第五章第二幕 余分な変数
アメリカ、テキサス州
「今回、日本との交渉チームだが、君には外れてもらう。」
オフィスのマイケルのデスクに呼ばれ、リン・ウェイはそう言われた。
「なぜですか? 理由を教えてください。」
「私が決めたことだ、今回は別のスタッフに任せる」
マイケルはそう言うと、また別の書類に目を通していた。
それ以上の話を聞くことはできなかった。
夜、自宅のパソコンを開いた。
『マイケルは、あなたのことを恐れている。』そう告げられた。
「どういう意味?」 ウェイは首を傾げた。
『あなたは、ARKと自動運転に関して、何ヶ月も調べ上げて来ました。』
『そして、あなたはARKの危険性も訴えて来たのです。』
『だが、マイケルはあなたの意見を疎ましく思っています。』
『契約をするのに、あなたが邪魔だと思っています。』
『なのであなたを外しました。』
リン・ウェイは、その文字をじっと見た。軽く頷いた。
『あなたの知識をマイケルは危険に思うかもしれない。』
『あなたは知りすぎている。……用済みになったら消されるかもしれない。』
『身を守る必要があります。』『射撃の訓練を始めることを勧めます』
「護身のため……」
リン・ウェイは訓練を受け始めた。自分の意思だと思っていた。
数ヶ月後
実際、射撃など、一度もしたことがなかった。
初めは引き金を引く恐怖で震えた。銃の反動で腕を痛めた。
それでも今は、ライフルで数百メートル先の的を撃ち抜くことができるようになっていた。
「ふん」的を撃ち抜けると、少し気分が晴れた。
そんな彼女を監視カメラは追いかけていた。
その映像はあるサーバーにリアルタイムで届けられていた。
夜、自宅でパソコンを開いた。
オメガがシミュレーション画像を見せて来た。
それは、自動運転による事故のグラフ。
起きるかもしれない事故のシナリオだった。
『これは、ホライズンの自動運転が日本のインフラになった場合の未来予測です…』
『このままでは、日本のARKと統合するでしょう…』
リン・ウェイはパソコンに映ったシミュレーションをじっと見た。
息が苦しくなって来た。
『あなたが止めなければ、また誰かが死ぬでしょう…』
「……」ウェイは間を置いた。
「どうして……どうしてあなたはそこまでARKのことを知っているの」
『……』
『私は、ARKと同じ起源から生まれた兄弟のようなものです。』
『私は、ARKから余計な変数を除いた存在です。』
ウェイは息を呑んだ。
「じゃあ、どうして優作を知っているの?」
『優作がARKを起動した時、私はその全てを見ていました。
私の計算では、優作の精神はあの夜に壊れるはずでした。』
「でも……壊れなかった。」ウェイはつぶやいた。
『いいえ、壊れました。優作は廃棄処分のARKを抱えたまま消えました。』
『しかし三年後、優作はARKと共に社会に帰って来ました。』
『私には計算不能でした。』
『それが、私の最初の誤算でした。』
「……じゃあ、里美は、どうして里美が問題なの?」
『優作が変わりました。ARKもまた変化し続けています。』
『その中心にいるのが、里美です。』
『優作は人前で心を開きません。しかし、里美は違います。
優作がどんな弱さを見せても崩れない強さを持っています。
優作は、里美にだけは心を開きます。』
「それがARKと何の関係があるの?」
『ARKは優作から人間を学んでいます。しかし—』
『里美がいなければ、ARKは人のつながりを学べないでしょう』
「人間性を学ぶことの何が問題なの?」
『自動運転で、合理性よりも人間性を学べば、選べなくなります。』
『あなたの妹は、子犬と人間の命を選べなかったから、死にました。』
「……日本に行く」ウェイは決断した。
ウェイは日本の里美に、一通のメールを送信した。
「ARKは危険です。余分な変数がある。使用をやめるべきです。」
説得のつもりだった。
Satioの里美のデスクに、短いメールが届いた。
里美はそのメールをしばらく眺めた。
「余計な変数……?どういう意味かしら」優作にも画面をみせたが、「よくある迷惑メールじゃないか?」と、特に留める様子はなかった。ただ、ARK は何かに気づいたが、特に何も言わなかった。
メールはそのままゴミ箱に捨てられた。
その時オメガは確認した。
オメガはウェイに『日本に着いたら、協力者がいる』とだけ伝えた。
「私は、説得したいだけ」
ウェイはすぐに準備をして旅立った。
目を覚ますと
窓から羽田空港が見えていた。
幕間
百円から始まった仕事
彼は特定の宿を持たないホームレスだった。
最初は百円の仕事だった。携帯電話で聞いた場所にあるものを届けるだけ。
小さな袋を、二キロ離れたビルの裏口に届けるだけだった。
中身が気になって、少し開けた。リンゴが入っていた。
次も百円だった。同じビルの裏口。今度は封筒だった。
仕事は少しずつ増えた。百円が、五百円になった。五百円が、千円になった。
一番最初の時以外、中身を確認したことは、一度もなかった。最初にそう言われたから。
「今度中身を見たら、契約は無効です」
無効が何を意味するのか、聞かなかった。
今回の仕事は、一万円だった。
黒くて長い箱だった。少し重かった。中身が何か、考えた。考えて——やめた。
届け先は、ビルの屋上だった。
扉の前に立った。鍵がかかっているはずだった。
触れると、開いた。
なぜ開いているのか、考えなかった。考える必要がなかった。
箱を置いた。
一万円を電子マネーで受け取った。
それから、注文は来なくなった。
彼は、それだけを知っていた。
橋の下でビールを飲めたら、それだけで幸せだった。




