第8章 ④
「国だ」
古参が答えた。
その言葉の後しばらく誰も喋らなかった。
ログは机の上を見る。
帳簿。
通知。
異動記録。
何度も出てくる中央管理局の名。
「じゃあ」
ログが口を開いた。
「その上を調べりゃいい」
古参が見る。
「簡単に言うな」
「何でだ」
「国だぞ」
「だから何だ」
古参は額を押さえた。
「若造」
「何だ」
「国ってのは一人じゃない」
ログが眉を寄せる。
「知ってる」
「本当か?」
「馬鹿にしてんのか」
「少しな」
ログが睨む。
レオが間に入った。
「中央管理局の上に誰がいる」
「長官」
「その上は」
「管轄による」
「誰が命令を出す」
「それも内容による」
ログが露骨に嫌そうな顔をした。
「面倒くせぇ」
「だから言っただろ」
古参は帳簿を閉じる。
「国ってのはそういうもんだ」
誰が決めた。
誰が許可した。
誰が実行した。
一枚の紙に全部は書かれない。
部署が違う。
権限が違う。
命令系統も違う。
そして。
責任の所在も分かれていく。
一つずつ辿るしかない。
ログは椅子の背にもたれた。
「じゃあ辿れ」
「お前もやるんだよ」
「俺が?」
「当たり前だ」
「字が多い」
「知るか」
常連の一人が笑った。
「頑張れ、若造」
「うるせぇ」
主が茶を追加した。
誰も帰る気配がない。
夜はまだ長かった。
古参が中央管理局から届いた通知を集める。
「まずこれだ」
レオが覗く。
「何を見る」
「署名じゃない」
古参は通知の上部を指した。
「発出元だ」
第三監察課。
第二管理課。
人員管理室。
年代によって違う。
「ばらばらだな」
レオが言う。
「ああ」
古参も頷いた。
「一つの部署がずっとやってるわけじゃない」
ログが聞く。
「担当が変わっただけじゃねぇのか」
「その可能性もある」
古参は次の紙を取った。
古い通知。
さらに古い通知。
人員の引き渡し。
記録の照会。
所属変更。
中央管理局への出頭。
内容も担当部署も違う。
だが似たものが残っていた。
古参の指が止まる。
「これ」
レオが見る。
「何だ」
「番号だ」
通知の端。
小さく記された数字と文字。
ログも覗き込む。
「何の番号だ」
「文書番号」
古参が答えた。
「どこから出た指示か辿るための番号だ」
「中央管理局だろ」
「この形式は違う」
古参は首を振った。
別の通知を見る。
そこにもある。
もう一枚。
また同じ。
十一年前。
十八年前。
二十年前。
さらに古いものまで。
中央管理局の担当部署は違う。
だが番号の頭だけが同じだった。
「何だよ」
ログが言う。
「中央管理局が出してんじゃねぇのか」
「表向きはな」
古参が答える。
「だが、その前に別の指示がある」
「どこから」
「それを今から探す」
ログが舌打ちした。
古参が睨む。
「嫌なら寝ろ」
「嫌だ」
「なら黙って探せ」
帳簿と通知がさらに広げられる。
今度は人事だけではない。
予算。
物資。
施設管理。
他部署との連絡。
何年分もの書類を片端から確認する。
レオも。
白衣も。
常連達も。
ログも嫌そうな顔で紙をめくる。
しばらくして。
「おい」
ログが声を上げた。
古参が顔を上げる。
「何だ」
「これ」
一枚の紙が投げられる。
古参が受け取った。
眉が寄る。
「どこにあった」
「そこの箱」
人員関係ではなかった。
食料。
保存食。
衣類。
薬品。
まとまった量の物資。
送り先は中央管理局管轄の施設。
そして同じ系統の文書番号。
レオが別の書類を探す。
「こっちにもある」
今度は建材。
さらに別の一枚。
武具。
古参が机へ並べる。
人。
食料。
衣類。
薬。
建材。
武具。
常連の一人が覗き込んだ。
「何だこれ」
誰も答えない。
レオが数量を見る。
「多いな」
「ああ」
古参が頷く。
白衣も書類を取った。
しばらく数字を追う。
「一時的な補充じゃないな」
ログが聞く。
「じゃあ何だ」
古参は答えず、別の年度を見る。
同じような発注がある。
その次の年も。
量には差がある。
だが途切れていない。
「国境か?」
レオが言った。
古参が顔を上げる。
「可能性はある」
国境では以前から揉め事が続いている。
大きな戦ではない。
だが兵が出る程度の衝突は珍しくなかった。
村同士の争いでは済まない。
双方の兵が睨み合い。
時には死者も出る。
最近また増えているという話もある。
「国境向けの備蓄なら」
レオが武具の書類を見る。
「これくらいあってもおかしくないか」
「ああ」
古参は頷いた。
「食料も薬も説明はつく」
ログが机を見る。
「じゃあ終わりか」
「終わるか」
古参が人事記録を一冊持ち上げた。
机へ置く。
さっき見つけた異動先のない人間達。
「これが説明できん」
ログの目がそちらへ向く。
「国境へ物を送る」
古参は食料の書類を指す。
「分かる」
薬。
「これも分かる」
武具。
「これもな」
そして。
人事記録を叩いた。
「何で人間まで中央管理局が引き取る」
誰も答えなかった。
「兵が必要なら軍が集める」
レオが言う。
「ああ」
「徴募の記録も残る」
「ああ」
「こいつらは違う」
所属だけが消えている。
行き先はない。
中央管理局が引き取った。
その後は何もない。
ログが白衣を見る。
「機構か」
「分からん」
白衣は首を振る。
「少なくとも全部ではないだろう」
「何で分かる」
「人数が合わない」
白衣は人事記録を見る。
「俺がいた機構だけで、これだけの人間を継続して受け入れていたとは思えん」
古参が目を細くする。
「他にもある?」
「知らん」
白衣は即答した。
「施設なのか」
「別の機構なのか」
「全く違う何かなのか」
「俺には分からん」
レオが机の上を見る。
物資。
人員。
十五年以上続く記録。
そして。
中央管理局。
「国境の小競り合いが始まってからか?」
古参が古い帳簿を見る。
しばらく年代を確認する。
首を振った。
「違う」
「何が」
「古い」
帳簿を回す。
人員の引き渡しに物資の手配。
今より国境が落ち着いていた頃の記録まである。
ログが眉を寄せる。
「じゃあ国境じゃねぇだろ」
「そうとも言えん」
古参が答える。
「備えること自体はおかしくない」
「何年も前から?」
「国ならやる」
ログは納得していない。
だが否定できる材料もなかった。
国境で争いはある。
軍備も必要だ。
備蓄もする。
それだけなら何もおかしくない。
おかしいのはその横に、行き先を消された人間がいることだった。
白衣が黙って書類を見ている。
さっきから一枚の紙を何度も読んでいた。
ログが気付く。
「何だ」
白衣は答えない。
「おい」
「……似てる」
全員が見る。
「何が」
レオが聞いた。
白衣は少し黙った。
そして。
「昔」
紙を机へ置く。
「俺がいた所で言われていたことに」
ログの顔から少し表情が消えた。
白衣は続ける。
「人間は脆い」
部屋が静かになる。
「恐怖で動けなくなる」
「痛みで動けなくなる」
「命令に逆らう」
白衣の声が低くなる。
機構にいた頃。
当たり前のように聞いた言葉。
そして。
自分自身も。
当たり前のように口にしていた言葉。
「だから管理する」
「だから調整する」
「使える状態にする」
誰も喋らなかった。
ログだけが白衣を見ている。
「お前」
白衣も見る。
「何だ」
「昔、似たような事言ってたな」
沈黙。
白衣は目を逸らさなかった。
「ああ」
「馬鹿だったな」
「ああ」
短かった。
言い訳はなかった。
主が煙草の灰を落とす。
古参は白衣の前にある紙を見る。
「この書類にも書いてあるのか」
「同じ言葉じゃない」
白衣は首を振った。
「だが考え方が同じだ」
人員の適性。
配置。
管理。
継続利用。
感情のない言葉が並んでいる。
人間の話なのに。
物資の書類と大して変わらない。
古参が人事記録と物資の書類を並べた。
人。
食料。
薬。
武具。
全て同じように管理されている。
ログの顔から笑いが消えていた。
「古参」
「何だ」
「これ」
書類を指す。
「誰が決めてる」
「分からん」
「中央管理局じゃねぇのか」
「それを調べる」
古参は文書番号を書き写した紙を持ち上げる。
「この元だ」
中央管理局の複数の部署へ。
長い間。
同じ系統の指示が流れている。
その先に何があるのか。
まだ分からない。
軍なのか。
別の役所なのか。
もっと違う何かなのか。
ただ一つだけ分かった。
中央管理局を潰して終わる話ではない。
ログが立ち上がった。
「行くぞ」
古参が見る。
「どこへ」
「役所」
「今から?」
「ああ」
「夜中だぞ」
「知ってる」
「今、記録庫は大騒ぎだ」
ログは扉へ向かう。
「ちょうどいいだろ」
レオが笑った。
「一理ある」
古参が額を押さえる。
「お前まで」
主が煙草を咥えた。
「行ってこい」
「おう」
「ただし」
ログが振り返る。
主は煙を吐いた。
「役人は持って帰ってくるな」
常連達が笑った。
ログが眉を寄せる。
「持って来ねぇよ」
古参が立ち上がる。
「殴るなよ」
「向こう次第だ」
「若造」
「分かったよ」
全く分かっていない返事だった。
レオも立つ。
古参は文書番号を書いた紙を懐へ入れた。
今まで追っていたのは。
十五年前に消えた二人だった。
そこから地下機構へ繋がった。
中央管理局へ繋がった。
そして今。
その中央管理局すら何かの途中に見え始めていた。
ログは扉を開ける。
「上だろ」
古参が見る。
「何が」
「辿るんだろ」
ログは暗い階段を上がっていく。
「だったら」
足を止めない。
「一番上まで行きゃいい」
古参は何も言わなかった。
その言葉が、思っていたよりずっと遠い場所まで続いているような気がした。




