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不器用な善意は、世界を再構築するAIに選ばれた 秘密結社ARK 世界征服の物語  作者: My little world
第ニ章 暁商店街

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霧島翔太 外伝

外伝 Z1

三重県。古い町だった。

立花モーターズの裏手に、空き地があった。

雑草が伸びていた。錆びたトタン屋根の残骸。壊れた自転車。それから——

バイクが、一台あった。

草に埋もれるように、倒れていた。

霧島翔太は十四歳だった。学校帰りに、いつもここを通っていた。でもその日、足が止まった。

草をかき分けて、近づいた。

カワサキZ1。空冷四気筒。かつては美しかったはずの車体が、錆と泥で覆われていた。タンクに穴が開いていた。シートは朽ちていた。フレームが、曲がっていた。

翔太はしゃがんだ。しばらく、見た。

「……捨ててあるのか」

誰に言うでもなく、呟いた。

「捨ててある」

後ろから、声がした。

振り返ると、同い年の男児が立っていた。作業着を着ていた。手が、油で黒かった。

立花藤三郎だった。

「……藤三郎、これ知ってたのか」

「ああ」

「なんで教えてくれなかった」

「翔太が興味あるとは思わなかった」

「あるに決まってるだろ」

翔太はZ1を見た。「……直せるか」

「無理だ」

「なんでだ」

「フレームが曲がってる。タンクに穴が開いてる。エンジンは死んでる」

「直せるか、って聞いてる」

藤三郎は少し間を置いた。翔太を見た。翔太はZ1を見ていた。目が、生きていた。

「……時間がかかる」

「かかっていい」

「金もかかる」

「なんとかする」

「なんとかって、どうやって」

翔太は立ち上がった。「……親父に頼む」

「霧島の親分に?」

「バイトでもなんでもして、返す」

「お前、バイトしたことないだろ」

「これが初めてだ」

藤三郎は少し間を置いた。「……本気か」

「本気だ」

藤三郎はZ1を見た。しばらく、見ていた。「……俺も、直したかった」

「じゃあ、一緒にやろう」

「俺が直す」

「俺は金と力仕事を出す」

「力仕事って何だ」

「持つとか、運ぶとか」

「それだけか」

「あと、お前を信じる」

藤三郎は少し間を置いた。「……バカ言うな」

「本当のことだ」

――――――

それから、二人の作業が始まった。

立花モーターズの裏手に、毎日二人がいた。

藤三郎の父親——立花の先代——は、最初は渋い顔をしていた。「廃車を直してどうする」

「乗る」

「簡単じゃないぞ」

「藤三郎が直す」先代は息子を見た。藤三郎は黙っていた。先代は少し間を置いた。「……工具は貸してやる。ただし、店の邪魔をするな」

「ありがとう」翔太は深く頭を下げた。

「……ふん」 「……霧島の息子が、頭を下げるのか」

「バイクのためなら、なんでもする」

先代はもう一度、鼻を鳴らした。それから、工具箱を持ってきた。

「……まずは、フレームの修正からだな」

それだけ言って、店に戻った。

――――――

フレームを直すのに、二ヶ月かかった。

タンクの穴を塞ぐのに、三週間かかった。

エンジンを分解して、磨いて組み直すのに、四ヶ月かかった。

その間、二人は毎日裏手にいた。学校が終わると、ここに来た。休日は朝から来た。

藤三郎が教えた。翔太が覚えた。翔太が間違えた。藤三郎が直した。翔太がまた間違えた。藤三郎が笑った。翔太が怒った。藤三郎がまた笑った。

「……お前、笑いすぎだろ」

「仕方ない。面白いから」

「どこが面白いんだ」

「翔太が真剣なとこ、」

「からかってるのか?」

「からかってない」「……本当のことだ」

翔太は少し間を置いた。「……藤三郎」

「なんだ」

「お前、……いいやつだな」

「知ってた」

「自分で言う?」

「翔太が言わないから、自分で言う」

翔太は笑った。藤三郎も笑った。

裏手に、夕暮れが来た。工具の音が、止まった。

――――――

ある夜。

二人で、作業をしていた。

藤三郎がキャブレターを調整していた。翔太が横でライトを当てていた。

「……藤三郎」

「なんだ」

「お前、将来どうするんだ」

「ここを継ぐ」

「立花モーターズを」

「ああ」

「親父みたいになるのか」

「なるつもりだ」

「なんで」

藤三郎は手を止めた。「……バイクが好きだから」

「それだけ?」

「それだけじゃない」「……壊れたバイクを直して、また走らせる。最高じゃん」

翔太は少し間を置いた。「……かっこいいな」

「そうか」

「俺には、できないな」

「なんで」

「俺は——」翔太は少し間を置いた。「親父の跡を継がなきゃいけない」

「霧島組を」

「うん」

「嫌か」

「……分からない」

藤三郎は翔太を見た。「翔太」

「なんだ」

「お前は、何が好きだ」

翔太は少し間を置いた。「……正義の悪党」

「なんだそれ」

「弱い奴が虐められてたら、助ける。悪い奴がいたら、ぶん殴る。でも——法律とか、関係ない」

「それが正義の悪党か」

「ああ」

「ヤクザじゃないか」翔太は笑った。「少し違う」

「どこが」

「俺は、金のためにやらない。ただ、嫌だからやる」

藤三郎は少し間を置いた。「……バカだな」 

「どこが」

「でも——」「……嫌いじゃない」

翔太は笑った。「藤三郎も、バカだろ」

「今頃気づいたか」

「だから気が合うんだな」

「そうだな」

二人は少し、笑った。

裏手に、夜が来た。

――――――

十六歳の春。

エンジンが、かかった。

低い音が、裏手に響いた。

藤三郎がスロットルを回した。エンジン音が、上がった。

翔太は立っていた。動かなかった。

「……翔太」

「おう」

「エンジン……」

「おう」

「聞いてるか」

「聞いてる」

翔太は目が、わずかに赤くなっていた。「……泣いてないぞ」

「泣いてるぞ」

「埃が入っただけだ」

「そうだな」

「本当だぞ」

「そうだな」

藤三郎は少し笑った。

翔太はZ1に近づいた。タンクに手を置いた。黒く塗り直されていた。金の縁が、夕暮れの光を受けて光っていた。

「……きれいだな」

「いいだろう」

「藤三郎が塗ったのか」

「ああ」

「なんで黒にした」

「翔太に似合うから」

「俺に似合う」

「ああ」

「なんで」

藤三郎は少し間を置いた。「……お前は、夜が似合う」

翔太は少し間を置いた。「……藤三郎」

「なんだ」

「ありがとうな」

「よせよ」

「言わせろ」「……ありがとう」

藤三郎は答えなかった。

ただ、Z1を見ていた。

二年間、二人で直したバイクを。

「……翔太」

「なんだ」

藤三郎は少し間を置いた。「……このバイク、お前に譲る」

翔太は藤三郎を見た。「……なんで」

「お前が見つけた。」

「お前がほとんど直した」

「半分ずつだ」

「なら、半分ずつ持てばいい」

「バイクは、半分に切れない」

翔太は少し間を置いた。「……それは、ダメだ」

「なぜだ」

「藤三郎のバイクだ」

「違う」藤三郎は静かに言った。「俺は、直したかっただけだ。乗るのは——翔太の方が似合う」

翔太はZ1を見た。長い間、見た。

「……義兄弟の盃を交わそう」

藤三郎は少し間を置いた。「……俺は、ヤクザじゃないぞ」

「そんなこと関係ない」

「霧島の親分に怒られる」

「俺が話す」

「本当に話すのか」

「ああ」

「絶対怒るぞ」

「なんとかする」

藤三郎は少し間を置いた。「……お前、本当にバカだな」

「知ってる、でも——」一拍。「バカはいいぞ」

翔太は笑った。藤三郎も笑った。

Z1が、裏手に立っていた。黒く塗られた車体が、夕暮れの中に浮かんでいた。

――――――

その夜。

霧島の親分は、翔太の話を黙って聞いた。

しばらく、間があった。

「……立花モーターズの倅か」

「はい」

「あそこの先代とは、古い付き合いだ」

「はい」

「盃を交わしたいと聞いた」

「はい」

「立花の息子は、何と言っている」

「いいと言っています」

親分は少し間を置いた。「……そいつは、組に入るつもりなのか」

「いいえ」

「なぜ、盃を交わすんだ」

「親友だからです」

親分は翔太を見た。長い間、見た。

「……バカだな」

「はい」

「でも——」「まぁ、お前らしい」

親分は立ち上がった。「……立花の先代に、話をしつけてやる」

「ありがとうございます」

「礼はいい」「……ただし——こっちの世界に巻き込むなよ」

「はい」

「友達のままでいろ」

「はい」

親分は翔太を見た。「……お前には、華恋がいる、歳の離れた妹だ」

「はい」

「あの子が泣くようなことはするな」

翔太は少し間を置いた。「……はい」

「もう……行け」

翔太は深く頭を下げた。廊下を歩いた。

外に出ると、夜の空気が冷たかった。

星が出ていた。

翔太は空を見上げた。

少し笑った。

夜の三重に、Z1のエンジン音が響いていた。

外伝 Z1 第二部

Z1を見つけてから、三年が経った。

翔太は十七歳になっていた。

Z1で、三重の夜を走り回っていた。

藤三郎が後ろに乗ることもあった。仲間たちが後ろについてくることもあった。

でも——翔太が一番好きだったのは、一人で走ることだった。

夜の国道。風。エンジン音。

何も考えなかった。ただ、走った。

――――――

ある夜のことだった。

繁華街の路地で、男たちが学生を囲んでいた。

五対一だった。学生は震えていた。財布を差し出していた。

翔太はZ1を止めた。

「……カッコ悪いことしてんじゃねえぞ」

男たちが振り返った。「なんだ、お前、関係ないだろ、引っ込んでろ」

翔太は笑った。「あるんだなこれが」一拍。「俺たちは、正義の悪党だからな」

藤三郎が後ろから降りた。「……また始まった」

「止めないのか」

「止めない」

「なんでだ」

「お前が正義の悪党だから」藤三郎は笑った。

男たちは三人だったが、翔太の目を見て、一歩引いた。

翔太の後ろに藤三郎がいた。藤三郎は見ていただけだった。

ただ、立っていた。それで十分だった。

男たちは、散った。

学生が「ありがとうございます」と言った。翔太は「気にするな」と言った。それだけだった。

Z1に跨った。藤三郎が後ろに乗った。

「……正義の悪党か」藤三郎が言った。

「ああ」

「かっこいいぞ」藤三郎は笑った

「そうだろ」

「ああ」「……お前にしか、できない」

翔太は少し間を置いた。「……藤三郎」

「なんだ」

「お前も正義の悪党だろ」

「俺は違う」

「なんで」

「俺は、翔太についてきてるだけだ」

「それが正義の悪党だよ」

「そうか」

「そうだよ」

藤三郎は苦笑いをした。

エンジンをかけた。夜の三重を、Z1が走り出した。

――――――

翔太が十八歳になった春。

ある日のツーリングで、Z1が急に止まった。

藤三郎の前を走っていた翔太が、路肩に止まった。

藤三郎が追いついた。「……どうした」

「エンジンが——」翔太の声が、おかしかった。

「翔太」

「ちょっと待て」

翔太はZ1を降りた。ガードレールに手をついた。しばらく、動かなかった。

「……翔太」藤三郎が近づいた。「大丈夫か」

「ああ」

「顔色が悪いぞ」

「少し、目が回っただけだ」

「嘘をつくな」

「嘘じゃない」

「翔太」

翔太は顔を上げた。笑おうとした。

でも——笑えなかった。

「……藤三郎」

「なんだ」

「少し、休ませてくれ」

藤三郎は翔太を見た。翔太の顔が、青かった。

「……病院に行こう」

「大げさだ」

「行くんだ」

「後で——」

「今すぐだ」

翔太は少し間を置いた。「……そんなに心配するな」

「心配する」

「藤三郎」

「なんだ」

「お前、顔が怖いぞ」

「怖くない」

「怖い」

「うるさい」

翔太は小さく笑った。

でも——すぐに救急車を呼んだ。

――――――

病院の廊下に、藤三郎が座っていた。

夜が、明けた。

医者が出てきた。藤三郎が立ち上がった。「……翔太は」

「ご家族の方ですか」

「友達です」

医者は少し間を置いた。「……ご家族を、呼んでください」

藤三郎の手が、止まった。「……どういう意味ですか」

「ご家族を、呼んでください」

「……はい」

医者は廊下を歩いていった。

藤三郎はしばらく、動かなかった。

それから、スマホを取り出した。

霧島の親分に、電話をした。

――――――

翔太の病室に、親分が来た。

翔太は笑っていた。「……大げさだって言ってんだろ」

「やかましい」親分の声が、低かった。

医者から話を聞いていた。末期癌だった。進行が早かった。若い体に、急速に広がっていた。

「……翔太」親分が口を開いた。

「はい」

「華恋には、まだ言うな」

「はい」

「お前が笑ってられる間は、あの子に言わなくていい」

「はい」

「分かったか」

「はい」

翔太は窓の外を見た。春の空が、見えた。「……親父」

「なんだ」

「俺、Z1に乗れるか」

「……当然だ」

「本当か」

「乗れる」

「藤三郎が、直してくれるから乗れるんだ」

「そうだな」

「あいつ、いいやつだろ」

「ああ」

「俺、いい友達を持ったよ」

親分は何も言えなかった。

窓の外に、春の風が吹いていた。

――――――

翔太は病院を出た。

医者は止めた。だが——翔太は出た。

「……残りの時間を、病院で寝て過ごすつもりはない」

それだけ言った。

藤三郎に電話した。「……藤三郎」

「ああ」

「Z1、乗っていいか」

「お前のバイクだ」

「ありがとう」

「礼はいい……」

「どこ行くんだ」

「決めてない」

「一人か」

「ああ」

「俺も行く」

「来なくていい」

「行く」

「藤三郎」

「なんだ」

「来なくていいと言ってる」

「聞こえない」

翔太は少し間を置いた。「……バカだな」

「知ってるだろう」

「お前も正義の悪党だな」

「そうかもしれない」

Z1が、夜の三重を走り出した。

二台で、走った。

どこへ行くか、考えなかった。

ただ、走った。

風が、冷たかった。

――――――

それから半年が経った。

翔太は痩せていた。でも——笑っていた。

華恋が毎日、見舞いに来た。翔太は華恋の前では、いつも笑っていた。

「……お兄ちゃん、今日も元気そうね」

「ああ」

「本当に?」

「本当だ」

「嘘ついてない?」

「ついてない」

「じゃあ、証明して」

「どうやって」

「笑って」

「笑ってるだろ」

「もっと笑って」

翔太は大きく笑った。

華恋も笑った。

その笑顔を、翔太はずっと見ていた。

――――――

ある日。

藤三郎が病室に来た。

翔太はベッドに横になっていた。起き上がれない日が、増えていた。

「……藤三郎」

「ああ」

「Z1、頼む——俺が死んだら——」

「そんな話はしない」

「いいから聞け」

「……ああ」

翔太は窓の外を見た。「……正義の悪党がいたら、渡してやってくれ」

「正義の悪党」

「ああ」

「どこにいるんだ」

「分からない」

「分からないのに、どうやって探すんだ」

「お前なら、分かる」

「なぜ」

「お前は——」翔太は少し間を置いた。「俺の親友だから」

藤三郎は黙っていた。

「……正義の味方は、バイク乗りだからな」翔太は笑った。

藤三郎は静かに言った。「まだ笑えるのか」

「笑える」

「なぜだ」

「お前がいるから」

藤三郎は何も言えなかった。

「……藤三郎」

「なんだ」

「いい友達だったな」

「……ああ」

「ありがとう」

「礼はいい」

「言わせろ……」「ありがとう」

窓の外に、秋の空が広がっていた。

――――――

翔太は、その年の冬に死んだ。

笑いながら、死んでいった。

華恋は泣いた。親分は泣かなかった。でも——その夜、誰も親分の部屋に近づかなかった。

藤三郎は病室で、一人でいた。

Z1が、立花モーターズの裏手に置いてあった。

黒い車体が、冬の空の下に立っていた。

藤三郎はしばらく、Z1を見ていた。

「……正義の悪党か」

小さく呟いた。

笑えなかった。

でも——翔太の声が、聞こえた気がした。

「笑えよ、藤三郎」

藤三郎は少し間を置いた。

それから、小さく笑った。

冬の三重に、風が吹いていた。

外伝 Z1 第三部

冬が終わった。

春が来た。夏が来た。秋が来た。また冬が来た。

藤三郎は立花モーターズを継いだ。先代が体を悪くしたからだった。

昼間は店に出た。バイクを直した。客と話した。工具を握った。

夜になると——Z1に乗った。

翔太のいない夜を、走った。

どこを走るか、考えなかった。ただ、走った。翔太が好きだった道を。翔太が好きだった夜を。

正義の悪党は、どこにもいなかった。

――――――

ある夜のことだった。

繁華街の交差点だった。

信号が赤になった。藤三郎はZ1を止めた。

後ろから、エンジン音が近づいてきた。速かった。止まらなかった。

車が、赤信号を無視して交差点に入ってきた。

その時——

子供が、横断歩道を渡っていた。

藤三郎の体が、動こうとした。でも——間に合わない。

一人の男が、どこからともなく飛び出した。

子供を抱えた。しゃがみ込んだ。

ドン、という音がした。

男と子供が、吹っ飛んだ。

――――――

藤三郎はZ1を降りた。走った。

車の運転手が降りてきた。めんどくさそうな顔をしていた。「……あーあ、やっちまったなあ」

男は地面に倒れていた。子供を庇うように、倒れていた。

子供に怪我はなかった。男は、子供を連れてガードレールの内側に寄せた。それから立ち上がった。車を見た。

男は車に近づいた。蹴った、何度も。

運転手が「何しやがるんだてめー」と凄んだ。

男は振り返らなかった。また蹴った。「やめろ」と運転手が叫んだ。

男の拳が、運転手の顔を殴った。

「ヒイイー、お前、なんなんだよ」運転手が叫んだ。

男は振り返った。もう一度子供を見た。怪我がないことを確認した。

それから静かに言った。

「正義の悪党だ」

藤三郎の体が、止まった。

――――――

藤三郎は男に近づいた。「……おい、あんた、大丈夫か」

「ふん」「鍛え方が違う」男は静かに言った。でも——左腕を見ると、完全に折れていた。

「鍛え方の問題じゃないよ、これ」

「唾つけとけば治る」

「治らない」

「……」

「救急車、呼ぶぞ」

「いらない」

「呼ぶ」

「……勝手にしろ」

藤三郎はスマホを取り出した。救急車を呼んだ。それから警察を呼んだ。

男は地面に座っていた。痛みを顔に出さなかった。ただ、子供の方を見ていた。子供は泣いていた。

「……怪我はないぞ」男は子供に言った。「ちゃんと帰れ」

「お兄ちゃん、腕——」

「気にするな」

「でも——」

「帰れ」

子供は少し間を置いた。それから、走って帰った。

男はその背中を見ていた。

「……名前を、教えてくれ」藤三郎が言った。「黒川だ」

「黒川君?」

「ああ」

「歳はいくつですか」

「十七だ」

「そうですか、……そうか」

救急車が来るまで、二人は黙っていた。

夜の交差点に、風が吹いていた。

――――――

病院の待合室に、藤三郎がいた。

警察の事情聴取が終わった。運転手は飲酒運転だった。

黒川が処置室から出てきた。左腕にギプスが巻かれていた。

「……帰るか」黒川が言った。

「待ってた」

「なぜ待った」

「正義の悪党が骨折しているんだ。一人で帰せる訳がないだろ」

「帰れる」

「無理だ」

黒川は藤三郎を見た。「……お前、何者だ」

「立花藤三郎。バイク屋だ」

「どうして、助ける」

「助けてない。お前が子供を助けた」

「だから、どうしてここにいる」

藤三郎は少し間を置いた。「……ずっと探していた」

「何を?」

「正義の悪党を」

黒川は藤三郎を見た。「……意味が分からない」

「今は分からなくていい」

「なぜだ」

「ギプスが取れた時に、話す」

「なぜギプスが取れた時なんだ」

「渡したいものがあるからだ」

「何を?」

藤三郎は少し笑った。「……ギプスが取れたら、話す」

黒川は藤三郎を見た。長い間、見た。「……変な男だな」

「よく言われる」

「褒めてない」

「ああ」

病院の外に、春の夜が広がっていた。

――――――

ギプスが取れるまで、二ヶ月かかった。

その間、藤三郎は黒川と何度か会った。飯を食った。話をした。

黒川はあまり話さなかった。でも——藤三郎が話すと、黙って聞いた。

ある夜、藤三郎は翔太の話をした。

幼い頃からの友達だったこと。Z1を一緒に直したこと。正義の悪党と名乗っていたこと。末期癌で死んだこと。

黒川は黙って聞いていた。最後まで、何も言わなかった。

「……そういうことか」黒川は静かに言った。

「ああ」

「俺が、正義の悪党?」

「うん」

「根拠は」

「子供を助けた」

「それだけか」

「それで十分だ」

「……弱い根拠だな」

「でも——」藤三郎は少し間を置いた。「翔太が言ったんだ。正義の味方は、バイク乗りだって」

「バイクに乗ったことはない」

「乗ればいいじゃないか」

「あんたが教えるのか」

「おう」

黒川は少し間を置いた。「……正義の悪党というのは、何をする人間だ」

「弱い人間を助ける人間だ」

「それだけか」「悪い人間を、ぶん殴る人間だ」

「ヤクザじゃないか」

「少し違う」

「どこが」

「金のためにやらない。ただ、嫌だからやる」

黒川は窓の外を見た。「……嫌だからやる」

「うん」

「それが正義か」

「翔太はそう言っていた」

黒川は少し間を置いた。「……面白い男だったんだな、翔太というのは」

「ああ」

「会いたかったな」

「今でも会いたいさ。」

二人は少し、黙っていた。

――――――

ギプスが取れた日。

藤三郎は立花モーターズの裏手に、黒川を連れてきた。

Z1が、立っていた。

黒川は少し間を置いた。「……これか」

「おう」

「黒いな」

「翔太が夜に似合うと言われて、喜んでいた」

「お前が塗ったのか」

「ああ」

「きれいだな」「そうだろう」

黒川はZ1に近づいた。タンクに手を置いた。「……本当に、くれるのか」

「ああ」「翔太の遺言だから」

「俺は、翔太を知らない」

「知らなくていい」

「なぜだ」

「翔太は——正義の悪党に、渡してほしいとだけ言いった。お前は正義の悪党だ。それだけだ」

黒川はZ1を見た。長い間、見た。「……やっぱり無理だ」

「なぜ」

「見知らぬ男の形見を、受け取る理由がない」

「お前は正義の悪党だから、受け取る理由がある」

「そんな理由で——」

「それで十分だ」

黒川は藤三郎を見た。「……お前は、変な男だな」

「よく言われる」

「褒めてない」

「ああ」

黒川は少し間を置いた。Z1を見た。それから、藤三郎を見た。

「……乗り方を、教えてくれ」

藤三郎は少し笑った。

「笑うな」

「笑ってねえよ」

「笑っている」

「翔太に似たことを言うと思った。」

二人は少し、笑った。

Z1が、裏手に立っていた。

春の光が、黒い車体に当たっていた。

――――――

それから半年後。

黒川はZ1で風を切っていた。

藤三郎は見ていた。夜の道を走る黒川の背中を。

「……翔太に、……似てるな」

小さく呟いた。

誰にも聞こえなかった。

でも——Z1のエンジン音が、返事をするように響いた。

三重の夜に、Z1が走っていた。


外伝 Z1 第四部

黒川から、連絡がなくなって、三年がたった。

どこにいるのか、生きているか、死んでいるか、分からなかった。

藤三郎は店を開けた。バイクを直した。夜になると、一人で座っていた。

翔太のことを思った。

――――――

ある朝。

藤三郎がシャッターを開けた。

店の前に、Z1があった。

黒い車体。金の縁。

シートの上に、メモが一枚あった。

藤三郎は手に取った。

読んだ。

「俺は、正義の悪党じゃなくなった。ただの悪党だ」

それだけだった。

――――――

藤三郎はメモを、長い間見た。

Z1を見た。

翔太が見つけた廃車を。二人で直したバイクを。黒川に渡したバイクを。

戻ってきたバイクを。

「……翔太」

小さく呟いた。

誰も、答えなかった。

春の朝の光が、Z1の黒い車体に当たっていた。

藤三郎はメモを、ポケットにしまった。

Z1を店の中に入れた。

磨いた。丁寧に、磨いた。

「……バカだな」

小さく言った。

翔太に言うように。

「でも——嫌いじゃない」

シャッターを、半分だけ閉めた。

全部閉めることは、できなかった。

全部閉めたら——もう、誰も来ない気がした。

半分開けておけば——いつか、誰かが来る気がした。

正義の悪党が。

翔太の言った、正義の悪党が。

――――――

それから何年も経った。

シャッターは、半分開いたままだった。

藤三郎はバイクを直し続けた。Z1を磨き続けた。

誰かに渡すために。

翔太の遺言を、果たすために。

春が来た。夏が来た。秋が来た。冬が来た。

また、春が来た。

暁商店街に、見慣れない男たちが来た。

古い建物に、拠点を作った。

藤三郎は見ていた。

何も言わなかった。

ただ、見ていた。

そして——ある日。

若い男が来た。

黒川に似た目をしていた。でも——黒川の目より、少し柔らかかった。

華恋に似た顔をしていた。

藤三郎には、分かった。

何も言わなかった。

ただ、Z1を磨いた。

「……お前のことは、分かっていた。」

いつか、言う日が来る。

Z1を渡す日が来る。

翔太の遺言が、果たされる日が来る。

その日まで——シャッターは、半分開いたままだった。


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