第四章 第十幕 技術者たち
ホライズンの技術者が来たのは、約束通り一週間後だった。
今度は四人だった。
マイケルは変わらなかった。グレーのスーツ。よく動く目。
でも——今日は、少し違う顔をしていた。
「……紹介させてください」
マイケルの隣に、若い男が立っていた。二十代後半。
背が高い。黒縁の眼鏡。手に、薄いノートPCを持っていた。
「エンジニアリング・リードの、ダニエル・パクです」
ダニエルは頭を下げた。「……よろしくお願いします」日本語だった。
少しぎこちなかったが、誠実な日本語だった。「日本語は、独学です」
「上手ですよ」庄屋が言った。
「……ありがとうございます」ダニエルは少し照れた。
「でも、技術の話は英語の方が正確なので——マイケルが通訳します」
「はい」
残りの二人は、女性だった。一人は前回も来ていた、無言の女性。もう一人は——
庄屋は少し間を置いた。
もう一人の女性は、前の三人と違った。三十代。
スーツが、他の三人より少し高そうだった。
目が、細かった。よく動く目だった。でも——マイケルのそれとは、質が違った。
値踏みではなかった。
測っていた。
「……リン・ウェイです」女性は名刺を出した。「ホライズン、戦略部門です」
庄屋は名刺を受け取った。「……暁商事の庄屋です」
リン・ウェイは庄屋を見た。一秒だけ。
それから優作を見た。「Satioの、片桐さんですね」
「はい」
「お会いできて、光栄です」
「いえ」
リン・ウェイは微笑んだ。きれいな微笑みだった。
でも——庄屋には、その微笑みがどこかに向かっているように見えた。
優作に向かってではなく。
何か別のものに向かって。
――――――
工場に入った。
ダニエルが、足を止めた。
水槽を見た。村上と新田が、今日も言い合っていた。
ダニエルはしばらく、二人を見ていた。
「……あの二人、毎日こうなんですか」庄屋に聞いた。
「はい」
「仲が悪いんですか」
「仲はいいです」
ダニエルは少し間を置いた。「……面白いですね」
ダニエルはノートPCを開いた。新田のモニターを見た。
数字が流れていた。「……このシステム、自作ですか」
「はい」新田が答えた。「フレームワークから、全部」
「なぜですか」
「既存のものが、合わなかった」
ダニエルは少し間を置いた。「……どこが合わなかったんですか」
「魚の動きが、既存のモデルに乗らなかった」新田は静かに言った。
「だから、作りました」
ダニエルはモニターを見た。しばらく、見ていた。
「……これ、見せてもらえますか」
「どこまでですか」
「全部」
新田はダニエルを見た。少し間を置いた。「……マイケルさん」
「はい」
「この人は、信頼できますか」
マイケルは少し笑った。「……私より、優秀です」
新田は少し間を置いた。「……分かりました」
ノートPCを、ダニエルに渡した。
ダニエルはしばらく、画面を見ていた。
何も言わなかった。ただ、目が動いていた。
「……すごい」ダニエルは静かに言った。英語だった。
「何と言いましたか」庄屋がマイケルに聞いた。
「すごい、と言いました」マイケルは答えた。
「彼が人のコードをそう言うのは、珍しいです」
庄屋は新田の顔を見た。
新田は少し間を置いた。「……照れていません」
庄屋が笑った。
――――――
リン・ウェイは、その間、工場を歩いていた。
水槽を見ていた。モニターを見ていた。配管を見ていた。
何かをタブレットに打ち込んでいた。
庄屋は少し気になった。でも、何も言わなかった。
優作は工場の端に立っていた。リン・ウェイを見ていた。
――――――
「……ARK」
優作は、声を出さずに言った。
イヤホン越しに、ARKの声が返ってきた。
『はい』
「リン・ウェイを、調べてくれ」
『……三十秒、ください』
優作は少し間を置いた。「……何が分かった?」
『彼女は、ホライズンテクノロジーの戦略部門です。ただし——』
『……戦略部門への異動は、六ヶ月前です』
「前は」
『技術部門にいました』『……ダニエルと、同じチームです』
優作は少し間を置いた。「……なぜ、戦略に移った」
ARKは少し間を置いた。『分かりません』『……ただし——』
「言ってみろ」
『彼女のタブレットが接続しているネットワークが、
ホライズンの社内ネットワークではありません。』
『別のネットワークです。暗号化されています。私には、読めません』
優作はリン・ウェイを見た。
リン・ウェイは水槽を見ていた。穏やかな顔だった。
タブレットを、静かに操作していた。
優作は何も言わなかった。
――――――
ダニエルが、村上の前に立っていた。
「……村上さんに、聞いていいですか」マイケルが通訳しながら言った。
村上は腕を組んだ。「何だ」
「海と陸上養殖で、一番違うことは何ですか」
村上は少し間を置いた。「……予測できないことだ」
「どういう意味ですか」
「海では、明日何が起きるか分からない。
嵐が来るか、凪になるか、魚が逃げるか——全部、その時になって分かる」
ダニエルはメモを取った。「……陸上養殖では、予測できますか」
「できる」村上は静かに言った。「でも——」「……予測できるから、弱くなる」
ダニエルは少し間を置いた。「……それは、自動運転にも言えますね」
村上はダニエルを見た。「……どういう意味だ」
「完全に予測できた道だけを走る自動運転は、予測できない状況に弱い」
「……だから、ホライズンは——わざと不確定要素を学習させています」
村上はしばらく、ダニエルを見た。「……魚と同じだな」
「はい」
村上は少し間を置いた。「……面白い男だ」
――――――
昼過ぎ。
全員でタエの店に行った。
定食が、並んだ。
ダニエルは一口食べた。「……おいしい」
「よかった」庄屋が言った。
リン・ウェイは、タエの店を見回していた。壁の手書きメニュー。
古いカウンター。「……このお店は、ずっとここにあるんですか」
「はい」庄屋が答えた。
「何年ですか」
「三十年以上だと思います」
リン・ウェイは少し間を置いた。「……すてきですね」
「はい」
「東京で、三十年続く店は——少ないですよね」
「そうですね」
リン・ウェイは味噌汁を飲んだ。
「……こういう場所を見ると、守りたくなりますね」
庄屋は少し間を置いた。「……そうですね」
「片桐さんも、そう思いますか」
優作は少し間を置いた。「はい」
リン・ウェイは微笑んだ。「……良かった」
「……守るためには——強くならないといけませんよね」
庄屋は、箸を止めた。
リン・ウェイは微笑んだまま、定食を食べ続けた。
――――――
帰り際。
マイケルが優作に言った。
「……ダニエルが、新田さんと連絡を取ってもいいですか」
「どうぞ」
「技術的な話を、続けたいそうです」
「はい」
マイケルは少し間を置いた。「……片桐さん」
「はい」
「リン・ウェイについて、何か聞きたいことはありますか」
優作は少し間を置いた。「いいえ」
マイケルは優作を見た。「……そうですか」
「はい」
マイケルは少し笑って、何かを言おうとして——やめた。
「……来週、また来てもいいですか」
「はい」
「ダニエルを、また連れてきます」
「はい」
「リン・ウェイは——」マイケルは少し間を置いた。
「次は来ません」
優作は何も言わなかった。
マイケルは少し間を置いた。「……それだけです」
車が、走り出した。
――――――
拠点に戻った。
全員が、席に着いた。
庄屋がホワイトボードに向かった。
「ダニエル・パク——新田と連絡継続」と書いた。
マーカーを置いた。「……それから」
全員が庄屋を見た。
「リン・ウェイという人間が来ました」
「戦略部門の女性ですね」真壁が言った。
「はい」
「どんな人間でしたか」
庄屋は少し間を置いた。「……感じの良い人でした」
「でも」真壁が続けた。
「でも——」庄屋は少し考えた。「よく分からなかったです」
拠点が、少し静かになった。
「ARK」優作が口を開いた。
『はい』
「リン・ウェイの調査を、続けてくれ」
『はい。ただし——』『時間がかかります』
「なぜだ」
ARKは少し間を置いた。『彼女に関する情報が、途中から——』
『きれいに、なくなっています』
拠点が、静かになった。
「……きれいに」優作が繰り返した。
『はい』『意図的に、消されています』
沈黙。
窓の外に、暁商店街の灯りが見えた。
庄屋はホワイトボードを見た。「リン・ウェイ——要確認」と書いた。
マーカーを置いた。
「……優作さん」庄屋が言った。
「ああ」
「マイケルさんは——」「気づいていると思いますか」
優作は少し間を置いた。「……だから、言った」
「何をですか」
「次は来ない、と」
庄屋は少し間を置いた。ホワイトボードを見た。
「……マイケルさん、本物ですね」
優作は答えなかった。
でも——窓の外を見たまま、静かに頷いた。
暁商店街の灯りが、春の夜に滲んでいた。




