第三章 第二幕 断られる男
庄屋が、地図を広げた。
「ARKに出してもらいました。後継者問題を抱えている農家、全国で二万三千件。そのうち、耕作放棄地に隣接しているのが——」
「八千件だ」優作が続けた。
「……読んでたんですか」
「ARKから聞いた」
庄屋は地図を見た。赤い点が、日本中に散らばっている。「……どこから行きますか」
「近いところからだ」
真壁が口を開いた。「法的な枠組みは、できています。農地の持ち分を証書化する——農業生産法人の応用です。ただ——」「……農家の方々が、納得してくれるかどうかは別の話です」
「そうだな」
「優作さんが、直接行く必要があります」
「知ってる」
優作はコートを取った。「行ってくる」
里美が「一人でですか」と言った。「ああ」「誰か連れて行ってください」「いらない」
里美は少し間を置いた。「……気をつけてください」
優作は頷いた。
――――――
最初の農家。長野県。
山の中腹に、古い農家があった。
田んぼが、斜面に沿って広がっている。手入れはされている。でも——その先に、草が伸びた耕作放棄地が続いていた。
優作はインターホンを押した。
しばらく、間があった。
「……誰だ」
老人の声だった。
「暁商事の片桐と申します。農業のことで、お話を聞いていただけますか」
「農協か」「違います」「役所か」「違います」
長い沈黙。「……帰れ」
ドアは、開かなかった。
――――――
二軒目。新潟県。
農家の主は、五十代の男だった。話は聞いてくれた。お茶も出てきた。
優作は証書の仕組みを説明した。農地の広さを持ち分として記録する。区切りを外して大規模農業にする。収益は持ち分に応じて分配される。土地は手放さない。
男は黙って聞いていた。最後まで聞いた。
それから、静かに言った。「……この土地は、先祖代々のものだ」
「はい」「証書にしたら、土地じゃなくなる」「土地は、あなたのままです」「気持ちの話をしてる」
優作は少し間を置いた。「……そうですね」
「帰ってくれ」
男は立ち上がった。「悪いが——うちには関係ない話だ」
――――――
三軒目。山形県。
農家の老夫婦は、優作の話を笑顔で聞いてくれた。お茶だけでなく、漬物まで出てきた。
「面白い話だねえ」妻が言った。「あなた、どう思う?」
夫は少し考えた。「悪くないかもしれんな」
優作は少し前のめりになった。
「でもな」夫は続けた。「息子が反対するだろう」
「息子さんは——」「都会にいる。盆と正月しか帰ってこない。でも、この土地を誰にも渡すなと言っとる」
妻が小声で言った。「帰ってもこないくせにねえ」「こら」
夫は優作を見た。「息子を説得できるか?」
優作は少し間を置いた。「……会わせてもらえますか」「今は都会にいる」「行きます」
夫婦は顔を見合わせた。「……本気か」「本気です」
夫は少し間を置いた。「……息子が納得したら、考える」
――――――
四軒目。茨城県。
農家の主は、四十代の女性だった。夫を三年前に亡くして、一人で耕している。
話を聞きながら、女性は腕を組んでいた。「……近所の目が怖い」
「うちだけ参加したら、何を言われるか分からない。ここは、そういう土地柄で」
「近所の方々も、同じ問題を抱えていませんか」「抱えてる。でも——みんな、誰かが先に動くのを待ってる」
優作は少し間を置いた。「……誰かが最初にならなければいけない」
「そう」女性は優作を見た。「あなたは、最初になれと言う。でも——最初になった人間が、どうなるか」
沈黙。「……考えさせてください」それだけ言った。
――――――
五軒目。岩手県。
農家の老人は、縁側に座ったまま、優作の顔を見た。話も聞かなかった。
「もう、誰の話も聞かんことにした」それだけ言った。「時代の波には、もう振り回されたくない」
老人は家の中に入った。障子が、静かに閉まった。
――――――
夜。優作は一人で、レンタカーの中にいた。
窓の外に、田んぼが広がっている。暗くて、見えない。でも、そこにある。
「……ARK」『はい』「五軒。全部、断られた」『はい』
「予想していたか」『はい。ただし——』『……全員が、話を聞きました』
優作は少し間を置いた。「……帰れと言った人間も?」
『はい。帰れと言いながら、最後まであなたの顔を見ていました』
優作は窓の外を見た。「……どういう意味だ」『分かりません』一拍。『ただ——誰も、最初から話を聞く気がなかったわけではないと思います』
優作は少し間を置いた。「……もう一度、行くか」『はい』『……ただし——』
「知ってる」優作は静かに言った。「全員に、もう一度会いに行く」
エンジンをかけた。
暗い田んぼの道を、ヘッドライトが照らした。どこまでも続く、田んぼの道だった。




