第7章 ⑳
夜の空気が一気に冷えた。
古参が役人を見る。
「全部か」
役人は頷いた。
「棚ごと抜かれてる」
「何がなくなった」
「まだ確認中だ」
古参は舌打ちした。
「確認しろ」
「してる!」
役人も余裕がなかった。
顔が青い。
記録庫が荒らされた。
それだけでも大問題だ。
「行くぞ」
古参が走り出す。
全員が後に続いた。
役所の裏門。
警備が集まっている。
灯りも増えていた。
人の声。
足音。
慌ただしい。
古参が中へ入る。
誰も止めなかった。
止められる状況ではない。
記録庫は建物の奥だった。
重い扉。
その前に数人の役人が立っている。
扉は開いていた。
古参が中へ入る。
ログ達も続く。
そして。
全員が止まった。
「……何だこれ」
ログが呟く。
棚が空だった。
壁際に並んでいたはずの書架。
そこから大量の記録が消えている。
床には紙切れ。
破れた紐。
倒れた箱。
まるで嵐でも通った後だった。
古参が棚へ近付く。
指で埃をなぞる。
新しい。
ついさっきまで何かがあった。
「運び出したな」
レオが低く言う。
「ああ」
古参は頷いた。
「かなりの量だ」
ログが棚を見る。
「元上司の記録か」
「分からん」
古参は首を振る。
「だが」
空になった棚を見渡す。
「探されたくない物があるのは確かだ」
役人の一人が近付いてきた。
「古参」
「何だ」
「裏門の鍵は壊されてない」
古参が振り返る。
「中の人間か」
「恐らく」
部屋が静かになる。
外から侵入したなら話は早い。
だが違う。
鍵を持つ者。
もしくは。
開けられる者。
「何人が出入りできる」
レオが聞く。
役人は顔をしかめた。
「多い」
「具体的には」
「管理担当」
「夜勤」
「警備」
「上役」
「それ以外にもいる」
ログが呆れた。
「ざるだな」
役人が睨む。
「役所を馬鹿にするな」
「してねぇ」
ログは棚を指差した。
「現実を見てる」
役人は返せなかった。
その通りだった。
古参は歩き回る。
床。
棚。
窓。
一つずつ確認していく。
ふと。
足が止まった。
「どうした」
レオが聞く。
古参は床を見ている。
そこには小さな紙片。
破れた切れ端。
古参が拾い上げた。
文字が残っている。
ほんの少しだけ。
「読めるか」
レオが覗き込む。
古参は目を細めた。
「……人事」
「人事記録か」
「ああ」
さらに下を見る。
別の切れ端。
それも拾う。
「異動」
「退職」
「職員名簿」
古参の顔が険しくなる。
ログも気付いた。
「記録庫全部じゃねぇな」
古参が頷く。
「ああ」
「人事関係だ」
誰かが意図的に選んで持ち出している。
火事ではない。
盗賊でもない。
探していた物を。
正確に持って行った。
レオの拳が握られる。
「十五年前か」
古参は答えない。
だが否定もしない。
その時。
後ろから声がした。
「古参!」
別の役人だった。
息を切らしている。
「何だ」
「見つかった」
全員が振り返る。
役人は青い顔のまま言った。
「持ち出し記録だ」
古参の目が細くなる。
「誰だ」
役人は紙を差し出した。
「これだ」
古参が受け取る。
目を通す。
その動きが止まった。
レオも覗き込む。
顔色が変わる。
ログは二人を見る。
「誰だ」
誰も答えない。
「おい」
古参がゆっくり紙を下ろした。
その顔から表情が消えている。
「……嘘だろ」
役人の一人が呟いた。
ログが紙を奪う。
名前を見る。
知らない名前だった。
「誰だよ」
古参が答える。
「現職だ」
部屋が静かになる。
「今も役所にいる」
レオの顔が険しくなる。
「どこの部署だ」
「人事」
短い返答だった。
だが十分だった。
人事。
異動。
退職。
職員名簿。
消えた記録と繋がる。
ログが聞く。
「そいつが持ち出したのか」
「分からん」
古参は首を振った。
「だが許可は出している」
「本人名義でな」
レオが紙を睨む。
「本物か」
「筆跡は本人だ」
役人が答えた。
「少なくとも俺にはそう見える」
ログが腕を組む。
「じゃあ黒だろ」
「そう簡単なら苦労しない」
古参は即座に否定した。
「脅されたかもしれん」
「騙されたかもしれん」
「名前だけ使われた可能性もある」
「だが」
古参の声が低くなる。
「話は聞かなきゃならん」
レオが頷く。
「ああ」
その時だった。
別の役人が記録庫へ飛び込んできた。
「古参!」
「今度は何だ」
「探した!」
息を切らしている。
「いたのか」
「いない!」
役人が叫んだ。
「席にいない!」
全員の顔が変わった。
「いつからだ」
古参が聞く。
「分からん!」
「誰も見てない!」
ログが小さく笑う。
「逃げたな」
古参は否定しなかった。
できなかった。
人事の役人。
持ち出し許可。
消えた大量の記録。
そして本人不在。
偶然にしては出来すぎている。
レオが低く言う。
「家は」
「確認に行かせた」
古参が答える。
「だが期待するな」
「もう戻らんだろう」
役所の人間達がざわつく。
誰もが気付き始めていた。
記録庫荒らしではない。
内部犯だ。
しかも。
一人でやったとは思えない。
大量の記録。
持ち出し。
運搬。
逃走。
全部を一人でやるには無理がある。
ログが空になった棚を見る。
「まだいるな」
古参も同じ棚を見た。
「ああ」
十五年前の人間だけじゃない。
今も。
役所の中にいる。
それも。
一人や二人ではない。
その時。
記録庫の入口で。
誰かが小さく息を呑んだ。
全員が振り返る。
そこには。
顔を青くした若い役人が立っていた。
「どうした」
古参が聞く。
若い役人は震える指で棚を指した。
「あ、あの……」
「何だ」
「それ」
全員の視線が向く。
空になった棚の奥。
誰も見ていなかった場所。
そこに。
一枚だけ紙が残されていた。
まるで。
見つけられるのを待っていたかのように。




