第四章 第三幕 新田涼
東京郊外。工業団地の一角に、古い工場があった。
シャッターが半分開いていた。中から、水の音が聞こえる。
庄屋が言った。「……ここですか」
「ああ」
「工場ですね」
「元はそうだ」
「なんの工場だったんですか」
「ARK」
『はい』『プレス工場です。三年前に廃業しました』
優作は黙って歩いた
――――――
中に入った。
暗かった。でも——目が慣れてくると、見えてきた。
水槽が、並んでいる。大小様々な水槽が、工場の床を埋め尽くすように並んでいる。配管が、天井を走っている。モニターが、壁に並んでいた。数字が、流れていた。
「……来てくれましたね」
声がした。
奥から、男が歩いてきた。三十代前半。細い体。目の下に、濃い隈があった。白衣を着ていた。でも——その白衣に、水の染みがいくつもついていた。
「暁商事の庄屋です」「Satioの片桐です」
男は二人を見た。「……新田涼です」「……狭いですが、どうぞ」
冷蔵庫からお茶が出てきた。ペットボトルだった。
新田は庄屋を見た。「……暁商事から連絡が来た時、正直驚きました」
「うちのことを、よく知っていると思って」
「AIで調べました」庄屋は静かに言った。「新田さんのシステムは、理論上は完璧です」
新田は少し間を置いた。「……でも、まだ結果が出てないです。」
「そうですね」
庄屋は優作を見た。優作はモニターを見ていた。「……数字が、魚に追いついていないんだと思います」
新田は優作を見た。「……どういう意味ですか」
「魚は、数字通りには育たない」
「それは、知っています」新田の声が、わずかに変わった。
「だから、データを増やしています。水温、塩分濃度、給餌量、照明——全部、最適化しています」「でも、育たない」「……育たない」
沈黙。
水槽の水が、静かに揺れていた。
――――――
「一つ、見せてもらえますか」優作が口を開いた。
「どうぞ」
「一番、うまくいっていない水槽を」
新田は少し間を置いた。立ち上がった。奥の水槽に向かった。
二人がついていった。
水槽の中に、タイが泳いでいた。十数匹。動きが、鈍かった。
優作は水槽を見た。しばらく、見ていた。「……餌を、やってみてください」
新田は少し間を置いた。壁のパネルを操作した。自動給餌装置が動いた。餌が、水面に落ちた。
タイは、ゆっくり近づいた。食べた。でも——勢いがなかった。
優作は少し間を置いた。「……ARK」
『はい』
「長崎の村上さんのデータと、比較してくれ。同じ時期のタイの給餌反応を」
ARKは少し間を置いた。『はい』『……村上さんのタイは、給餌時に平均時速〇・八メートルで反応しています。新田さんのタイは、〇・三メートルです』
新田は画面を見た。「……同じ水温で、同じ塩分濃度です。なぜ」
優作は水槽を見たまま言った。「村上さんに、聞いてみてください」
新田は優作を見た。「……村上さんというのは」
「長崎の陸上養殖業者です。元は海で育てていた」
「海の人間が、陸上養殖を」
「はい」
「なぜ」
優作は少し間を置いた。「難しいから、やりたい——そう言う人間です」
新田は少し間を置いた。「……会えますか」
「会わせます」
「なぜ、そこまでしてくれるんですか」
庄屋が口を開いた。「新田さんのシステムと、村上さんの経験が合わさったら——どうなると思いますか」
新田は少し間を置いた。水槽を見た。タイが、ゆっくり泳いでいた。「……分かりません」
「俺たちも、分かりません」
庄屋は続けた。「でも——」「……試す価値がある」
新田は庄屋を見た。長い間、見た。「……資金が、あと半年で底をつきます」
「……漁協に断られました」新田は静かに言った。「水産商社にも断られました。大手食品メーカーにも、三社断られました」「……データで魚は育てられない、と全員に言われました」
庄屋は何も言わなかった。
「……俺は、間違っていましたか」
庄屋は少し間を置いた。「間違っていません」
「でも、結果が出ていない」
「まだ、出ていないだけです」
庄屋は少し間を置いた。「新田さん、あなたのシステムは、本物です」
新田は俯いた。しばらく、動かなかった。
新田は顔を上げた。目が、わずかに赤くなっていた。「……泣いてません」
庄屋は少し笑った。「知っています」
――――――
帰り道。軽バンで、工業団地を出た。
「……優作さん」庄屋が言った。
「なんだ」
「新田さん、村上さんと合いますかね」
「さあ」
「また、さあですか」
「会わせてみなければ、分からない」
庄屋は少し間を置いた。「……正反対ですよね。村上さんは経験と勘。新田さんはデータと効率」
「ああ」
「ぶつかりますよ、絶対」
「そうだな」
「止めなくていいんですか」
優作は少し間を置いた。「ぶつかった方がいい」
「なぜですか」
「二人とも、自分に足りないものを知らない。ぶつかって、初めて分かる」
庄屋は前を向いたまま、少し間を置いた。「……ARKには、設計できないやつっすね」「ああ」
ARKは少し間を置いた。『否定できません』
庄屋は少し笑った。
東京の夕暮れが、工業団地の上に広がっていた。
本編とは全く関係ないですが、短編を書いたので、よければそちらも読んでください。読了3分程度の作品です。




