第8章 ⑪
朝になり、倉庫街へ戻ると人が増えていた。
荷馬車が通る。
倉庫の扉が開く。
荷物が運び出される。
昨夜とは違う。
どこにでもある朝の倉庫街だった。
例の倉庫も変わらない。
扉は閉まっている。
看板はない。
窓も小さい。
外から見れば、使われているのかさえ分からなかった。
ログ達は少し離れた荷車の陰へ入る。
見張っていた常連が二人いた。
「どうだ」
「まだいる」
「三人とも?」
「ああ」
「他に出入りは」
「ない」
レオが倉庫を見る。
「役人が入ったのは何時頃だ」
「鐘が鳴る少し前」
「三人一緒?」
「いや」
常連が指を立てる。
「最初に二人」
もう一本。
「少し後に役人」
「どこから来た」
「北」
「帰りも見ろ」
「分かってる」
ログが倉庫へ近づこうとする。
レオが服を掴んだ。
「何だよ」
「近い」
「見えねぇだろ」
「見つかったらもっと見えなくなります」
「離せ」
「動かないなら」
ログが戻る。
レオが手を離した。
古参は黙って倉庫を見ている。
「何か思い出したか」
ログが聞く。
「いや」
「本当に?」
「思い出したら言う」
「昨日それを聞きたかったんだよ」
古参は返さなかった。
待つ。
人が通り荷馬車が通る。
倉庫の前を掃除する男がいる。
近くの店が開く。
時間だけが過ぎていく。
ログがしゃがむ。
立つ。
壁にもたれる。
またしゃがむ。
「落ち着け」
古参が言った。
「お前に言われたくねぇ」
「さっきから同じことをしている」
「暇なんだよ」
「見張りとはそういうものだ」
「知ってる」
「なら黙ってろ」
ログが古参を見る。
「ちょっと慣れたからって偉そうにすんな」
「二十年以上前からこういう仕事はしていた」
「黙って書類処理してただけだろ」
古参が黙った。
レオが小さく息を吐く。
「二人とも静かにしてください」
「こいつが」
「どちらでもいいです」
その時常連が腕を上げた。
全員が倉庫を見る。
扉が開き男が一人出てきた。
役所の制服。
常連が言っていた男だった。
三十代くらい。
髪を短く切っている。
特徴のない顔。
男は扉を閉める。
鍵は掛けない。
周囲を見る様子もない。
そのまま歩き始めた。
「普通だな」
ログが言う。
「普通ですね」
レオも答える。
隠れている様子がない。
急いでもいない。
後ろを気にすることもない。
朝の用事を終えて職場へ戻る。
そう見える。
「どうする」
常連が聞く。
レオが答える。
「追う」
「倉庫は?」
「見張りを残す」
「俺が残る」
常連の一人が言った。
もう一人が男を見る。
「じゃあ俺は先に回る」
ログが眉を寄せる。
「どこに」
「知らん」
「知らねぇのにどうやって先に回るんだよ」
「適当に」
「お前らそれで今まで尾けてたのか?」
「そうだぞ」
ログが少し考える。
「……すげぇな」
「今頃か」
男を追う。
今度は地下街ではない。
人の多い地上。
常連が先へ行く。
ログ達は距離を取った。
男は大通りへ出た。
パン屋の前を通る。
露店で足を止める。
何か買った。
その場で食べる。
「朝飯?」
ログが言う。
「多分」
「倉庫で食わなかったのか」
「知りませんよ」
男はまた歩き出す。
途中で知り合いらしい男と会った。
手を上げる。
少し話す。
笑った。
別れる。
ログが眉を寄せる。
「本当に普通だな」
「だから困るんです」
レオが言った。
やがて男は役所の並ぶ区画へ入った。
中央管理局ではない。
小さな建物の前で止まる。
入口には文字が刻まれていた。
王都物資管理所。
男は中へ入った。
ログが建物を見る。
「何するとこだ」
「王都内の公的施設へ配る物資を管理するところです」
「食い物?」
「それもあります」
「薬は」
「扱います」
「衣類」
「扱います」
古参が建物を見た。
「補修材は」
レオが振り返る。
「扱う」
古参の顔が変わる。
ログも気づいた。
人員。
食料。
薬。
衣類。
施設の補修材。
時には武具。
古参が二十年以上前に処理した文書。
人員以外の多くを扱える場所だった。
「偶然か?」
ログが聞く。
「まだ分かりません」
レオは建物を見る。
「中へ行く」
「正面から?」
「ああ」
「大丈夫か」
「俺も役人です」
「便利だな、それ」
「あなたにはないものです」
「喧嘩売ってる?」
「今は売ってません」
レオが入口へ向かう。
ログも続こうとする。
止められた。
「あなたは待っててください」
「何でだよ」
「目立つから」
「どこが」
レオがログを見る。
頭。
顔。
服。
靴。
もう一度顔。
「全部」
「おい」
古参が横を向いた。
「笑ったか?」
「笑ってない」
「こっち見ろ」
「嫌だ」
レオだけが建物へ入った。
ログと古参は向かいの店の脇で待つ。
常連はどこかへ消えた。
「何で俺だけ毎回待たされるんだ」
「役人じゃないからだろ」
「お前もだろ」
「元役人だ」
「今はただの地下街の爺だろ」
古参がログを見る。
「お前もただの雑用だ」
「用心棒もやってる」
「右腕様」
「それ言うな」
しばらくして。
レオが戻ってきた。
「いた」
ログが壁から離れる。
「誰だ」
「名前はエリック・ハーゼ」
「役職」
「物資管理所の記録係」
「偉いのか」
「全然」
ログが眉を寄せる。
「全然?」
「普通の役人です」
勤務年数十一年。
記録係。
役職なし。
懲戒歴なし。
無断欠勤なし。
特別な権限もない。
妻がいる。
子供が二人。
毎朝ほぼ同じ時間に出勤している。
同僚とも普通に話している。
「今日の出勤は?」
ログが聞く。
「通常通り」
「遅刻?」
「してない」
「倉庫寄ってたのに?」
「いつもより早く家を出れば間に合う」
古参が聞く。
「今朝、倉庫へ行く仕事は」
レオが首を振る。
「ない」
「物資管理所の倉庫じゃない?」
「違う」
「あの倉庫との取引は」
「今確認できた範囲ではない」
ログが建物を見る。
中では普通に仕事が始まっている。
人が出入りする。
書類を持った役人。
荷物を運ぶ者。
窓口へ来る商人。
その中に昨夜から追っていた場所へ入った男がいる。
「捕まえるか」
ログが言った。
「何の罪で」
「怪しい」
「罪じゃありません」
「死んだ奴の倉庫に入った」
「それだけでは無理です」
「聞くくらいできるだろ」
「聞いた瞬間に、こちらが何を知っているか伝わります」
ログが黙る。
それは分かる。
「じゃあどうする」
レオが答える。
「見る」
ログの顔が嫌そうになる。
「また?」
「またです」
「いつまで」
「分かるまで」
古参が建物を見たまま言った。
「昔もいた」
ログが振り返る。
「何が」
「こういう奴だ」
古参の声は低かった。
「長官室の男だけじゃない」
「文書を持ってきた奴?」
「ああ」
古参は記憶を辿る。
「俺が処理した後、物を運ぶ役人がいた」
「どこの役人だ」
「毎回違った」
レオが古参を見る。
「具体的には」
「物資」
「会計」
「施設管理」
「警備関係もいた」
ログが眉を寄せる。
「全部別の役所じゃねぇか」
「ああ」
「そいつらが全員、あの部署の人間だった?」
「分からん」
古参は首を振った。
「普通に働いていた」
「普段は自分の仕事をしていた」
「ただ」
古参が止まる。
「時々、別の仕事をしていた」
レオの表情が変わった。
「別の仕事」
「俺が処理した文書を持っていく」
「荷を受け取る」
「人間を連れていく」
「それが終われば、また元の役所へ戻る」
ログが物資管理所を見る。
「部署がないんじゃない」
レオが言った。
古参が見る。
「何?」
「最初から」
レオはゆっくり言葉を選ぶ。
「一つの部署として置かれていない」
ログが黙る。
「必要な時だけ」
「別々の役所から人間を使う」
「命令を出す者だけが、その繋がりを知っている」
古参が目を伏せた。
「だから」
二十年以上前。
何度探しても。
正式な部署番号がなかった。
人員名簿もない。
予算もない。
所属者もいない。
それでも仕事だけは動いていた。
「存在しないわけだ」
ログが言う。
「最初から作ってねぇんだから」
レオは答えなかった。
建物の中。
窓際を人が通った。
エリックだった。
書類を抱えている。
同僚に何か言われる。
立ち止まる。
話す。
笑う。
そして机へ戻っていく。
どこから見ても。
普通の役人だった。
「こいつ一人じゃねぇな」
ログが言う。
「ああ」
レオが答える。
古参も頷く。
「昔も一人じゃなかった」
その時。
どこかへ消えていた常連が戻ってきた。
「いた」
ログが見る。
「何が」
「さっきの役人の家」
レオが目を見開く。
「何で調べた」
「尾けてた道の途中で近所の奴に聞いた」
「何て?」
「普通の家だって」
妻。
子供二人。
近所付き合いもある。
毎日仕事へ行く。
休みの日には家族で市場へ来る。
揉め事もない。
借金の噂もない。
「普通だったぞ」
常連が言った。
ログが額を押さえる。
「また普通かよ」
レオは何も言わない。
普通の役人。
普通の家。
普通の家族。
普通の仕事。
その男が。
朝になる前。
二十三年前に死んだ男の倉庫へ入っていた。
ログが建物を見る。
「どうやって見つける」
誰が関わっているのか。
何人いるのか。
どこの役所にいるのか。
名簿はない。
部署もない。
普段は普通に働いている。
レオが答える。
「仕事を見る」
「仕事?」
「通常業務じゃない方を」
古参が顔を上げる。
レオは続ける。
「誰から命令を受ける」
「どこへ行く」
「何を運ぶ」
「誰と会う」
「そこを追う」
ログが笑った。
「結局、尾行か」
「そうなります」
「役所の帳簿は?」
「使います」
ログの笑顔が消えた。
「やっぱりかよ」
「当然です」
古参が僅かに笑った。
ログが睨む。
「何笑ってんだ」
「いや」
「水路」
「笑ってない」
三人はもう一度、物資管理所を見る。
中では仕事が続いていた。
誰も慌てていない。
誰も隠れていない。
だから見つからなかった。
存在しない部署を探していたから。
だが探すものは変わった。
部署ではない。
そこに所属する人間でもない。
普通の役人達が。
時々している。
普通ではない仕事。
それを追えばいい。




