第四章 第六幕 ホライズン
来たのは、二人だった。
一人は四十代の男だった。グレーのスーツ。短く刈り込んだ髪。
目が、細かった。よく動く目だった。全てを値踏みするような目だった。
「……マイケル・チェンです」流暢な日本語だった。
「ホライズンテクノロジー、アジア統括です」
もう一人は三十代の女性だった。タブレットを持っていた。無言だった。
庄屋が名刺を出した。「暁商事の庄屋です」
「Satioの片桐です」優作が続けた。
マイケルは優作を見た。「……副社長が、わざわざ」
「はい」
「光栄です」
「いえ」
マイケルは工場を見た。「……思ったより、小さいですね」
「はい」
「でも——」「……来てよかった」
「まだ、何も見せていません」
「あなたたちが、ここを指定した理由が気になりました」
優作は少し間を置いた。「中を、見てください」
――――――
中に入った。
マイケルの足が、止まった。
水槽が、並んでいた。でも——二週間前とは、空気が違う。
村上が、奥の水槽の前に立っていた。腕を組んでいる。
新田が、隣でモニターを見ている。二人は何かを話していた。
言い合っていた。
でも——水槽の中のタイが、二週間前より明らかに速く泳いでいた。
マイケルは少し間を置いた。「……あの二人は」
「村上雄二です」庄屋が答えた。
「長崎で陸上養殖をやっています。」
「もう一人は」
「新田涼です。フードテック出身です。このシステムを設計しました」
マイケルは二人を見た。「……正反対ですね」
「はい」
「なぜ、一緒にいるんですか」
庄屋は少し間を置いた。「ぶつかった方がいい、という話になりまして」
「誰の判断ですか」庄屋は優作を見た。マイケルも優作を見た。
優作は水槽を見ていた。
――――――
村上が、こちらに気づいて歩いてきた。マイケルを見た。
上から下まで、ゆっくり見た。「……外国人か」
「はい」庄屋が答えた。
「アメリカから来ました」
「遠いな」
「長崎より遠いですよ」庄屋が言った。
「それぐらいわかる」村上が言った。
マイケルは村上に手を差し出した。「マイケル・チェンです」
村上は少し間を置いた。握手した。「村上だ」
「村上さんは、ここで何をしているんですか」
「魚を育てている」
「どのくらいですか」
「二週間だ」
「二週間で——」マイケルは水槽を見た。「……この変化は」
村上は静かに言った。「腹を減らせば、魚は強くなる」
マイケルは少し間を置いた。「……データはありますか」
新田が前に出た。「あります」タブレットを出した。
「二週間前と今の、給餌反応速度の比較です。
平均〇・三メートルから〇・七メートルに上がっています」
「何が変わりましたか」
「給餌量と、水質の微生物バランスです」
「微生物バランス」「村上さんの経験をデータにしました。
海水の成分を分析して、近い環境を再現しています」
マイケルはタブレットを見た。
しばらく、見ていた。「……二週間で、ここまで変わるんですか」
「はい」
「なぜ今まで、誰もやらなかったんですか」
新田は少し間を置いた。「……漁協に断られました。
水産商社にも断られました。データで魚は育てられない、と言われました」
マイケルは新田を見た。「……私たちも、同じです」
「ホライズンが、ですか」
「自動運転は危険だと言われました。
法整備が追いついていないと言われました。保険会社に断られました」
「……できない理由は、いくらでも出てきます」
新田は少し間を置いた。「……だから、自分でやったんですか」
「そうです」
二人は少し、笑った。
――――――
マイケルは優作を見た。「……片桐さん」
「はい」
「なぜ、私たちを呼んだんですか」
優作は少し間を置いた。「ホライズンの高速道路での実績を、保険設計に使いたい」
「それだけですか」
「それだけじゃない」
「何ですか」
優作は水槽を見た。村上と新田が、また言い合いを始めていた。
新田がデータを見せる。村上が鼻を鳴らす。新田がまた別のデータを出す。
村上が渋々頷く。
「……あなたたちの技術を、日本に根付かせたい」優作は静かに言った。
「根付かせる、というのは」
「ホライズンが日本から撤退しても、残るものを作りたい」
マイケルは少し間を置いた。「……それは、私たちにとって損になりませんか」
「損にならない構造を、一緒に作りたい」
「どういう意味ですか」
「ホライズンが日本に深く入れば入るほど、撤退した時の損失が大きくなる」
「……だから、撤退しない」
マイケルは優作を見た。長い間、見た。「……面白いことを言いますね」
「そうでしょうか?」
「普通は、外資に対してそういう言い方はしません」
「普通じゃないかもしれません」
マイケルは少し笑った。それから、また水槽を見た。「……面白い組織ですね」
「そうですか」
「社長が魚の話をして、元漁師と若いエンジニアが喧嘩している」
「……どこにも、ないですよ。こういう場所は」
庄屋は少し間を置いた。「……褒めてくれているんですか」
「はい」
「ありがとうございます」
「でも——」マイケルは優作を見た。
「この組織の中心が、どこにあるのか——まだ分かりません」
優作は何も言わなかった。
マイケルは少し笑った。「……それが、一番面白い」
――――――
帰り際。マイケルは工場の入口で振り返った。「……片桐さん」
「はい」
「来週、もう一度来てもいいですか」
「どうぞ」
「今度は、うちの技術者を連れてきます」
「はい」
「彼らも——」マイケルは村上と新田を見た。「あの二人に、会わせたい」
庄屋が小声で優作に言った。「……ホライズン、本気っすね」優作も小声で返した。
「ああ」
「どうして分かるんっすか」
「技術者を連れてくると言った」
「それが、本気の証拠ですか」
「偉い人間だけで来るのは、値踏みだ。技術者を連れてくるのは——」
「……本気で、やりたい時だ」
マイケルが振り返った。「……片桐さん、もう一つだけ」
「はい」
「暁商店街——今から、案内してもらえますか」
優作は少し間を置いた。「ああ」
春の夕暮れが、工業団地の上に広がっていた。




