞ」
ログが見る。
「引っ張ってこいとは言ったが、本当に引っ張るなよ」
常連が白衣を離した。
「嫌がった」
「寝てたんだぞ」
白衣が髪を直す。
「で?」
「座れ」
「説明が先だ」
「長い」
「なら帰る」
「座れ」
白衣が睨む。
それでも椅子へ座った。
常連は帰らない。
壁際に立つ。
ログが見る。
「お前は?」
「見る」
「何を」
「お前ら」
「……好きにしろ」
レオが白衣を見る。
「一つ聞いていい?」
「何だ」
「お前、本当に研究所の責任者だったの?」
白衣の眉が動いた。
「何だ、その聞き方は」
「研究者なのは知ってたけど」
レオが少し考える。
「責任者には見えなかった」
「喧嘩を売るために呼んだのか?」
「俺じゃねぇよ」
ログが言う。
「呼んだのはお前だろ」
「そういう意味じゃねぇ!」
古参が顔を背ける。
白衣がそちらを見る。
「誰だ、あれ」
「後でいい」
ログが紙を白衣の前へ置いた。
食料。
薬品。
衣類。
燃料。
補修材。
人員。
輸送。
白衣が見る。
「何だ、これ」
「十九年前」
白衣の目が少し動く。
ログが聞く。
「研究所にいた頃、こういう物を使ってたか?」
「使っていた」
答えは早かった。
「薬品は?」
「当然だ」
「食料」
「人間がいたんだから食う」
「衣類」
「作業着もあった」
「燃料」
「使う」
「補修材」
「施設が壊れればな」
ログとレオが見る。
古参も黙って聞いている。
「どこから来た?」
白衣が止まった。
「どこ?」
「物だよ」
ログが紙を叩く。
「薬とか飯とか。どこから届いてた」
「知らん」
「責任者だったんだろ!」
「研究の責任者だ」
「同じだろ!」
「違う」
白衣は本気だった。
「必要な物を申請する。届く。中身を確認する。それで終わりだ」
「誰が運んできた」
「知らん」
「箱に印は?」
「見てない」
「番号」
「知らん」
「受領書」
「覚えてない」
ログが額を押さえた。
レオが呟く。
「やっぱり責任者に見えない」
「聞こえてるぞ」
「お前、何なら覚えてんだよ」
ログが聞く。
「中身」
白衣が答える。
「……中身?」
「薬品なら覚えてる」
「十九年前だぞ」
「研究に使った物だ」
白衣は少し考えた。
「精製液。保存液。硝子管。薬草の乾燥粉末。鉱物粉。油。布。紙」
次々と出てくる。
ログが呆れる。
「何でそっちは覚えてんだよ」
「必要だからだ」
「印も必要だろ!」
「研究には使わん」
古参が顔を背けた。
肩が動いている。
ログが睨む。
「笑ったら水路」
「笑ってない」
「こっち見ろ」
レオは白衣を見ていた。
「聞き方を変えよう」
「何だ」
「薬品を受け取った時のことを教えてくれ」
白衣が眉を寄せる。
「どの薬品だ」
ログがレオを見る。
レオも止まった。
「種類が必要なのか?」
「当然だ」
白衣が紙を見る。
「保存液なら専用の容器で来る。精製液は光に弱いものがある。粉末は湿気を避ける。物によって扱いが違う」
レオが頷く。
「じゃあ、一番扱いが面倒だった物」
白衣が考える。
今度は長い。
ログが口を開きかける。
レオが手で止めた。
白衣は唸る。
「……あったな」
ログが身を乗り出す。
「何が」
「温度を上げられない薬品があった」
白衣の目が少し遠くなる。
「運ばせると駄目になる可能性があった」
「それで?」
「俺が確認した」
「どこで」
白衣が止まる。
「研究所じゃない」
三人が黙った。
ログが聞く。
「じゃあ、どこだ」
「待て」
白衣が額へ手を当てる。
「思い出してる」
「頑張れ」
古参が言った。
白衣が見る。
「誰だ、お前」
「古参」
「名前じゃないだろ」
「今はそれでいい」
ログが机を指で叩く。
「場所」
「うるさい」
「思い出せ」
「十九年前だぞ!」
「研究のことなら覚えてんだろ!」
「だから今やってる!」
レオがログを見る。
「黙ってろ。邪魔してる」
「俺が?」
「お前が」
ログが黙る。
白衣は目を閉じた。
十九年前。
研究に必要だった薬品。
届く予定の日。
自分で確認しに行った。
研究所ではない。
「……倉庫だ」
ログの指が止まる。
レオが聞いた。
「どこの?」
「東側」
古参が顔を上げた。
「東部倉庫区か?」
「名前までは知らん」
「周りに何があった」
「倉庫」
「それは分かってる!」
ログが言う。
「黙ってろって言っただろ」
レオに止められる。
白衣が唸る。
「道が広かった」
「荷車が多かった」
「石造りの建物だった」
レオが聞く。
「薬品はどこに置いてあった?」
白衣の返事は早かった。
「下だ」
「下?」
「ああ」
「階段を下りた」
白衣の記憶が、研究に近づいた途端にはっきりする。
「石壁だった。上より涼しかった」
「地下か?」
ログが聞く。
白衣が少し考える。
「ああ。地下だったはずだ」
「何で薬品を地下に?」
「温度が安定するからだ」
即答だった。
ログが白衣を見る。
「そこは早いな」
「研究の話だからな」
レオが現在の搬出記録へ目を落とす。
東側へ向かう物資。
いくつもの集積所を経由する荷。
そして。
十九年前。
研究所の責任者が、自ら薬品を確認しに行った東側の倉庫。
「場所、探せるか?」
レオが聞いた。
白衣が嫌そうな顔をした。
「十九年前だぞ」
「覚えてる範囲でいい」
「建物なんて変わってるかもしれん」
「それでもいい」
ログが立ち上がる。
「行こうぜ」
白衣が溜息をつく。
「研究なら覚えてるんだが」
「だから研究のこと思い出しながら歩け」
「無茶を言うな」
古参も立ち上がった。
「頑張れ」
白衣が見る。
「さっきから何なんだ、こいつ」
ログが答えた。
「気にするな」
「お前が言うのか」
帳簿に残った道。
白衣の記憶に残った場所。
十九年前まで。
別々だった二つが。
少しずつ近づき始めていた。




