第2章 東側の噂 ④
若い男はその夜、《鴉樽》の二階へ転がされた。
地下街では珍しくない。
怪我人。
逃亡者。
運び屋。
時々こういう人間が流れ着く。
ただ、 今回は空気が少し違った。
東側が動いている。
主がそう判断したからだ。
ログは裏通路の見張りを押し付けられていた。
「……何で俺なんだよ」
狭い通路。
湿った石壁。
古いガス灯。
ログは不満そうに壁へ寄りかかる。
かなり格好つけていた。
本人だけは。
ミナが後ろから言う。
「見張り中に格好つける意味ある?」
「雰囲気だよ」
「何の」
「地下街の」
「馬鹿っぽい」
「最近辛辣過ぎねぇ!?」
ミナは壁際へ座り込み、 黙って通路を見ている。
静かだった。
地下街の夜は、 静かな時ほど嫌な感じがする。
ログもそれを少し覚え始めていた。
その時。
遠くで足音がした。
二人とも顔を上げる。
複数。
ゆっくり近付いて来る。
ログの顔から軽口が消える。
「……ミナ」
「分かってる」
ミナは既に物陰へ下がっていた。
速い。
地下街育ちだった。
足音が止まる。
暗い通路の向こう。
誰かが居る。
ログは煙草を咥え直し、 壁へ寄りかかったまま低く言った。
「誰だ」
返事は無い。
数秒。
やがて低い声。
「《鴉樽》か」
知らない声だった。
ログは視線を細める。
暗くて顔が見えない。
ただ、 空気が妙だった。
地下街の人間の空気じゃない。
「何の用だ」
「探し物だ」
「名前は」
「お前から名乗れ」
ログは少し笑った。
若かった。
こういう空気、 嫌いじゃなかった。
「一年下働き」
沈黙。
物陰のミナが吹きそうになる。
通路の向こうも、 何故か少し黙った。
そして低い声。
「……何だそれ」
ログは煙を吐く。
「今の俺の肩書き」
ミナが後ろで顔を押さえている。
数秒後。
通路の向こうから、 小さく笑い声が漏れた。
「変な酒場だな、《鴉樽》」
その瞬間。
ログは少しだけ違和感を覚えた。
敵意が薄い。
探っている。
地下街の人間特有の空気とも違う。
背後で、 ミナが小さく呟く。
「……表の人」




