第三章 第五幕 菅原文太と直人
ARKが出した名前は、一つだった。
『菅原文太。元・菅原運輸代表取締役。三年前、GLの下請け契約により経営破綻。現在、埼玉県内の倉庫で警備員として勤務』
庄屋が画面を見た。「……警備員」
「ああ」
「社長が、警備員に」
「GLがやったことだ」優作は静かに言った。「会いに行く」
――――――
埼玉県。郊外の倉庫街。
夕方の風が、冷たかった。
警備員の詰め所の前に、男が立っていた。六十代。がっしりした体格。でも——目が、疲れていた。長い間、疲れていた目だった。
「菅原さんですか」「……そうだが」「片桐と申します。少しお時間をいただけますか」
菅原は優作を見た。上から下まで、ゆっくり見た。「……何の用だ」「運送会社の話です」「帰れ」
「菅原運輸の話です」
菅原の目が、わずかに動いた。「……終わった話だ」「終わっていません」「俺の中では終わってる」
菅原は詰め所の中に入ろうとした。
「従業員の方々、今どうしていますか」
菅原の足が、止まった。
振り返らなかった。「……関係ない」「あなたが一番、気にしていることじゃないですか」
長い沈黙。
風が、倉庫街を吹き抜けた。
「……帰ってくれ」
今度は、静かな声だった。疲れた声だった。「俺にはもう——何もない」
――――――
その夜。
優作がレンタカーに戻ると、助手席に人間が座っていた。
「……誰だ」
「菅原直人です」
二十代後半。父親と同じがっしりした体格。でも目が、父親と違った。疲れていなかった。燃えていた。
「父から聞きました。あなたが来たと」
「……どうやって入った」
「鍵が開いてました」
「……そうか」
直人は優作を見た。「運送会社を、作るつもりですか」
「そのつもりです」
「父を、社長にしたいと聞きました。」
「はい」
「父は断りました」
「そうですね」
直人は少し間を置いた。「俺に、……やらせてください。」
優作は直人を見た。「……理由を聞かせてくれますか」
「父の会社が潰れた時、俺は高校生でした」
直人は窓の外を見た。倉庫街の灯りが、点々と並んでいる。
「従業員の人たちが、一人ずつ去っていくのを見ました。父が、一人ひとりに頭を下げていた」「……あの背中が——忘れられない」
優作は何も言わなかった。
「父は、真面目にやっていたんです。GLに騙されただけです。」
「なのに——」直人の声が、わずかに震えた。「なのに、……なぜ警備員をやっているのか」
「……」
「俺に任せてください。父にバックアップしてもらいます」
「……お父さんは、首を縦に振りますか」
「俺が説得します」
「どうやって」
直人は少し間を置いた。「父が頭を下げた従業員を——もう一度、集めます」
優作は直人を見た。「……全員ですか」
「全員です。GLのせいで散り散りになった人たちを、もう一度集める。それを父に見せます」
「本当に集められますか」
「分かりません」「……でも——やります。」
優作は少し間を置いた。「……一つだけ聞いていいですか」
「なんですか」
「お父さんに、もう一度トラックを運転させてあげたいですか」
直人は答えなかった。
しばらく、窓の外を見ていた。
小さく言った。「それだけが——したいんです」
優作は頷いた。「分かりました。一緒にやりましょう」
直人は優作を見た。「……本当にできますか」
「できます」
「なぜ言い切れるんですか」
優作は少し間を置いた。「……あなたのお父さんが、従業員に頭を下げ続けたからです」
直人は優作を見た。「……どういう意味ですか」
「……そういう人間の周りには、また人が集まります」
直人は俯いた。しばらく、動かなかった。
それから、顔を上げた。「……よろしくお願いします」深く、頭を下げた。
優作も、頭を下げた。
――――――
三日後。
直人から、優作に電話が来た。
「……集まりました」
「何人ですか」
「十七人です。全員じゃないですが——」「……主要なメンバーは、全員です」
優作は少し間を置いた。「お父さんに、見せましたか」
「これから見せます」「……そうですか」
「片桐さん」
「はい」
「父が、会いたいと言っています」
――――――
翌日。菅原文太は、詰め所の前に立っていた。
昨日と同じ場所。でも——目が、少し違った。
「……息子から聞いた」
「はい」
「十七人、集めたと」
「直人さんが集めました」
文太は少し間を置いた。「俺には——もう無理だと思っていた」
「はい」
「三年間、そう思っていた」
「はい」
文太は優作を見た。「……息子が、社長をやると言っている」
「はい」
「俺に、バックアップしろと」
「はい」
文太は腕を組んだ。長い間、黙っていた。
「……一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「GLには、勝てるのか」
優作は少し間を置いた。「今は、勝っています」
文太は優作を見た。「……どういう意味だ」
「GLの物流網から、報奨金を流出させました。黒川は逮捕されました。GLという組織では——もう、あなたの会社を潰した時の構造が機能しません」
文太は少し間を置いた。
沈黙。風が、倉庫街を吹き抜けた。
文太は空を見上げた。長い間、見上げた。
「……直人」
息子が、一歩前に出た。「親父」
「お前が、社長をやれ」
「はい」
「俺は——」文太は少し間を置いた。「トラックに乗る」
直人は父を見た。「……トラックに?」
「ドライバーとして、走る」「……社長室より、トラックの方が性に合っとる」
直人は少し間を置いた。それから、笑った。「……知ってた」
文太は「ふん」と鼻を鳴らした。
優作は二人を見た。何も言わなかった。
ただ——文太の目が、三年ぶりに、生きていた。
――――――
翌週。暁運送、設立。
社長:菅原直人。
顧問:菅原文太。
そして文太の肩書きには、もう一つあった。
「チーフドライバー」




