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不器用な善意は、世界を再構築するAIに選ばれた 秘密結社ARK 世界征服の物語  作者: My little world
第ニ章 暁商店街

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第三章 序章 河原の夜

第一幕 Z1

昭和の終わり頃。

夜の国道。

エンジン音が、闇を切り裂いた。

一台のバイクが、速度を上げていく。

カワサキZ1。空冷四気筒、九百三cc。

乗り手を選ぶバイクだ。

黒川賢治。

どこへ行くか、なぜ走るか、

何も考えていない。

ただ、走っていた。

明日死んでも、構わないと思っていた。

――――――

信号が赤になっても止まらない。

交差点を抜ける。

対向車がクラクションを鳴らした。

聞こえている、だがどうでもいい。

――――――

後ろに、数十台が続く。

全員が、黒川の背中を見て走る。

黒川は、誰の背中も見ない。

ただ、前だけを見ている。

それで十分だった。

――――――

河川敷の駐車場に、バイクが並んだ。

エンジンが次々と落ちていく。

黒川はZ1を降りて、川を見た。

夜の川が、黒く流れている。

「総長、今夜も速かったっすね」

誰かが言った。

黒川は答えなかった。

川をただ見ていた。

川は何も言わない。

それが、心地よかった。

第二幕 桐島との出会い

その週の終わり。

黒川のアパートに、見慣れない車が止まった。

黒いセダン。

男が降りてきた。スーツ。年は四十前後。

「黒川賢治さんですね」

「そうだが」

「霧島がお呼びです」

黒川は少し間を置いた。「断る」

「……そう仰ると思っていました」

男は封筒を取り出した。「これだけ、受け取っていただけますか」

黒川は受け取らなかった。「要らない」

男は封筒を引っ込めた。「では、言葉だけお伝えします」

「『飯だけ食え。それだけだ』と」

――――――

黒川は三度、断った。

四度目に、男がまた来た。今度は封筒も持っていなかった。

「霧島が、直接お話ししたいと申しております」

「断ると言った」

「はい。三度、伺いました」

男は少し間を置いた。「黒川さん」

「なんだ」

「霧島は、あなたに組に入れとは言っていません。ただ——」

「顔を見たい、と言っています」

黒川はしばらく、男を見た。「……一回だけだ」

それが、間違いの始まりだった。

――――――

霧島の屋敷は、山の手にあった。古い日本家屋。手入れの行き届いた庭。

通された部屋に、男が座っていた。50代、和服。太い指に、金の指輪。

黒川を見て、男は笑った。「やっと来たか」

「一回だけだと言った」

「分かっとる」

霧島は黒川を見た。上から下まで、ゆっくりと見た。

「……お前、頭がいいな」

「何の事だ」

「喧嘩が強いだけの男は、もっと目が濁っとる。お前の目は、違う」

黒川は答えなかった。

「計算しとる目だ。しかも——」霧島は少し間を置いた。「義理を知っとる」

「どこでそれが分かる」

「お前が人を助けたのを聞いた」

黒川は少し間を置いた。「……聞いた?」

「知らない子供だろ」

「……ああ」

「なのに、動いた」

黒川は答えなかった。

「損得で動く人間は、知らない人間には手を出さん」

霧島は湯呑みを置いた。「お前は、損得より先に体が動く。

そういう人間は、めったにおらん」

沈黙。黒川は庭を見た。

「……組には入らない」

「分かっとる」

「金もいらない」

「分かっとる」

「なぜ呼んだ」

霧島は少し間を置いた。「顔が見たかった。それだけだ」

黒川はしばらく、霧島を見た。

「……飯だけ食って帰る」

「ああ」

霧島は、満足そうに頷いた。それが、始まりだった。

――――――

それから、黒川は月に一度、霧島の屋敷に呼ばれた。

飯を食った。霧島は多くは語らなかった。黒川も多くを語らなかった。ただ、飯を食った。

霧島は何も求めなかった。黒川も何も求めなかった。ただ、そこに、人がいた。

黒川には、それが初めてだった。明日死んでもいいと思っていた男が、月に一度、飯を食う場所を持った。それが、黒川にとっては——初めて、人の温かさに触れた場所だった。

第三幕 河原の押し問答

夜。

川沿いの道を歩いていると、声が聞こえた。

「お嬢、親父がご心配されています。そろそろお戻りを」

男の声だった。丁寧だが、困り果てている。

「もう少しだけ。まだいいでしょう?」

女の声だった。

黒川は立ち止まった。

暗がりの中、男が二人、女が一人いた。

男たちは、スーツを着ていた。年は三十前後。

女は、二十歳くらいだった。

長い黒髪。腕を掴まれている。

「もう少しと言っても、もう随分経ちます。親父に怒られるのは私どもで——」

「あと五分だけ」

「お嬢……」

男が、困り果てた顔で女の腕を引いた。

「いたっ」

黒川の足が、動いた。

考えていなかった。

ただ、動いた。

――――――

「離せ」

低い声だった。

男たちが振り返った。

「……なんだお前」

「離せと言った」

「関係ないだろ。俺達はお嬢を——」

「離せ」

同じ言葉を、三度言った。

男の一人が、黒川に近づいた。

「兄ちゃん、引っ込んでろや。俺たちの仕事の——」

黒川の手が動いた。

一秒だった。

男が地面に転がっていた。

もう一人が飛んでくる。

また一秒。

また転がった。

――――――

黒川は、女を見た。

「大丈夫か」

女は、黒川を見た。

怖がっていなかった。

驚いてはいた。でも、怖がっていなかった。

「……ありがとうございます」

地面の男たちが、起き上がってきた。

一人が、黒川を見た。

「……あんた…黒川さんですか?親父の客分の」

「……」

男は少し間を置いた。それから、深く頭を下げた。

「……失礼しました」

もう一人も、頭を下げた。「お嬢、お願いします。親父がご心配されています」

女は、黒川を見た。それから、男たちを見た。

「……分かりました。帰ります」

女は黒川に向かって、頭を下げた。「ありがとうございました」

「別に」

女は少し歩いて、振り返った。

「名前を、聞いてもいいですか」

「……黒川だ」

「黒川さん」

女は、少し笑った。

「私は、霧島華恋と申します」

霧島、という名前に、黒川は一瞬だけ反応した。

自分を呼び出した親分と同じ名前だった。

「……そうか」それだけ言った。

華恋は、また笑った。

「川、好きですか」

「……別に」

「私は好きです。また会えるといいですね」

それだけ言って、男たちと歩いていった。

――――――

黒川は、その背中を見ていた。

川が、流れている。

なんとなく助けた。

それだけだった。

なのに——

なぜか、足が動かなかった。

第四幕 川の前で

翌週。

黒川は川に来た。

来るつもりはなかった。

でも来ていた。

誰もいなかった。川が流れているだけだった。

黒川はZ1に跨ったまま、しばらくいた。それから、帰った。

――――――

翌々週。

また来た。また、誰もいなかった。また、帰った。

――――――

三週目。

川に、人影があった。長い黒髪。

黒川は、Z1を止めた。

華恋が振り返った。「……また会えましたね」

「……たまたまだ」

「そうですか」

華恋は川を見た。黒川も川を見た。

しばらく、二人で黙って川を見ていた。

「Z1ですね」華恋が言った。

「……バイクが分かるのか」

「少し。兄が好きだったので」

「兄は」

「三年前に、亡くなりました」

「父の見つけた男が、兄と同じバイクに乗っていると言っていました。」

「あなたのことだったんですね」

黒川は何も言わなかった。

「兄はZ1が、一番好きだって言ってました。かっこいいから、って」

「……そうだ」

華恋は笑った。

黒川は川を見た。

「黒川さんは、これからどうするんですか」

「……考えてない」

「何も?」「何も」

「怖くないんですか。先のことを考えないのが」

「怖くない」「なぜ」

黒川は少し間を置いた。「……明日死んでも、構わないから」

華恋は、黒川を見た。黒川は川を見たままだった。

「……そんなこと、言っちゃダメですよ」

声が、少し変わっていた。

黒川は華恋を見た。華恋は川を見ていた。

「黒川さんに、死なれたら——」


「……私が、困ります」

黒川は何も言えなかった。

生まれて初めて、自分の死を「困る」と言った人間がいた。

川が、流れている。

黒川は川を見た。長い間、見た。

「……そうか」

それだけ言った。それだけで、十分だった。

第五幕 恋人

それから、半年が経った。

黒川は、週に一度、川に来るようになった。

華恋も、来た。

二人は川の前で話した。たくさんは話さなかった。でも、来た。

それで、十分だった。

――――――

いつから恋人になったのか、黒川には分からなかった。

気がついたら、そうなっていた。

華恋が隣にいることが、当たり前になっていた。

華恋の笑い方を、覚えていた。

華恋の声を、覚えていた。

川の前で並んで、黙っている時間が、好きだった。

――――――

だが——

黒川は、常に意識していた。

霧島の娘と、自分の間にある「差」を。

夜の国道を走るだけの男と、親分の一人娘。

どこをどう見ても、釣り合わなかった。

――――――

ある夜。川の前で、黒川は久しぶりに空を見上げた。

星が出ていた。

「賢治さん」「なんだ」

「今のままの賢治さんが、好きです」

黒川は空を見たままだった。

「今のままで、いい」

黒川は少し間を置いた。「……俺は」

「何?」

「今のままじゃ、ダメだ」

華恋は黙っていた。

「……ダメだ」黒川はそれだけ言った。

その夜は、それ以上何も言わなかった。

――――――

季節が変わった。

二人は恋人だった。

それでも黒川の中で、何かがずっと、引っかかっていた。

このままでは、ダメだ。

この女には、釣り合わない。

その思いが、日に日に大きくなっていた。

第六幕 不器用な別れ

ある夜。黒川は川に来た。華恋が来た。いつもと同じ夜のはずだった。

「賢治さん」「……ああ」

「どうしたの。今日は顔色が」

黒川は川を見た。長い間、見た。

「……俺は、お前には釣り合わない」

華恋は黙っていた。

「霧島の娘と、夜の国道を走るだけの男じゃ、どこをどう見ても——」

「賢治さん」

華恋の声が、遮った。「それは、私が決めることです」

「……俺が決める」「なぜですか」

黒川は答えなかった。

「なんでよ」

声が、初めて強くなった。

「なんで、そんなこと、勝手に決めるんですか」

黒川は答えなかった。

「私の人生でしょう」

「……お前を、不幸にしたくない」

沈黙。川が、流れている。

「不幸かどうかは、私が決める」

華恋は黒川を見た。黒川は川を見たままだった。

「……それでも、俺が決める」


「……賢治さん」「……なんだ」

「また、来てくれますか」

黒川は少し間を置いた。

何も言えなかった。

華恋は、それを見た。

「……分かりました」

静かな声だった。泣いていなかった。それが、一番辛かった。


――――――

その夜が、最後だった。

黒川は、連絡先も告げずに消えた。

どこに行くかも、言わなかった。

ただ、消えた。

――――――

部屋に帰った黒川は、ノートを開いた。

真っ白なノートだった。ペンを取った。一行だけ書いた。

「華恋さんにふさわしい人間になる。それまでは、会わない」

それから——

ノートの次のページに、数学の問題を解き始めた。

明日死んでもいいと思っていた男が、その夜初めて、明日のことを考えた。

――――――

華恋は、黒川が消えた後に、妊娠が分かった。

知らせたくても、黒川がどこにいるかも分からなかった。

連絡先を、聞いていなかった。黒川が、教えなかった。

華恋は一人で、子供を産んだ。

賢治という名前は、華恋がつけた。黒川賢治と、同じ名前だった。

——華恋は、賢治を産んだその日に、亡くなった。

出血が止まらなかった。

「……賢治さん」華恋は一言だけつぶやいた。


霧島は、黒川から孫を守るために、親戚筋の苗字「庄屋」を名乗らせた。こうして、庄屋賢治という名前になった。

庄屋は、母親の顔を知らない。

霧島の屋敷で、すくすくと育っていた。

親分の娘の、たった一人の忘れ形見として。

――――――

霧島は、庄屋が大きくなるにつれて、思うようになった。

この子には、自分のルーツを知る権利がある。

いつか、教えてやらなければならない。

華恋が残した日記を、霧島はずっと、大切に持っていた。

第七幕 三年後の春

別れた夜から、三年が経った。

黒川賢治は、ギガ・リンクの内定を手にしていた。

誰も信じなかった。黒川自身も、最後まで信じられなかった。

内定通知書を手にした夜、黒川は川の前に立った。

三年前と同じ場所。夜の川が、黒く流れている。

「……行ける」

小さく呟いた。

新しいスーツを着ていた。自分で買った、初めてのスーツだった。

これでようやく、華恋の隣に立てる。そう思っていた。

――――――

翌日。黒川は、霧島の屋敷に向かった。三年ぶりだった。

門の前に立った。インターホンを押した。

「……黒川賢治です。華恋さんに、会いたい」

しばらく、間があった。長い間だった。

やがて、門が開いた。

――――――

通された部屋で、黒川は待った。

縁側が見える。庭が見える。川が見える。

足音が聞こえてきた。障子が開いた。

現れたのは、霧島だった。

華恋ではなかった。

――――――

霧島は、黒川を見た。スーツを見た。長い間、何も言わなかった。

「……華恋は」黒川が言いかけた。

「死んだ」

部屋が、静止した。

「三年前だ」

黒川は、立っていた。

「……お前が消えてから、ずっと待っとった」

黒川は何も言えなかった。

「ずっと、待っとったぞ」霧島の声が、わずかに震えた。「毎日、門の方を見とった」

――――――

黒川の中で、何かが音を立てた。

音は聞こえなかった。でも、何かが、崩れた。

「……お前のせいだ」霧島が言った。「お前が消えたから——」

「出て行け」霧島の声が、割れた。「出て行け!」

黒川は動かなかった。動けなかった。

「……出て行け」今度は、静かな声だった。それが、一番重かった。

第八幕 河原

屋敷の外に出た。門が、背後で閉まった。

黒川は歩いた。どこへ行くか、分からなかった。

――――――

背後から、足音が来た。複数。腕を掴まれた。「来い」

抵抗しなかった。される前から、分かっていた。

――――――

河原だった。

夜の川が、黒く流れている。

華恋と並んで見た川だった。

男たちは、四人だった。

最初の拳が来た。黒川は倒れなかった。

――――――

殴られるたびに、華恋の声が聞こえた。

「今のままの黒川さんが、好きです」

蹴られるたびに、その声が聞こえた。

黒川は何も言わなかった。声を出さなかった。

戦う気がなかった。ただ、受けていた。

――――――

男の一人が、黒川の前に来た。

若い男だった。目が、空虚だった。

「……お前と華恋お嬢さんじゃ、釣り合わねえんだよ」

黒川は、その男を見た。

「分かってたんだろ、最初から」

川が、流れている。

「スーツなんか着ても、お前はお前だ」

黒川は川を見た。

「なんでお嬢は、お前みたいな男のことを——」

男が、黒川の顔に唾を吐いた。

――――――

黒川の手が、わずかに動いた。

殴り返すはずだった。

——その瞬間、止まった。


音はなかった。痛みもなかった。

ただ——何かが、静かに、完全に、閉じた。

乞うことをやめる。

求めることをやめる。

人間に、何かを期待することをやめる。

それだけだった。

――――――

男たちが去った。

黒川は、河原に一人だった。

立ち上がった。川を見た。

夜の川が、黒く流れている。

華恋がここで言った。

「黒川さんに、死なれたら——私が、困ります」

その言葉が、三年間、黒川を生かしていた。

今は——

もう、誰も困らない。

黒川は川を見た。長い間、見た。

それから、歩き出した。

スーツが、泥だらけだった。

振り返らなかった。

終章 三十年後

夜明け前の東京。

捜査員が、黒川の腕を取った。

黒川は抵抗しなかった。

エレベーターに乗った。地上まで。

ドアが開いた。外へ出た。

夜明け前の東京に、立った。

風が吹いた。

黒川は、空を見上げた。

初めて、空を見上げた。

――――――

河原で起き上がったあの夜から、三十年が経っていた。

三十年間、空を見上げなかった。

前だけを見て、歩いてきた。

感情を閉じて。人を信じずに。乞わずに。求めずに。

それで、ここまで来た。

――――――

空が、少しずつ明るくなっていた。

夜明けが、始まろうとしていた。

黒川は、空を見たまま、目を閉じた。

瞼の裏に、川が見えた。

夜の川の前に、二人で立っていた。

「今のままの黒川さんが、好きです」

その声が、三十年ぶりに、聞こえた気がした。

――――――

捜査員が、黒川を車に乗せた。

黒川は、窓の外を見た。

東京の夜明けが、広がっていた。

「……華恋」

小さく、呟いた。

誰にも聞こえない声だった。

車が、走り出した。

夜明けの街へ。

――――――

河川敷に、朝の光が差し込んでいた。

黒い川が、流れている。

三十年前も、流れていた。

川だけが、何も変わらずに、ただ流れ続けていた。


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