第2章 東側の噂 ①
東水路の夜
東水路が閉じる夜は、地下街の空気が少し重かった。
通路の人通りが減る。
酒場の声も少し小さい。
《鴉樽》でも、 皆どこか落ち着かなかった。
ログは樽を運びながら顔をしかめる。
「最近ほんとこればっかだな」
「何が」
ミナが皿を抱えたまま聞く。
「“聞くな”ってやつ」
ミナは少し黙る。
「聞かなきゃいい」
「気になるだろ普通」
「普通じゃ長生き出来ない」
ログが顔をしかめた。
「お前たまに六歳と思えねぇな……」
「十九も馬鹿っぽい」
「傷付くなぁ!?」
酒場が少し笑う。
でも、 その笑いも長くは続かなかった。
裏扉が三回鳴る。
コン、コン、コン。
酒場の空気が止まる。
主が煙草を咥えたまま言う。
「開けろ」
店主が無言で鍵を外す。
冷たい空気と一緒に、 黒外套の男が入って来た。
顔色が悪い。
服も少し濡れている。
ログは反射でそちらを見る。
男は主の席まで来ると、 小さく言った。
「東水路で揉めた」
主は煙を吐く。
「誰だ」
「《灰鐘》の運び屋」
酒場の空気が少し重くなる。
ログはまだ、 その名前の意味を知らない。
でも、 周囲の顔を見れば危ない話だと分かった。
男が続ける。
「役人が嗅ぎ回ってたらしい」
「……で」
「一人、落ちた」
短い沈黙。
水路の音だけが響く。
主は静かに酒を飲む。
「死んだか」
「多分」
ログは思わず聞いた。
「落ちたって何だよ」
誰もすぐには答えない。
やがて店主が低く言った。
「東水路は深ぇんだよ」
それだけだった。
でもログは、 その先を聞かなかった。
聞けば、 想像出来てしまう。
地下街では、 時々人が“落ちる”。
それだけだ。
ミナは黙って話を聞いていた。
小さい手で皿を抱えたまま、 酒場の空気を覚えている。
主は煙草を灰皿へ押し付ける。
「今夜、水路側閉めろ」
店主が頷く。
「若造」
ログが顔を上げる。
「……何」
「今日は裏行くな」
珍しく、 少し強い声だった。
ログは少し黙る。
そして、 小さく頷いた。
その時だった。
二階へ上がりかけていたミナが、 ふと立ち止まる。
「……誰かいる」
酒場が静まり返った。
ログが振り返る。
「は?」
ミナは二階奥の暗い通路を見ていた。
酒場の灯りが届かない場所。
地下街の主が、 ゆっくり顔を上げる。




