第8章 ⑩
朝食を食べる。
ログは噛みながら古参を見る。
古参も食べている。
「何でお前まで食ってんだ」
「出されたからだ」
「誰が」
「ミナ」
奥から声が飛んでくる。
「食べさせないと途中で倒れるでしょ!」
ログが黙る。
古参も黙る。
レオだけが普通に食べていた。
「行きますよ」
「まだ食ってる」
「さっきから同じ肉を噛んでるでしょう」
「固いんだよ」
「飲み込んでください」
「無茶言うな」
主は少し離れた椅子に座っていた。
腕にはヴィク。
ヴィクはログ達を見ている。
ログが立ち上がる。
「行ってくる」
ヴィクが反応した。
主の腕の中からログを見る。
「来るか?」
ログが手を出す。
ヴィクが身を乗り出した。
「ほら」
主がヴィクを離そうとする。
ヴィクが主の服を掴む。
離れない。
「どっちだよ」
ミナが笑った。
「行きたいけど抱っこは嫌なんじゃない?」
「面倒くせぇな」
ログが手を引っ込める。
「留守番してろ」
ヴィクはまだログを見ていた。
「連れていくな」
主が言う。
「分かってるよ」
ログは扉へ向かう。
レオ。
古参。
三人で《鴉樽》を出た。
白衣は寝ている。
主は残る。
倉庫の見張りは常連達が続けていた。
何かあれば知らせが来る。
まずは所有者。
地上へ出る頃には、街は動き始めていた。
店が開く。
荷馬車が通る。
昨夜とは違う。
人が多い。
「どこ行くんだ」
ログが聞く。
「土地建物管理所」
「中央管理局じゃないんだな」
「違います」
「本当に?」
レオが振り返る。
「役所は全部中央管理局だと思ってませんか」
「違うのか」
レオが止まった。
古参が横を向く。
「何だよ」
「いや」
「言え」
「今までどうやって生きてきた」
「普通に」
「普通ではないと思います」
「お前まで何だよ」
土地建物管理所は、中央管理局から数本離れた通りにあった。
大きくはない。
二階建ての石造り。
入口には既に何人か並んでいた。
商人。
土地を持つ者。
代理人らしい男。
レオが中へ入る。
ログと古参も続く。
受付の役人が顔を上げた。
「ご用件は」
レオが倉庫の場所を伝える。
「所有者を確認したい」
「理由は」
「公務です」
レオが身分証を見せる。
役人は確認した。
「少々お待ちください」
奥へ消える。
ログは壁際の椅子へ座った。
「寝ないでください」
「寝ねぇよ」
「昨日もそう言いました」
「昨日とは違う」
「何が」
「今日は朝だ」
「余計に寝るでしょう」
古参が離れた椅子へ座る。
ログが見る。
「そこじゃねぇ」
「何だ」
「こっち」
「逃げん」
「信用してねぇ」
古参は黙って移動した。
しばらくして。
役人が帳簿を持って戻ってくる。
机へ置く。
「こちらですね」
レオが見る。
倉庫の所在地。
区画番号。
建物番号。
一致している。
「所有者は?」
役人が帳簿を指す。
名前があった。
ダリオ・ベッカー。
ログが見る。
「誰だ」
「知りません」
レオが答える。
古参も首を振った。
「いつから持ってる」
レオが聞く。
役人が記録を辿る。
「二十六年前からです」
三人が止まった。
「二十六年?」
「はい」
レオが古参を見る。
古参の顔が変わっていた。
「お前が文書を処理してた頃か」
「ああ」
レオが役人へ向き直る。
「その前の所有者は」
帳簿を一枚戻す。
「王都東部運送組合」
「売却?」
「そうなっています」
「購入額は」
役人が別の記録を確認する。
金額が書かれていた。
特別安くもない。
高くもない。
普通だった。
「税は」
「毎年納付されています」
「滞納は?」
「ありません」
ログが眉を寄せる。
「普通じゃねぇか」
「今のところは」
レオが言った。
「ダリオ・ベッカーの住所は」
役人が帳簿を見る。
指が止まった。
「こちらです」
レオが覗く。
ログも覗く。
住所が書いてある。
王都北区。
「行くか」
ログが立ち上がる。
レオは動かなかった。
「待ってください」
「何だよ」
レオが帳簿を見ている。
「この住所」
古参も覗く。
「何かあるのか」
レオが受付の役人へ聞く。
「現在もこの住所ですか」
「所有者登録上は」
「住民記録と照合できますか」
役人が少し困った顔をした。
「こちらでは住民記録までは」
「どこだ」
ログが聞く。
「住民登録所です」
「また別かよ」
レオがログを見る。
「役所は全部中央管理局ではありません」
「分かったよ」
「今、覚えました?」
「うるせぇ」
レオが所在地を控える。
その時。
古参が帳簿へ手を伸ばした。
ログが腕を掴む。
「触るなって言っただろ」
「見るだけだ」
「目で見ろ」
古参は手を引いた。
「売却の日付」
「何だ」
レオが確認する。
二十六年前。
古参が中央管理局へ入る少し前だった。
「俺が最初にあの文書を見たのは、この翌年だ」
ログの顔から軽さが消える。
「倉庫を先に用意した?」
「分からん」
「でも時期は合う」
レオが日付を控える。
「住民記録を見ます」
管理所を出る。
住民登録所までは歩いて十五分ほどだった。
朝の通りを進む。
ログは古参の隣を歩いた。
「ダリオって名前、聞いたことないのか」
「ない」
「本当に?」
「隠してどうする」
「昨日まで隠してただろ」
古参が黙る。
「だから信用されないんですよ」
レオが前から言った。
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言いました」
住民登録所へ着く。
今度は待たされた。
長い。
ログは椅子に座る。
壁を見る。
天井を見る。
立つ。
歩く。
また座る。
「落ち着いてください」
「暇なんだよ」
「静かに待ってください」
「外見てくる」
「駄目です」
「何でだ」
「戻ってこないから」
「子供かよ」
古参が呟く。
「子供の方が待てる」
ログが睨む。
「水路行くか?」
古参が黙った。
ようやく名前を呼ばれる。
レオが窓口へ行く。
「ダリオ・ベッカー」
役人が住民記録を開いた。
「該当者が一名います」
「住所は」
先ほどの住所と同じだった。
「現在も?」
役人の手が止まる。
「いえ」
「転居?」
「違います」
紙を一枚めくる。
そして。
「死亡しています」
三人が黙った。
ログが先に聞く。
「いつ」
役人が記録を確認する。
「二十三年前です」
古参の顔が強張る。
「二十三年前……」
「死因は」
レオが聞く。
「こちらには記載されていません」
「死亡届の提出者は」
役人が別の欄を見る。
「妻です」
「妻は?」
「五年前に死亡しています」
「子供」
「記録上はいません」
ログが窓口へ手を置く。
「じゃあ、あの倉庫は誰のものなんだ」
役人が困った顔をする。
「相続人がいない場合は、通常なら手続きが必要ですが」
「されてない?」
レオが聞く。
「少なくとも、この記録にはありません」
「でも税金は払われてる」
ログが言う。
役人には分からない。
土地建物管理所では。
ダリオ・ベッカー名義の倉庫。
毎年、税は納付されている。
住民登録所では。
ダリオ・ベッカーは二十三年前に死亡。
妻も死亡。
子供はいない。
相続の記録もない。
それでも。
倉庫は使われている。
昨夜。
紙を持った男が中へ入った。
レオが静かに息を吐く。
「納税記録を見ます」
ログが顔を上げる。
「誰が払ってるか?」
「ああ」
「分かるのか」
「記録が残っていれば」
また別の役所。
ログが嫌そうな顔をする。
「まだ行くのか」
「嫌なら戻ってください」
「行く」
「書類を見ると眠くなるのに?」
「それ何回言うんだよ」
外へ出る。
その時だった。
通りの向こうから男が走ってくる。
見覚えがある。
《鴉樽》の常連だった。
ログが止まる。
男も三人を見つけた。
真っ直ぐ走ってくる。
「いた!」
「何だ」
「倉庫!」
レオの顔が変わる。
「動きがあった?」
「ああ」
男は息を整える。
「朝になってから三人入った」
「出た奴は」
「まだいない」
「顔は見たか」
「二人は知らねぇ」
「残りは?」
常連が一度息を吸う。
「役人だ」
レオが眉を寄せる。
「どこの」
「知らねぇよ」
「何で役人だと分かった」
「服」
常連が答える。
「役所の制服着てた」
ログとレオが顔を見合わせる。
古参が聞く。
「靴は」
「見た」
常連が古参を見る。
「言われたからな」
「どうだった」
「普通だった」
古参が黙る。
ログが聞く。
「まだ中にいるんだな」
「ああ」
「見張りは」
「残してる」
ログはレオを見る。
「どうする」
レオは少し考えた。
倉庫の所有者は死んでいる。
二十三年前に。
それでも税は払い続けられている。
そこへ。
朝になって役人が入った。
「戻る」
レオが言った。
「倉庫へ?」
「ああ」
「役所は」
「後です」
ログが笑う。
「やっとか」
「何が」
「お前も役所より現場を選ぶんだな」
「状況が変わっただけです」
「嬉しそうにすんなよ」
「してません」
三人は歩き出す。
常連もついてくる。
古参は黙っていた。
ログが横を見る。
「何だ」
「いや」
「また思い出したなら今言え」
古参は首を振る。
「違う」
「なら何だよ」
古参が前を見る。
「二十年以上前も」
「何が」
「ああいう場所へ出入りしていたのは、役人だった」
ログの足が僅かに止まる。
「中央管理局?」
「それだけじゃない」
古参は答えた。
「いくつもの役所の人間を見た」
レオが振り返る。
古参は続ける。
「当時は仕事だと思っていた」
「今は?」
古参が答える。
「分からん」
少し間を置く。
「だから今度は確かめる」
ログは古参を見る。
何も言わなかった。
そのまま歩く。
朝の倉庫街へ。
二十三年前に死んだ男が所有する倉庫。
税を払い続けている誰か。
そしてそこへ入った役人。
昨夜より一つだけ分かった。
存在しない部署は何もない場所に存在しているわけではなかった。
普通の役所。
普通の記録。
普通の倉庫。
その中に隠れている。




