第九幕 グループという名の器続き
真壁が静かに立ち上がった。「手続きを始めます」「頼む」
「タエさんとトキさんへの打診は?」
凛はティッシュをポケットにしまった。「私が行きます」
「一人で?」
「タエさんには和菓子が要ります。トキさんには——」少し考えた。
「タバコの話をすれば、聞いてくれると思います」
庄屋が笑った。「凛さん、やっぱり怖いっすね」
「褒め言葉として受け取ります」
――――――
その日の夕方。凛はタエの店に和菓子を持って入った。
「まあ、グループっていうのも悪くないねぇ。
一人でやるのも、そろそろ疲れてきたし」
「ありがとうございます」
「でもね」タエは腕を組んだ。「うちの味は、変えさせないよ」
「もちろんです」
「それだけ守ってくれれば、あとは好きにして」
凛は深く頭を下げた。
――――――
トキは、ベンチに座ったまま凛の話を聞いた。最後まで黙って聞いた。
それから、一言言った。
「……タエちゃんは、なんて言ってたんだい?」
「頷いてくれました」
「源さんは」
「最初に頷いてくれました」
トキは少し間を置いた。「じゃあ、私も」
それだけだった。凛は頭を下げた。「ありがとうございます、トキさん」
トキはベンチから立ち上がった。「ついでに聞くけど」
「はい」
「その法人化ってやつ、うちの駄菓子屋も、ちゃんと残るの?」
「もちろんです」
トキは小さく頷いた。「……そうかい」それだけ言って、店の中に入っていった。
――――――
夜。拠点に全員が集まった。
里美がホワイトボードに向かった。マーカーを手に取る。
「暁商店街グループ——設立準備開始」と書いた。
「真壁さん、手続きはどのくらいかかりますか?」
「早ければ二週間です。Satioが母体になれば、手続きは簡略化できます」
「二週間か」
優作がホワイトボードを見た。「その間に、残りの店への打診を終わらせろ」
「はい」凛が答えた。
「人の採用も始めろ」
「はい」
真壁が答えた。
「立花さんには——」優作は少し間を置いた。「俺が話す」
全員が、優作を見た。
里美が小さく言った。「……立花さん、素直に聞きますかね」
優作は少しだけ笑った。「聞かなくてもいい」
「え?」
「立花さんは、立花モーターズのままでいい。グループには入れない」
沈黙。「なぜですか」影山が聞いた。
「あの人は——」
「グループの外にいるから、価値がある」
誰も、それに反論しなかった。
――――――
その夜遅く。
優作は一人で、立花モーターズのシャッターの前に立った。
中から、かすかに金属音がする。まだ仕事をしていた。
「……立花さん」
シャッターの向こうで、音が止まった。「なんだ」「少し、いいですか」
しばらく、沈黙。シャッターが、数センチ開いた。立花の顔が見えた。「……話があるなら入れ。寒い」
優作は、シャッターをくぐった。油と鉄の匂い。工具が並んでいる。バイクが三台。
立花は作業台に寄りかかって、腕を組んだ。「なんだ」
「商店街の店たちを、法人化します」
「ほう」
「立花モーターズは、入れません」
立花は少し間を置いた。「……なぜ俺に言いに来た」
「隣人だから」
沈黙。立花は鼻を鳴らした。「そうか」
「はい」
「俺には関係ない話だな」
「そうですね」
「なら、なぜ来た」
優作は少し間を置いた。「……お礼を言いに来ました」
立花の眉が、わずかに動いた。
「影山がお世話になっています。バイク仲間を受け入れてもらっています。
商店街の修繕を助けてもらいました」
「仕事だ」
「はい。でも——」
「あなたがいなければ、この街は動きませんでした」
沈黙。立花は腕を組んだまま、工具を見た。何も言わなかった。
優作も、何も言わなかった。しばらく、二人はそのまま立っていた。
やがて立花が言った。「……法人化したら、うるさくなるか?」
「なると思います」
「騒がしいのは嫌いだ」
「知っています」
「でも」
立花は少し間を置いた。「静かすぎるのも、嫌いだ」
優作は小さく頷いた。「……そうですか」
「ああ」
立花は作業台から離れた。工具を手に取る。「もう帰れ。仕事の邪魔だ」
「はい」
優作はシャッターをくぐって、外に出た。春の夜風が、アーケードを抜けていく。
シャッターが、静かに閉まった。完全には、閉まらなかった。
――――――
拠点に戻ると、里美が待っていた。「どうでした」
「大丈夫です」
「何か言ってましたか」
優作はコートを脱ぎながら答えた。「静かすぎるのも嫌いだ、と」
里美は少し間を置いた。それから、小さく笑った。「……立花さんらしいですね」
「はい」
優作はデスクの前に座った。ノートPCを開く。ARKの幾何学模様が、静かに待っていた。
「……ARK」
『はい』
「暁商店街グループの設立、手伝ってくれ」
『はい。ただし——』『これは、優作が決めたことです』
「知ってる」
『私はただ、手伝うだけです』「それで十分だ」
画面の幾何学模様が、静かに、しかし力強く、脈打った。
春の夜が、静かに更けていった。




