第8章 ⑤
役所へ戻ると、灯りはまだ消えていなかった。
正面の扉も開いている。
中では役人達が走り回り、廊下には運び出された箱が並んでいた。
記録庫から出されたものらしい。
帳簿。
書簡。
封を切られていない報告書。
何年も開かれていなかった箱まである。
ログが中へ入ろうとする。
入口にいた役人が止めた。
「待て」
「何だ」
「今は関係者以外立入禁止だ」
「関係者だ」
「何の」
ログが答える前に、古参が一歩前へ出た。
「記録の照合だ」
懐から紙を出す。
中央管理局から届いた通知の文書番号。
役人が見る。
「誰の許可を取った」
「今から取る」
「駄目だ」
ログが役人を見る。
役人も見返す。
古参が溜め息をつき二人の間へ手を出した。
「若造」
「まだ何もしてねぇ」
「する前に言ってる」
「何をだ」
「黙ってろ」
レオが入口脇の机へ向かった。
そこでは数人の役人が、記録庫から出された書類の一覧を作っている。
「責任者は誰だ」
一人が顔を上げた。
レオとその後ろにいるログを見た。
嫌そうな顔をする。
「何の用ですか」
「文書番号を照合したい」
レオが紙を渡した。
役人は受け取る。
数字と文字を見る。
眉を寄せた。
「中央管理局の文書ですか」
「表向きは」
古参が答える。
「発出元を調べたい」
「それなら中央へ照会を」
「その中央を調べてる」
役人は黙った。
奥を見る。
記録庫では今も書類が運び出されている。
「……待ってください」
役人が席を立った。
ログも後を追おうとする。
「ここで待て」
「何でだ」
「お前が行くと話が余計にややこしくなる」
古参が言った。
「何もしてねぇだろ」
「顔がややこしい」
「顔は関係ねぇだろ」
しばらくして、先ほどの役人が別の男を連れて戻ってきた。
髪に白いものが混じっている。
腕には記録管理官の印があった。
男は紙を受け取ると、文書番号へ目を落とした。
「原本は」
「ない」
古参が答える。
「中央管理局から届いた通知だけだ」
「いつのものです」
「古いものは二十年以上前。新しいものもある」
管理官の目が僅かに動いた。
「同じ番号が?」
「頭だけな」
古参が紙を指す。
文字が二つ。
その後に年代。
分類。
通し番号。
中央管理局の担当部署が変わっても、最初の二文字だけは変わっていない。
管理官はしばらく考えた。
「文書規程を確認します」
「どれくらいかかる」
ログが聞く。
「分かりません」
「急げ」
「若造」
古参が睨む。
管理官はログを一度見たが、何も言わなかった。
「来てください」
三人は廊下の奥へ通された。
記録庫の手前に、小さな部屋がある。
壁一面に細長い帳面が並んでいた。
管理官が一冊を抜く。
中央管理局文書規程。
現行のものだった。
机に置き、最初の頁を開く。
文書番号の付け方。
発出年度。
部署番号。
文書区分。
通し番号。
古参が持ってきた紙と見比べる。
「合わんな」
「ああ」
管理官も答えた。
「この二文字がない」
部署番号の一覧には、似たものすらなかった。
ログが聞く。
「古い番号じゃねぇのか」
「可能性はあります」
管理官が別の棚を見る。
十年前。
二十年前。
さらに前。
年代ごとに規程が分かれている。
レオと古参も手伝った。
一冊ずつ机へ運ぶ。
頁を開く。
部署番号を見る。
ない。
次。
それにもない。
中央管理局には、長い間にいくつもの部署が作られていた。
廃止された部署。
名前を変えた部署。
別の管理局へ移された部署。
統合されたものもある。
だが探している二文字は、どの一覧にも載っていなかった。
ログが机を指で叩く。
「見落としてんじゃねぇのか」
「なら自分で見ろ」
古参が一冊渡した。
ログが受け取る。
頁をめくる。
一頁。
二頁。
少しして閉じた。
「字が小せぇ」
「諦めるのが早い」
「ねぇもんはねぇ」
「まだ三頁だ」
管理官は二人を無視して、最も古い規程を確認していた。
やがて顔を上げる。
「ありません」
部屋が静かになった。
レオが聞く。
「一度も使われていない番号か」
「少なくとも、中央管理局の部署番号ではありません」
古参が腕を組む。
「だが中央管理局の通知に付いてる」
「その通知を中央管理局が発出したのなら、別の番号が付くはずです」
「どういう意味だ」
ログが聞いた。
管理官は紙を机へ置いた。
「これは中央管理局が付けた番号ではない」
誰も喋らなかった。
廊下の向こうでは、まだ役人達が行き来している。
箱を運ぶ音。
名前を読み上げる声。
紙を束ねる音が続いていた。
古参が紙を見る。
「なら、どこの番号だ」
「分かりません」
管理官は答えた。
「この役所の規程にも、中央管理局の規程にもない」
「他の役所は」
「全ての部署番号を把握しているわけではありません」
「調べられるか」
「省庁別の番号台帳があれば」
管理官は棚の端を見た。
そこにはさらに分厚い帳簿が並んでいる。
一冊ではない。
「古いものも含めると時間がかかります」
ログが椅子を引いた。
座る。
「じゃあ調べろ」
「お前もだ」
古参も隣に座った。
また帳簿が積まれた。
内務。
司法。
財務。
外務。
王宮管理。
年代によって名称も管轄も違う。
廃止された役所まで含め、一つずつ番号を確認する。
ログは最初こそ嫌そうに頁をめくっていた。
だが、しばらくすると何も言わなくなった。
ない。
どこにもない。
二十年以上前の台帳にも。
その後の改訂にも。
現在使われている番号にも。
同じ二文字は載っていなかった。
レオが最後の帳簿を閉じる。
「存在しないな」
管理官はすぐには頷かなかった。
自分でももう一度、索引を確認する。
それから言った。
「少なくとも、正式な部署としては」
ログが顔を上げる。
「正式じゃない部署ならあるのか」
「知りません」
「知らねぇのか」
「公文書に記載されない部署を、記録管理官が把握できると思いますか」
ログは黙った。
古参が文書番号を指す。
「正式な部署じゃない」
「ああ」
「それなのに番号がある」
レオも続ける。
「その番号を中央管理局が受け入れている」
「一度じゃない」
古参が言った。
「二十年以上だ」
担当部署は変わった。
人も入れ替わった。
長官も同じではない。
それでも、その番号から始まる指示だけは消えなかった。
人員を引き取る。
食料を送る。
薬を揃える。
衣類。
建材。
武具。
中央管理局はそれを受け取り、それぞれの部署へ振り分けていた。
存在しない発出元から届いた命令を。
長い間。
誰も止めずに処理し続けていた。
管理官が立ち上がった。
「受領簿を見ます」
「何だそれ」
ログが聞く。
「外部から届いた文書を記録する帳簿です」
「最初からそれを見りゃよかっただろ」
「発出元が分からなければ探せません」
管理官は不機嫌そうに答えた。
「今は番号と年代がある」
記録庫へ向かう。
今度は三人も後へ続いた。
棚の間には書類箱が積み上がり、通路が狭くなっている。
役人達が避ける。
正確には。
ログを見て避けた。
一番奥。
受領記録と書かれた棚から、管理官が帳簿を抜いた。
古い年代のものだった。
机が空いていない。
箱の上に帳簿を置く。
頁をめくる。
日付。
文書番号。
発出元。
受領者。
処理先。
何百件もの記録が並んでいた。
古参が持ってきた番号を追う。
同じ年代。
似た番号。
そして。
「あった」
管理官の指が止まった。
ログ達が覗き込む。
文書番号は一致している。
内容は物資の手配。
処理先は中央管理局第二管理課。
受領者の名も残っていた。
だが。
発出元の欄には何も書かれていない。
空欄だった。
「書き忘れか」
レオが聞く。
管理官は次の番号を探す。
数か月後。
またあった。
発出元は空欄。
その次も。
さらに翌年。
同じだった。
「全部ねぇぞ」
ログが言う。
古参の顔が険しくなる。
「空欄の文書を受け取れるのか」
「通常は受け取りません」
管理官が答える。
「差出人が分からない命令書など、処理できない」
「だが処理してる」
処理先が記されている。
第二管理課。
第三監察課。
人員管理室。
それぞれ違う部署へ回されていた。
管理官が帳簿を傾けた。
欄外。
小さな印が押されている。
文字が潰れ、ほとんど見えない。
古参が灯りを近づけた。
「特別受領」
管理官が読んだ。
その下に、さらに小さな文字がある。
照会不要。
ログが眉を寄せる。
「何だそれ」
「発出元を確認せず、そのまま受け取れという意味です」
「誰が決める」
「長官か、長官から権限を与えられた者です」
古参が別の頁を開いた。
同じ番号。
同じ空欄。
同じ印。
特別受領。
照会不要。
古い記録にも。
新しい記録にも。
それは繰り返し現れた。
長官が代わっても消えていない。
「おかしい」
管理官が呟く。
古参が見る。
「何がだ」
「この扱いは、一時的な緊急命令に使うものです」
「一時的?」
「災害や襲撃など、発出元を記録している余裕がない場合に限られる」
レオが帳簿を見る。
「二十年以上続く緊急事態なんてあるのか」
管理官は答えなかった。
ログが受領者の欄を指す。
「こいつらに聞けばいい」
古参が名前を見る。
最初の男は、すでに退職していた。
次も。
その次は死亡。
異動。
所在不明。
新しい記録へ移る。
そこに、ようやく現職の人間が一人いた。
管理官が名前を読む。
「中央管理局長官室付記録官」
レオが顔を上げる。
「長官室か」
「ああ」
「今もいる?」
管理官は少し考えた。
「人員記録を確認しなければ分かりません」
ログが帳簿を閉じた。
「確認しろ」
古参が見る。
「今日はここまでだ」
「何でだ」
「今から中央管理局へ乗り込む気か」
「そいつがいるなら話を聞くだけだ」
「夜中だぞ」
「起こせばいい」
「駄目だ」
「何でだよ」
古参は閉じられた帳簿へ手を置いた。
「こいつが何者か分からん」
ログも見る。
「だから聞くんだろ」
「向こうも、俺達がどこまで知ったか分からん」
ログの目が細くなった。
「逃げるってことか」
「それだけならまだいい」
古参は周囲を見る。
役人達は今も作業を続けている。
誰が何を聞いているか分からない。
この記録官が、ただ命令を受け取っただけの役人なのか。
発出元を知っている人間なのか。
それとも。
別の何かなのか。
「先に人員記録を確認する」
古参が言った。
「住所」
「経歴」
「誰の下にいたか」
「それからだ」
ログは不満そうだった。
だが今度は反論しなかった。
管理官が受領簿を抱える。
「これは別に保管します」
「消すなよ」
ログが言う。
管理官の顔が険しくなった。
「記録を守るのが仕事です」
「なら守れ」
「言われなくても」
二人が睨み合う。
古参がログの背を押した。
「戻るぞ」
「押すな」
「歩け」
「分かってる」
三人は記録庫を出た。
廊下の窓から外を見る。
夜はまだ明けていない。
地下街へ戻る道も暗い。
階段の前で、ログが止まった。
「古参」
「何だ」
「存在しねぇ部署なんだよな」
「ああ」
「でも命令は来る」
「ああ」
「人も物も動く」
古参は答えなかった。
ログが階段の下を見る。
「だったら」
低い声だった。
「いるじゃねぇか」
レオがログを見る。
「何が」
「命令してる奴だよ」
部署がなくても。
名前がなくても。
記録から消されていても。
誰もいない場所から、命令が届くはずはない。
ログは階段を下り始めた。
「そいつを見つけりゃいい」
古参も後を追う。
「簡単に言うな」
「簡単だろ」
ログは振り返らなかった。
「いねぇことになってるなら」
足音が暗い階段へ響く。
「引っ張り出せばいい」




