第2章 東側の噂 ➂
二階の空気が冷えていた。
若い男は寝台の陰へ寄りかかったまま、 荒い息を繰り返している。
腕の傷から、 まだ血が滲んでいた。
ログは壁へ寄りかかりながら顔をしかめる。
「……地下の奴らって何だよ」
男はすぐには答えなかった。
代わりに、 主を見る。
地下街の人間特有の目だった。
“ここまで喋っていいか”を測る目。
主は煙草を咥えたまま言う。
「喋れ」
短い沈黙。
やがて男は低く言った。
「最近、東側で縄張り動いてる」
ログが眉を寄せる。
「縄張り?」
「地下街全部が《鴉樽》みてぇな訳じゃねぇ」
男は息を切らしながら続ける。
「最近流れて来た連中が居る」
「どっから」
「知らねぇ。 でも地下のやり方じゃねぇ」
主の目が少し細くなる。
ログはまだ分かっていない顔をしていた。
ミナだけが静かに話を聞いている。
男が続けた。
「水路使って人流してる」
空気が止まる。
ログの顔から軽口が消えた。
「……人?」
「売ってるって噂だ」
酒場の喧騒が遠く聞こえる。
二階だけ、 別の場所みたいだった。
ログは小さく舌打ちする。
「クソみてぇだな」
男が苦く笑う。
「地下街だぞ」
その言葉が、 妙に重かった。
主は煙を吐く。
「《灰鐘》は噛んでるか」
「半分な」
「役人は」
「まだ気付いてねぇ」
主は少し黙った。
やがてログを見る。
「若造」
「……何だよ」
「裏通路見張り増やせ」
ログが顔をしかめる。
「俺かよ」
「下働きだろ」
「便利に使い過ぎだろアンタ!」
ミナがぼそりと言う。
「死ぬまで下働き」
数秒沈黙。
ログがゆっくり振り返る。
「誰に教わったそれ」
一階から常連達の爆笑が聞こえた。
どうやら聞かれていたらしい。
主は煙草を咥え直す。
少しだけ口元が緩んでいた。
でも次の瞬間には、 また地下街の顔へ戻る。
「……東側、きな臭くなるな」
誰も否定しなかった。
地下街の夜は、 まだ深くなっていく。




