第8章 ③
十五年前二人は同じ場所へ送られた。
その異動記録には。
中央管理局の署名が残っていた。
レオは立ったまま帳簿を見ている。
「異動先は」
古参が欄を確認する。
しばらく黙った。
「書いてない」
「何?」
レオが帳簿を引き寄せる。
確かに。
所属変更の日付。
中央管理局の承認。
二人の名前。
そこまではある。
だがその先がない。
異動先だけが空欄だった。
ログが覗き込む。
「異動になってねぇだろ」
「普通ならな」
古参が答える。
「異動先がなければ処理できん」
「でも処理されてる」
レオが言った。
「ああ」
古参の顔が険しくなる。
役所の記録では。
二人は退職していない。
失踪もしていない。
死亡にもなっていない。
ただ所属だけが消えていた。
「中央管理局が引き取ったのか」
レオが聞く。
白衣が帳簿を見る。
「可能性はある」
「引き取ってどうする」
ログが聞いた。
白衣はすぐには答えなかった。
「人による」
「何だそれ」
「そのままだ」
白衣は椅子へ座る。
「機構には色んな人間がいた」
「研究員、戦闘員、作業員」
「それ以外も」
古参が顔を上げる。
「役人もか」
「いた」
短い答えだった。
部屋が静かになる。
「本人が望んで?」
レオが聞く。
白衣はレオを見る。
「それを俺に聞くのか」
誰も答えなかった。
聞くまでもない。
地下で見てきたものがある。
ログが腕を組む。
「じゃあ、こいつらも地下にいたかもしれねぇってことか」
「かもしれない」
「分からねぇのか」
「俺は全員の名簿を見ていたわけじゃない」
白衣は帳簿を指した。
「それに十五年前だ」
「俺が知っているより前の記録もある」
古参の眉が動いた。
「前?」
「ああ」
白衣は木箱を見る。
「十五年前だけ調べても駄目かもしれんぞ」
レオが顔を上げた。
「どういう意味だ」
「中央管理局が機構に関わり始めたのが十五年前だと、誰が言った」
誰も言わなかった。
部屋が静かになる。
古参がゆっくり木箱を見る。
十を超える箱。
年代ごとに整理された人事記録。
十五年前。
その前。
さらに前。
「遡るぞ」
古参が言った。
常連の一人が嫌そうな顔をした。
「どこまで」
「分かるまでだ」
「帰っていい?」
「さっき帰れと言った」
「今は気になる」
「じゃあ働け」
帳簿が配られる。
紙をめくる音が再び始まった。
十五年前から。
十六年前。
十七年前。
十八年前。
最初は何も出なかった。
普通の異動。
普通の退職。
普通の昇進。
だが。
一人の常連が手を止めた。
「これ」
古参が見る。
「何だ」
「ここ」
指された場所。
十三年前。
中央管理局承認。
異動先空欄。
古参の顔が変わる。
「他は」
また紙をめくる。
「こっちにもある」
別の常連が言った。
十七年前。
同じだった。
所属変更。
異動先なし。
中央管理局の承認。
レオが帳簿を取る。
名前を見る。
知らない人間だった。
「こいつは」
古参が確認する。
「役所の会計だ」
次。
「こっちは警邏」
さらに。
「倉庫管理」
「記録係」
「税務」
一つの部署ではない。
役職も違う。
年代も違う。
共通しているのは。
途中で所属が消えていること。
そして。
中央管理局。
「何人いる」
ログが聞いた。
誰も答えない。
まだ数えている。
一人。
二人。
五人。
十人。
十五年前を越える。
さらに古い帳簿が開かれる。
「まだある」
古参の声が低くなった。
二十年前。
同じ記録。
レオが顔を上げる。
「十五年前からじゃない」
「ああ」
古参が答えた。
もっと前から。
人が消えている。
いや。
正確には。
消されていない。
書類の上では生きている。
退職もしていない。
死亡もしていない。
ただ所属だけがなくなり。
中央管理局の承認だけが残っている。
ログが一冊を取った。
「こいつら全部」
白衣を見る。
「機構に行ったのか」
「分からん」
白衣は首を振った。
「中央管理局が引き取ったところまでは読める」
「その先は?」
「ない」
「何も?」
「ああ」
ログは舌打ちした。
古参が別の箱を開ける。
今度は人事記録ではない。
中央管理局から役所へ届いた通知。
古い。
紙も変色している。
一枚。
二枚。
内容を確認していく。
やがて。
古参の手が止まった。
「これか」
レオが横から見る。
短い通知だった。
人員の引き渡し。
中央管理局の要請。
理由は記されていない。
その下。
小さく一言。
『移送』
ログが眉を寄せた。
「どこへ」
古参は裏を見る。
何もない。
「書いてない」
白衣が通知を受け取った。
しばらく見る。
「あったな」
全員が白衣を見る。
「何が」
レオが聞く。
「その言葉だ」
白衣は紙を机へ戻した。
「機構でも使っていた」
ログの目が細くなる。
「移送?」
「ああ」
「どこへ移す」
「知らん」
即答だった。
「別の施設か」
「多分な」
「多分?」
白衣がログを見る。
「俺達にも知らされなかった」
「移送が決まった奴は」
そこで一度言葉を切った。
「いなくなる」
誰も喋らなかった。
「戻ってきた奴は」
レオが聞く。
白衣は首を振る。
「俺は知らない」
レオは十五年前の二人の名前を見る。
生きているのか。
死んでいるのか。
地下にいたのか。
どこか別の施設へ送られたのか。
何も分からない。
分かったことは。
もっと別のことだった。
古参が机いっぱいに広がった帳簿を見る。
「これは」
誰も口を挟まない。
「十五年前の事件じゃないな」
レオがゆっくり頷いた。
「ああ」
十五年前。
自分達が知らなかっただけだ。
その時にはもう。
仕組みがあった。
役所から人を抜く。
中央管理局が引き取る。
記録の上では失踪させない。
必要なら地下へ送る。
その先は残さない。
それが何年もずっと続いていた。
ログが椅子へ深く座った。
珍しく何も言わない。
主が見た。
「どうした」
「面倒くせぇ」
古参が鼻で笑う。
「今頃気付いたか」
「違う」
ログは帳簿を見る。
「一人じゃねぇ」
古参の顔から笑いが消える。
「役所の奴捕まえて終わりじゃねぇ」
「中央管理局の奴捕まえても終わらねぇ」
白衣を見る。
「機構潰しても」
少し間が空いた。
「また作るだろ」
誰も否定できなかった。
中央管理局は犯罪組織ではない。
国の組織だ。
役所の外に巣食っている何かでもない。
最初から中にいる。
ログはそれが気に入らなかった。
酷く気に入らなかった。
「古参」
「何だ」
「中央管理局の上は」
古参がログを見る。
「何がある」
質問の意味を考える。
そして答えた。
「国だ」
短い言葉だった。
ログは黙った。
机の上には。
十五年以上前から続く記録が積まれている。
殴れば終わる相手ではなかった。
捕まえれば終わる事件でもなかった。
外から見ているだけでは。
何も分からない。
ログはまだ。
その先を口にはしなかった。
だが初めて。
表から逃げて地下街へ降りてきた若造が。
もう一度、表の世界を見ていた。




