↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
149/151

第8章 ⑨ 

ログが扉を開ける。


「お前も来い」


「信用しないんだろ」


「ああ」


ログは古参を見る。


「だから目の前に置く」


外へ出る。


常連が一人、橋の陰から手を上げた。


声は出さない。


水路の向こうにいた者も動かない。


石壁の前に人影がいる。


外套を深く被っていた。


男か女かも分からない。


人影は周囲を見た。


一度。


二度。


そして石壁へ手を伸ばす。


迷いがない。


隙間へ指を入れた。


筒を引き抜く。


ログが動こうとする。


レオが腕を掴んだ。


「待て」


「取ったぞ」


「だからだ」


レオは人影を見る。


「どこへ持っていくか見る」


ログは舌打ちした。


だが、動かなかった。


人影は筒を外套の内側へ入れる。


そのまま水路沿いを歩き始めた。


ログ達も動く。


距離を取る。


先頭は常連だった。


地下街で人を尾けるなら、役人より常連の方が慣れている。


橋の下。


荷揚げ場。


閉まった店の軒先。


人影が曲がるたび、別の常連が先へ回る。


ログはその後ろを歩いた。


古参は隣だ。


「知ってる奴か」


「顔が見えん」


「歩き方は」


「分からん」


「役に立たねぇな」


「二十年以上前の人間を歩き方で判別できると思うか」


「できねぇなら黙って歩け」


古参が口を閉じる。


主と白衣は少し後ろにいた。


白衣が小声で言う。


「捕まえないのか」


主は煙草を咥えたまま答える。


「今捕まえて何を聞く」


「誰に頼まれたか」


「答えると思うか」


「……思わない」


「なら歩かせろ」


人影は東へ向かっていた。


《鴉樽》から離れていく。


地下街の中心にも向かわない。


水路沿いを進み、古い荷揚げ場を抜ける。


その先には地上へ続く階段があった。


ログが眉を寄せる。


「上か」


人影が階段を上がる。


常連が振り返った。


ログは頷く。


追う。


階段を上がると、夜明け前の冷たい空気が流れ込んできた。


地下街とは匂いが違う。


石畳が薄く濡れている。


通りには誰もいない。


店の戸は閉まり、家々の窓も暗い。


人影は振り返らずに歩いていく。


「役所へ行く道じゃない」


レオが言った。


「分かるのか」


「中央管理局なら反対です」


「じゃあどこだ」


「この先は倉庫街です」


ログが前を見る。


王都東側の倉庫街。


商会の倉庫。


荷馬車の待機所。


小さな工房。


昼間なら人が多い。


だが、今は静まり返っていた。


人影が角を曲がる。


先を歩いていた常連が止まった。


壁へ背をつける。


ログ達も止まる。


常連が指を二本立てた。


二人。


誰かいる。


ログが壁際まで進む。


僅かに顔を出す。


細い路地。


奥に人影が二つあった。


筒を回収した者。


もう一人。


新しく現れた男は外套を着ていない。


暗くて顔までは見えない。


筒を回収した者が、懐からそれを出した。


男へ渡す。


男は受け取る。


蓋を開けた。


中から紙を取り出す。


その場で読む。


ログが目を細める。


「何が書いてある」


「見えるわけないだろ」


古参が小声で返した。


「お前に聞いてねぇ」


「俺しか隣にいない」


「うるせぇ」


男は紙を読み終える。


折り直す。


筒へは戻さなかった。


懐へ入れる。


代わりに回収した者へ何かを渡した。


小さな袋だった。


回収した者は受け取り、来た道を戻り始める。


ログが動こうとする。


主が肩を掴んだ。


「そっちは捨てろ」


「でも」


「紙を持ってるのはどっちだ」


ログが止まる。


男だった。


回収役ではない。


受け取った男。


「追うぞ」


男も歩き始める。


路地の奥へ。


ログ達は再び距離を取った。


回収役とは逆方向だった。


しばらく歩く。


倉庫が並ぶ。


どれも似たような石造りだ。


看板のない建物も多い。


男は慣れた様子で進んでいく。


迷いがない。


やがて一つの倉庫の前で止まった。


扉を叩く。


三回。


少し間を置いて。


二回。


内側から扉が開いた。


男が入る。


扉が閉まる。


ログ達は離れた物陰から見ていた。


「倉庫?」


ログが聞く。


レオが目を凝らす。


「商会の印がない」


「個人のか」


「それなら所有者を調べられます」


古参が何も言わない。


ログが見る。


「どうした」


古参は倉庫ではなく、閉じた扉を見ていた。


「今の男」


「知ってるのか」


「顔は見えなかった」


「またそれか」


「違う」


古参が一歩前へ出る。


主が腕を掴んだ。


「動くな」


古参は止まる。


視線だけを倉庫へ向ける。


「歩いていた時」


「何だ」


「音がした」


ログが眉を寄せる。


「音?」


古参は自分の足元を見る。


石畳を靴底で軽く擦った。


「昔、文書を持ってきた連中も、あの音を立てていた」


ログの顔が変わる。


「靴か」


「ああ」


男が歩くたび。


硬い音がしていた。


石畳を踏むたびに、僅かに金属が当たる音。


「踵の外側」


古参が言った。


「金具が付いている」


レオが倉庫を見る。


「同じ靴?」


「同じものかは分からん」


「でも、役人は履かない」


「ああ」


白衣が口を開く。


「二十年以上前から?」


誰も答えなかった。


もし同じものなら。


組織は残っている。


人が入れ替わっても。


長官が変わっても。


部署が消えても。


今も同じやり方で動いている。


ログが倉庫へ向かおうとする。


レオが止めた。


「待て」


「まだ待つのか」


「場所は分かった」


「紙も中だ」


「だから今入るな」


ログが睨む。


「逃げられたらどうする」


「見張ればいい」


常連が言った。


いつの間にか横に来ていた。


「朝までなら交代できる」


別の常連も頷く。


「裏口も探す」


「屋根から出たら?」


「屋根も見る」


ログが常連達を見る。


「お前ら何人いるんだ」


「知らん」


「増えた」


「何でだよ」


「面白そうだから」


ログが額を押さえた。


主が煙草の煙を吐く。


「使え」


「こいつらを?」


「他にいるか」


いない。


役人を呼べば、どこから情報が漏れるか分からない。


中央管理局の中にも関係者がいる可能性がある。


警邏へ話を持ち込むにも、まだ証拠が足りない。


なら。


今は地下街の目を使うしかない。


「分かった」


ログが常連を見る。


「出入りした奴を全部覚えろ」


「顔」


「服」


「持ち物」


「どっちへ行ったか」


「靴もだ」


古参が付け加えた。


常連が古参を見る。


「お前が言うな」


「……そうだな」


古参が黙る。


レオは倉庫の位置を確認していた。


通り。


隣の建物。


裏手へ抜ける道。


「俺は朝になったら所有者を調べる」


「役所で?」


「ああ」


「大丈夫なのか」


「倉庫の所有者を調べるだけなら、中央管理局へ行く必要はない」


ログが倉庫を見る。


「俺は?」


「一度戻ってください」


「何でだよ」


「昨夜から動きっぱなしでしょう」


「お前もだろ」


「俺は役人です」


「だから何だ」


「朝から働くのには慣れています」


「俺だって働いてる」


「樽を運ぶのと登記を調べるのは違います」


「喧嘩売ってんのか」


「今は買いません」


主が二人の間を通る。


「俺は戻る」


ログが振り返った。


「先に?」


「ああ」


「倉庫は?」


「見張りがいる」


主は常連達を見る。


「何かあったら《鴉樽》へ走れ」


「分かった」


「裏も見とく」


「任せろ」


主はそれだけ確認すると歩き出した。


白衣が聞く。


「俺は?」


「好きにしろ」


「一番困る答えだな」


ログが倉庫を見る。


まだ動きたくなかった。


だが、今ここで踏み込めば、ようやく見つけた先を自分達で潰す可能性がある。


「……戻るか」


レオが頷く。


「朝になったら、俺はそのまま役所へ行きます」


「俺も行く」


「来るんですか」


「何だよ」


「書類を見ると眠くなるでしょう」


「ならねぇよ」


「昨日寝てました」


「あれは文字が多かったからだ」


「今日も多いです」


「うるせぇ」


古参が二人の後ろを歩き始める。


ログが振り返る。


「どこ行く」


古参が止まった。


「戻るんだろ」


「俺の前歩け」


「逃げん」


「信用してねぇって言っただろ」


古参は何も言わず、ログの前へ出た。


地下街へ戻る。


東の空が白み始めていた。


《鴉樽》へ着く頃には、通路にも朝の気配が戻り始めていた。


主が扉を開ける。


中は静かだった。


カウンターの奥に灯りが残っている。


椅子にミナが座っていた。


腕の中にはヴィク。


「遅い」


主を見るなり、ミナが言った。


「悪かった」


「ずっと起きてた」


主がヴィクを見る。


「お前が?」


「私も」


「寝ろ」


「誰のせい」


主は答えなかった。


ヴィクが動く。


主を見つけた。


しばらく見ている。


それから両手を伸ばした。


主が煙草を灰皿へ押しつける。


ミナの前へ行く。


「寄越せ」


「はい」


ヴィクを受け取る。


腕の中へ収まると、ヴィクは主の服を掴んだ。


「何だ」


返事はない。


小さな手だけが離れない。


ミナが立ち上がる。


「何か分かった?」


「少しな」


「危ない?」


主はすぐには答えなかった。


「まだ分からん」


ミナが主を見る。


「それ、危ない時に言うやつ」


「寝ろ」


「誤魔化した」


「寝ろ」


ミナは不満そうな顔をしたが、奥へ向かった。


途中で振り返る。


「ヴィクも寝かせて」


「ああ」


「ちゃんと」


「ああ」


「椅子で一緒に寝ないでよ」


主が黙る。


「またやる気でしょ」


「寝ろ」


ミナが奥へ消えた。


主はヴィクを抱いたまま椅子へ座る。


ヴィクはまだ服を掴んでいる。


外では。


ログ達が戻ってきた。


扉が開く。


ログが入ってくる。


主を見る。


ヴィクを見る。


「起きてたのか」


「らしい」


ログが近づく。


ヴィクが顔を向ける。


「よ」


手を伸ばす。


ヴィクの顔が歪んだ。


ログが止まる。


「まだ駄目なのかよ」


主がヴィクを少し抱き直す。


「嫌われてるな」


「うるせぇ」


レオも入ってくる。


その後ろに古参。


主の顔から僅かに緩んでいたものが消えた。


「朝から動くんだろ」


レオが頷く。


「所有者を調べます」


「ログ」


「分かってる」


ログは古参を見る。


「こいつも連れてく」


古参は何も言わない。


「白衣は」


「一度寝かせる」


「そうしろ」


主はそれだけ言った。


ログが椅子へ座ろうとする。


レオが止める。


「行きますよ」


「今帰ってきたばっかだぞ」


「朝です」


「飯くらい食わせろ」


「食べたら行きます」


「なら先に言え」


ログが奥へ向かう。


「何かあるか?」


ミナの声が飛んできた。


「自分で探して!」


「起きてんじゃねぇか!」


「寝るところ!」


いつもの声が《鴉樽》に戻る。


主は椅子に座ったまま、ヴィクを見る。


小さな手はまだ服を掴んでいた。


外では夜が明けていく。


倉庫には見張りを残した。


役所が開けば、レオが所有者を調べる。


二十年以上前と同じ靴。


十二年前に死んだ役人。


存在しない部署。


そして。


行き先の残っていない人間達。


追う場所は見つかった。


主はヴィクの背を軽く叩く。


ここから先。


自分は《鴉樽》に残る。


外を追う者がいるなら。


帰ってくる場所を守る者も必要だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。